ベトナム ダナンへ(01)

彼氏と海外で過ごすのは何回目だろうか。
だいたい半年から一年前に次の旅行の予定を立てる。
今回の旅行先が最終的にダナンに決まったのは1月にパタヤから戻ってきてからだった。

二人とも未経験のベトナム。
しかも、ハノイでもホーチミンでもなくダナン。
ちょっと変わったチョイスかもしれない。
支那、朝鮮人を除き、日本初旅行が沖縄だけという外国人に出会ったら、僕らは「?……なんでまた?」と思うだろうけれど、ベトナム人もそう感じるのかなあ、とか想像していたよ。

日本からダナン直行は成田発のベトナム航空のみ。
どういうわけだかスカイチームのベトナム航空が、ダナン便に限ってはANAコードシェア便になっていた。
不思議だ。。。

成田空港で彼氏と待ち合わせて、昼ご飯に「つけ麺 とみ田」を食べてみた。


ものすごく有名な店の支店。初体験。
スープはやや甘めで、実は、僕自身は甘いスープはやや苦手だったりする。
でもいい経験だった。

出発まで2時間以上あり、有料ラウンジでグダタグダする。
滑走路に面して大きな窓があり、離発着する飛行機がよく見える。



窓際の席は滑走路からの照り返しで暑い。
やや奥まった場所で、ゼルダして時間を潰す。

初めてのベトナム航空。
機材はエアバスA321-200。シートは3-3。可もなく不可もなく。
彼氏が言うには、クルーの仕事が早いのと、ミールに余裕があるみたい、らしい。
機内食のチョイスでお客に無理を言われるのが、クルーにとって非常にストレスみたいで、彼氏の注目はそこだった。

ダナンまでは6時間ほど。
国際線で6時間は中距離だそうで。
6時間座っているのもだいぶ苦痛なんだけど、僕らの隣に座っていた女性は、ニューヨークから成田乗り継ぎでダナンへ向かっていると言っていた。やー、死にそうになる程長い距離だわ。

ダナン国際空港では、予約していた迎えが来ず。
ひどく暑いフロアをなんども往復した。
彼氏が電話しても車が来ないので、タクシーでホテルへ向かう。

ホテルのバーでワインと軽食を摂って、ダナン到着をお祝い。
眼下のロン橋で、ドラゴンが火を吹いているのを眺めながら。





池袋でパリセジーニャを食べる

先週、ベトナム中部ダナンで彼氏と休暇を過ごしていた。
今週彼氏が来日していて、昨日は銀座のビストロで食事して、今日は午後からランチデート。

しばらく前から気になっていた、池袋のサクラカフェに行ってきた。
お目当はもちろん「パリセジーニャ」。
ポルトガル料理だそうだ。
ハンバーググラタンじゃなくて、ハンバーガーグラタン。


大事なことだからもう一度言うよ。
「ハンバーガーグラタン」だからね!
横に置いてあるのはペリエの瓶だから、サイズはだいたいわかってもらえるだろうか。


切ってみると、確かにグラタンの中にハンバーガーがある!!
グラタンとしても美味しいし、ハンバーガーとしても美味しい。
ただ、カロリーは凶悪だろうから、朝ごはんと晩ご飯を抜いたけどね。

その他、トルコ風サラダ、フレンチフライグレービーソース添え、フィッシュ&チップスなど、B級グルメを堪能したさー。

今日の東京は爽やかな一日で、彼氏と眺める夕焼けはとても美しかった。
いい一日だった。


ダナンから戻ってきました

昨夜、ダナンから戻ってきました。
ダナンへの直行便は成田発のみなので、彼氏とともに成田in-outでベトナムへ向かう。

一緒に成田空港に戻ってきて、寿司を食べた後、関空へ向かう彼をチェックインカウンターまで送って行った。
そこで握手して別れ、彼氏はふたたび飛行機で移動。
僕は成田アクセス特急で自宅へ向かう。

