僕はゲイかもしれない。だから苦しいんだ。
クラスメイトに「ホモ動画」を観ていることを知られた、たすく。
自分の性指向…ゲイであると皆に知られたのではないかと怯え、自殺を考えていた彼の前に、「誰かさん」と呼ばれる謎めいた女性があらわれた。
彼女は、たすくを「談話室」へと誘う。
そこには、レズビアンである大地さんがいて…。
尾道を舞台に描かれる、性と生と青春の物語
現在3巻までコミックス化が進んでいる本作、小学館ビッグコミックススペシャルから発刊されているのは「時代が変わったなあ」と思う。「きのうなに食べた?」ともちがう、まあ直球勝負。ネタ的にはBadiあたりに掲載されていても不思議じゃない。さすが小学館発というか、画力、構成がゲイ雑誌のクオリティとはレベルがちがう。ただまあ、、、ストーリーの進行に新しさはあまりない。少年の目覚めを丁寧に、丁寧に描いているという印象だ。
さてと。
この作品を語るってことは、なんつか、自分の人生と重ね合わせて語ってしまうのな。
少し感じる違和感もあわせて。
主人公「たすく」の生まれ育った尾道。
海沿いの美しい町、だけど濃厚な人間関係が「自分は少数側にいる」と感じている者には生きづらい場所。
「自分は同性愛者なのだろうか?」と悩む少年を救ったのが、「談話室」に集う「LGBT」の仲間たち。
仲間と出会って居場所を見つけたものの、仲間の「外」の世界とはなかなか上手くいかなくて・・・というまあ、ゲイ王道ストーリー。
ちょっと自分語りをするよ。
世間……人権活動家とマスメディア(?)は僕らを「LGBT」「性的少数者」というカテゴリーに押し込めようとする。実は、それが息苦しさの元だよなあと僕は思っているんだ。
僕が「僕は男が好きなんだ」と気づいたのは小学校4〜5年生の頃。
小学生が額を集めてのぞき込んでいたエロ本で、喘いでいる女よりも、顔の見えない男の背中の方がエロいと思っていたんだ。
その後、少女漫画を読んでいるうちにJUNEの「いま、危険な愛に目覚めて」に出会ってしまった。
少女漫画に慣れていた身だから、ずっぽりおぼれてのは言うまでもない。
当時だったらそのまま「薔薇族」「さぶ」「アドン」とかに行くのだろうけれど、僕はちがった。
高校生になり、当時まだ高価だったパソコンを買い与えられた僕は、パソコン通信でゲイの世界にアクセスし、わりとすんなり新宿二丁目に行ってしまった。
最初は怖かったから昼間の新宿二丁目仲通をうろついてみて「誰もいないじゃん」とがっかりした。
二度目はパソ通で知り合った人にゲイバーに連れていってもらい、その晩無事に「食べられちゃった」。
デビューしたタイミングが良かったんだろうね。
正直僕はモテるようなヤツじゃなかったけれど、酒と食べ物、好意と寝床はほとんど無料で手に入った。
だから「葛藤」は感じなかった。
葛藤を感じる前に、すぐに「楽しくて」「気持ちよい」ものに溺れてしまったのだろうね。
僕にとって「ゲイ」はなんて言うか、商品・サービスとして、そして多少の好意と付属して与えられていたものだったから、自分が「性的少数者」というグルーピングされることに違和感があった。僕の軸足はほかの場所にあって、「ゲイ」を人生の中心に据えたことはなかったのな。
だって「性的マイノリティ」って、どのサイズだったら「マイノリティ」と言えるのか?
そんなこと分からないし。
周囲の人に「あんたたちは性的マジョリティだから!」ってメンチ切ったことあるか?
自分たちをマイノリティと規定してしまうから、周囲がマジョリティのように見えてしまう。
「たすく」はアウティング喰らったり、「おはよーホモ!」とか嫌がらせを受けているが、僕はそういう経験がなかった。
「LGBT」グループには関わっていない。
時々顔を出すゲイバーがあり、顔なじみの店子や、馬鹿話をする知り合いもいるけれど、僕は自分が「性的マイノリティ」グループに所属している人間だと思ったことはない。僕は僕で、あなたはあなただ。
差別といえば、まあ現行の「結婚制度」は同性愛者にとっては差別かもしれないけれど、あらゆることに「平等」を求める原理主義者でもないかぎり、大きな問題とは思えない。
「差別」と言われることはほとんどは「拒絶」でしかないんじゃないかと。
その拒絶の原因は偏見かもしれないけれど。
人間の身体って、例えば誰かの腕をあなたの身体に縫い付けると腐って落ちる。
僕らの身体には、免疫というそもそも「拒絶」の仕組みが組み込まれているわけで。
結局、人は一人一人。
拒絶はどこでも起こりうるけれど、マジョリティ・マイノリティ関係なく、寄り添える人が各々何人かいればいいんじゃないか。それ以上に何を望んでいるのか?
ゴメン。
でもこれが僕のスタンス。
「マイノリティの権利!」「マイノリティに理解を!」じゃないと思うのだ。
僕を知って、嫌いにならないでくれたら嬉しい。
好意・愛情を与えあう関係になれたら望外の幸せ。
それだけだよ。
拒絶されたら悲しいけれど、僕もきっとどこかで「拒絶」をしているのだから相手を責められないよ。
マジョリティもマイノリティも、ある種幻影に過ぎないのだから、それに捕らわれたくない。
僕はそう思うのです。