上高地帝国ホテルにチェックイン 2016年上高地滞在記

ひさしぶりの上高地帝国ホテル。

車寄せでタクシーを降りて、少しスロープに向かって歩く。
穂高連峰を引き連れているかのような上高地帝国ホテルの赤い屋根をカメラに収め、僕は少し満足した。
過去、上高地帝国ホテルを訪れるたびに雨が降って、穂高は雲に隠れていたからだ。



ツインの部屋にエキストラベッドを用意してもらって3人で利用する。
ディナーの後、ソファをベッドに変えて使用するので、それまではあまり狭く感じることはない。



荷物を解いた後、散歩に出かけることにした。
正面エントランスを出ると、野生の猿が3頭現れた。
花を摘み、なにかを口に運んでいる。
翌日到着する姪が猿を見たがっていたので、明日も出てきてくれると良いなあと思った。



上高地を訪れるベストシーズンは一体いつだろう。
夏山の季節か、カラマツが黄金に輝く十月下旬から十一月か。
いやいや、実は梅雨の季節が一番美しいという人がいる。
雨は降るけれど、新緑が美しいから。

梓川に向かって木立の中を歩いて行く。
ウグイスが力強く鳴いている。







前日雨だった上高地は観光客がほとんどいなくて、静かだった。
河童橋を行き来する人も少なく、支那人の群れすらいなかった。
五千尺ホテルに併設する売店でソフトクリームを買い、母親とともに穂高を眺めながら食べる。

静かでいいね。
また来れてよかったね。

河童橋を渡り、梓川対岸をゆっくりと歩いた。
途中のホテルで母親が蛍が出るという場所を尋ねた。
蛍の出る場所を下見して、甥・姪に見せてやるつもりなのだという。


霧ケ峰高原 2016年上高地滞在記

7年ぶりに上高地へ行くことになった。
両親への親孝行という名目で、上高地帝国ホテル二泊三日を企画した。
梅雨が明けるか明けないかという微妙な時期で、数日前から天気予報を見ながらヤキモキしていた。

スカイラインで中央道を走り、途中諏訪ICで降りる。
諏訪市内を抜けて、県道40号線の山道を登って行くと、ビーナスラインとぶつかる視界の開けた場所に出る。
自宅から走り続けてきたので、霧ヶ峰スキー場前で一休み。
空には雲が多かったけれど、八ヶ岳から遠く富士山までを眺めることができた。




色彩は蒼く沈み込み、時折通り過ぎてゆくバイクのエンジン音以外は、渡ってゆく風の音だけしか聞こえない。
静けさに身を置いていると、時間がゆったりと流れている感じがする。

少し疲れが取れたところでビーナスラインを松本方面に向かい、八島ヶ原高原湿原に立ち寄る。
こちらも雨が降り出しそうな空だったがたくさんの車が立ち寄って、日光黄菅の花を眺める人が多かった。






ビーナスラインを北上し、三峰大展望台からの景色を望む。
小さく、小さく富士山山頂が見える。
ほんとうにほんとうに雄大で美しい光景が広がっていて、晴れていたらどれだけ素敵だっただろう。



松本市内に下ってきて、今度は野麦街道を山へ向かって走って行く。
道沿いにあった懶亭(ものくさてい)という古民家風の蕎麦屋に入り、ざるそばを頼む。
黒光りする柱に支えられた高い天井と、開放的な土間を生かした店内は広々としている。
窓を開け放って風を通したら、かなり居心地の良い空間になるのだろう。
座敷とテーブルがあったが、野麦街道の見えるテーブル席で蕎麦を待った。


小さく見えるが、これで三人前を乗せた大きな笊。
細打ちの蕎麦に蕎麦つゆが良くあっている。

蕎麦でお腹を満たした後は、新島々を横目に、沢渡駐車場を目指して山に分け入ってゆく。
視界を山に遮られるようになり、暗いトンネル、ダムと発電所が現れ、段々と俗世と切り離されてゆくような気がする。
沢渡駐車場でタクシーに乗り換え、上高地帝国ホテルを目指す。

他人の功績を、己が成し遂げた事のような誇ること

これは恥ずかしい。
やってはいけないことと、自分に固く戒めていることの一つ。

隣国の半島に暮らしている住民は、大手メディア、ネットの言説を含めて、他人の功績を自分が成し遂げたことのように誇ることが多いなあと感じていた。

遥か大昔、百済からの亡命者を受け入れた日本を、自分の先祖が渡来しなければ未開国だったと彼らはいう。それは事実だったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。だが、古代文化はすべて朝鮮半島が伝えて「やった」と彼らは言うが、それはどうかなぁと思う。遣隋使の時代から現代に至るまで、日本人は興味のあることは必ず本場に行って、勉強・修行してくる性質がある。支那へ勉強に行ったが、朝鮮半島に大挙して勉強に行ったという記録はないはず。せいぜい朝鮮半島にあった漢王朝の出先機関、または領土内にあった楽浪郡に立ち寄っているくらい。だから、朝鮮半島が文明・文化の中心というのはなく、朝鮮人が踏ん反り返るほどの功績はなかったんじゃないかと思う。

仮に古代日本文明が、当時の渡来人の寄与が多かったとしても、現代の朝鮮半島住民とは関係のないことだ。自分の功績ではないのだから。また、朝鮮半島に当時の文明が残っていたら、その伝来を受けた日本人は必ずそれを尊重するはず。伝統と正統性はほぼ同義と考えるから。そうならないのはなぜだろうか。

日本統治時代に朝鮮文化が根こそぎ破壊されたと言うが、それは嘘だと思う。例えばオランダに400年間植民地支配され、王族を根こそぎ殺されたインドネシアには、古くから続く文化が色濃く残っている。オリジナリティのある文化が存在していたならば、それは生き残っているはずだ。ジェノサイドがあったわけでなく、期間も35年間。もし文化の断絶があったならば、海外に住む同胞を含めて復興できただろう。存在しなかった文化を他人が抹殺したかのように語るのは、惨めなことだ。

スポーツでもそうだ。
イチローが3000本安打を達成した時、「アジアの誇り」と書き込んだ朝鮮人がいた。これはイチローの功績であって、僕を含めてほとんどの人がそれに寄与しているものではない。だとしたら「アジアの誇り」という感覚ではなく、「イチローはすげぇやつだ。自分も一角の者になりたい」と静かに決意するだけのこと。他人の功績を自分のもののように語ってはいけない。「アジア枠」を勝手に作って紛れ込むのは、日本では蔑みの目で見られる。部外者は混じってはいけない。

自国オリンピック選手がメダルを獲っても、それは選手と関係者が誇ること。メダルを獲れなくても、それは自国選手よりもっと強いヤツがいただけのこと。それだけだ。敵を侮って負けたのなら呆れはするが、全力を尽くして負けた者を甚振るのは品位の劣ること。

他人は他人、自分は自分。
他人の功績は他人のもの、自分の功績は自分もの。
努力した末に勝ち取った他人の功績は褒めてあげること。
自分の功績が褒められた時は静かに感謝すること。
他人の功績に背乗りすることは、情けなく惨めだからやらないこと。

この自他を区別することができるようになれば、半島も静かになると思うのだが……。
明日は敗戦の日ですね。