普段、成田空港で30分待ち、40分待ちを食らうのに、昨夜はたまたま2分で乗車できた。
彼氏から「これからボーデイング」というメールが着信する頃には帰宅済みで。
彼氏の飛行機がタキシングしている頃に荷物を片付け始め。
彼氏が関空へ着陸する頃には、海外旅行の痕跡は山積みになった洗濯物だけだった。

どんなに疲れていても、帰宅して30分以内に荷物は全て片付けることを自分に課している。
そしてぐっすり眠った。

乾季のダナン……肌を刺す日差しの強さと、とんでもなく高温多湿なのは参ったけれど、楽しかった。
分け合って食べるローカルフード。
よく冷やされたベッドでゴロゴロする昼下がり。
Spaで身体をほぐし。
夜は少しお酒を飲む。

そんな幸せな日々でした。


神や仏はいるかも知れないが、いないかも知れないわけで

ゴールデンウィーク後半。
新潟県に来てる。

地元のGEOを覗いてみたら、あれだけアキバでは手に入らなかったアミーボ(リンク弓、ガーディアン)と、プロコントローラーが売っていた。もちろん衝動買い。軽く1万円越え・・・ orz
任天堂にカネ毟られてるなあと思いつつ、フィギュアとしても可愛いから、まあいいかと思ってしまう。
今朝、リンクをスイッチに接触させてみたら、弓矢や食料がドサドサ降ってきた(笑)。
これは・・・本当に上手い商売の仕方だなあ。

それから任天堂スイッチネオン、グレーも普通に売ってる・・・。
需給が緩んできたのか、東京が異常なのかねぇと、つい苦笑してしまうよ。

父親が最近老人性鬱なのか、被害妄想が激しくてねぇ。
勝手に怒り出して、ブツブツと呪詛の独り言をつぶやくようになった。
なにもかもが気に入らなくて、なにもかもが狂っているように見えているようだ。

そして自分の信仰している寺の名前を口にして「何卒宜しくお導きください」と一日何度も拝んでる。

身内としてはちょっとつらい。

僕はさ、神や仏が存在しているか否かをあまり考えたことがないなあ。
アニミズムの系譜である神道は、自然現象を理解するにあたってそれを「神」と呼び、神話を作った。
でも、それは「現象」に過ぎないのであって、何らかの「意図」を裏読みしないかぎり、怖れるものでも頼みにするものではない。だから「神のなすことはすべて是である」というテーゼは正しいのだ。自然現象に「誤り」はないのだから。

一神教の神はもう少し能動的で、ドグマがあって、罰と救済があらかじめ決められているらしい。
一神教の神が本当に存在するのか、あるいはそう考えた方が都合のいい人たちから生じた「概念」なのかはさておき、それを頼みに生きないかぎりは、失望することはない。僕自身は「神頼み」「神の導き」というものを当てにしていない。期待していないから失望もしない。あるかどうかも分からない死後の世界に怯え、ドグマに書かれた救済の刻が来ないことを嘆くこともない。生まれることも、死ぬことも、すべては自然現象の一部に過ぎないのだから。

そう考えてると「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」(みつを)に至るわけで。
他人の尺度に依存して自分を不幸の立場に置いていたとしたら、それは辛いだろうし、居心地もさぞ悪かろう。
仮にその尺度を「全能の神」が示したのだとしても、それをこの世界に伝えた者が人間の「預言者」でしかない以上、「神」と呼ばれる存在の「意思」を正確に伝えたと誰が証明できるのだろうか。言葉はその人間のスケールと価値観を超えることはないから、預言者=神でない以上、預言者の言葉に縛られることはない。神の存在と、神と出会ったという預言者を否定するつもりはないが、それは預言者と呼ばれた者の個人的な体験談にすぎないと僕は思う。

他人から見て地獄のような場所にいたとしても、本人はそう感じていないかも知れない。
だから「幸せはいつも自分の心が決める」で良いのだと思う。

神・仏はなにも導かない。そこにいるだけである。
ただ「そこにいるだけでも充分である」とも思う。

かわいいフィギュアを眺めていて心が満たされてるのだとしたら、それはそれで幸せでいいのだ。