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厘てく『君へおとどけ』:BL漫画レビュー

神や仏はいるかも知れないが、いないかも知れないわけで

ゴールデンウィーク後半。
新潟県に来てる。

地元のGEOを覗いてみたら、あれだけアキバでは手に入らなかったアミーボ(リンク弓、ガーディアン)と、プロコントローラーが売っていた。もちろん衝動買い。軽く1万円越え・・・ orz
任天堂にカネ毟られてるなあと思いつつ、フィギュアとしても可愛いから、まあいいかと思ってしまう。
今朝、リンクをスイッチに接触させてみたら、弓矢や食料がドサドサ降ってきた(笑)。
これは・・・本当に上手い商売の仕方だなあ。

それから任天堂スイッチネオン、グレーも普通に売ってる・・・。
需給が緩んできたのか、東京が異常なのかねぇと、つい苦笑してしまうよ。

父親が最近老人性鬱なのか、被害妄想が激しくてねぇ。
勝手に怒り出して、ブツブツと呪詛の独り言をつぶやくようになった。
なにもかもが気に入らなくて、なにもかもが狂っているように見えているようだ。

そして自分の信仰している寺の名前を口にして「何卒宜しくお導きください」と一日何度も拝んでる。

身内としてはちょっとつらい。

僕はさ、神や仏が存在しているか否かをあまり考えたことがないなあ。
アニミズムの系譜である神道は、自然現象を理解するにあたってそれを「神」と呼び、神話を作った。
でも、それは「現象」に過ぎないのであって、何らかの「意図」を裏読みしないかぎり、怖れるものでも頼みにするものではない。だから「神のなすことはすべて是である」というテーゼは正しいのだ。自然現象に「誤り」はないのだから。

一神教の神はもう少し能動的で、ドグマがあって、罰と救済があらかじめ決められているらしい。
一神教の神が本当に存在するのか、あるいはそう考えた方が都合のいい人たちから生じた「概念」なのかはさておき、それを頼みに生きないかぎりは、失望することはない。僕自身は「神頼み」「神の導き」というものを当てにしていない。期待していないから失望もしない。あるかどうかも分からない死後の世界に怯え、ドグマに書かれた救済の刻が来ないことを嘆くこともない。生まれることも、死ぬことも、すべては自然現象の一部に過ぎないのだから。

そう考えてると「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」(みつを)に至るわけで。
他人の尺度に依存して自分を不幸の立場に置いていたとしたら、それは辛いだろうし、居心地もさぞ悪かろう。
仮にその尺度を「全能の神」が示したのだとしても、それをこの世界に伝えた者が人間の「預言者」でしかない以上、「神」と呼ばれる存在の「意思」を正確に伝えたと誰が証明できるのだろうか。言葉はその人間のスケールと価値観を超えることはないから、預言者=神でない以上、預言者の言葉に縛られることはない。神の存在と、神と出会ったという預言者を否定するつもりはないが、それは預言者と呼ばれた者の個人的な体験談にすぎないと僕は思う。

他人から見て地獄のような場所にいたとしても、本人はそう感じていないかも知れない。
だから「幸せはいつも自分の心が決める」で良いのだと思う。

神・仏はなにも導かない。そこにいるだけである。
ただ「そこにいるだけでも充分である」とも思う。

かわいいフィギュアを眺めていて心が満たされてるのだとしたら、それはそれで幸せでいいのだ。

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