ノラガミと会社

週末、やっとPCに向かって仕事する時間ができた。
ずっと寝かしていたネタを出してみようかと。

たまたま「会社」って言葉を弄んでいた時に、「ノラガミ」でおもしろいページに遭遇した。それは第7巻にある。夜ト神が恵比寿から貰った大金をビルの上からぶち撒いてしまい、「自分のお社を持つ」という長年の夢が叶わず、落ち込んで寝込んでいるシーンだ。夜ト神は、社を持たない無名の神である。




夜トはひよりから手作りのミニ社を貰い、喜びの涙を流す。

『夜ト…そんなにお社欲しいの?』
『…欲しいさ。ないなんて人から「要らない」って言われてんのと同じだ…』

『お社を頂くってのは光栄なことよ。
 「ありがとう」とか「お願いします」とか人からの想いの証だから』

なるほどなあ。

僕らは日々「会社に行ってきます」と言って、家を出る。
「会社」という言葉を反対から読むと「社で会う」になる。もともとcompanyの翻訳語で、「会社」という用語に定着したのは明治に入ってからという。それまではいくつか翻訳語があったそうで、そのうちの一つが「社中」。有名な「亀山社中」のアレだ。いずれにしても「社」という漢字が入るってことが、僕の頭の片隅にずっとこびりついていた。

神様とお社に関係について、小福(正体は貧乏神)は語る。
『夜トちゃんみたいな無名な神様はね…人に忘れられたら消えてしまうの…』
『人の願いから生まれたのがあたし達だもの。その願いが途絶えた時、神様の役目もおしまい…要らなくなっちゃうわ』
『人って忘れちゃうからこういう形があるとあたし達は嬉しいのよね。思い出してもらえるから』

なるほどなあ。

これは神から見た「会社」の意味(定義?)になるなあと。
この場合の「神」を今風の言葉に翻訳すると、例えば「ビジネスモデル」。

人の願いや想いから生まれたのがビジネスモデル(=神)であって、その神を忘れないように形をつくるのが「お社」で、そのお社での活動が「会社」(社で会う、社で神に会う)であり、そのお社で会うメンバーが「会社員」ということになる。会社員を神職だとしたら、会社の業績が悪い状態は、神が弱っているのか、神職達が神の望みではないことを行っているから発生するのだろう。

そんなことを連想した時、ある経営者が「ただ頭がいいだけのヤツより、情熱のあるヤツを採用したい」と言っていたことが腑に落ちた。採用面接の時、会社の中の人は「僕らと同じ神様を信じて、お社を盛り上げていける人かい?」という視点で面接しているよ、確かに。だから、就活中の学生さんに限らず、会社の社風を調べていて風通しが良いとか、家庭的な雰囲気な会社だ、だけではなくて、その会社のコア(核、この際「神」と言ってもいいだろうね)はなにか、それを信じ切ってメンバーが活動できているか、という視点で観察してみると良いかもしれない。そして、自分もその神様を奉じて盛り上げてゆけるマインドを持てるかどうかよく検討すれば、入社後のミスマッチに苦しむことも減るかもしれないね。

そういう意味では、例えばソニーのような危機状態に陥っている企業も、SWOT分析していても仕方ないのかもしれない。分析は正しくても、そのお社にその「神」がいない、あるいは「神」が望んでいないことを強いても、たぶんそれは実現しないのだから。

グローバリズム全盛の時にこういう会社のとらえ方は時代錯誤かもしれないが、ノラガミを読んでいて腑に落ちた想いを書き留めておきたかった。

※「会社」の語源とは異なった、個人的なグルグルとした想いです。

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