前夜の、彼氏のロストバゲージの衝撃は冷めやらず……朝ご飯を食べていても、二人ともどこか上の空。このままフランクフルトを出発ということにでもなれば、下手すると彼氏は荷物なしということになり、共有できる日用品はともかく、衣類とかどうしようというという具体的な問題に対処しなくてはならなくなる。とは言っても、部屋でグダグダしていても仕方ないので、フランクフルト市中央部の繁華街を散歩しに出かけた。
中世のたたずまいを残す広場と市庁舎。トライアスロンのイベントが行われているようで、大会グッズなどをワゴン販売していたりする。どういうわけだかドイツ国旗に並んで、どでかい日章旗が提げられていた。東日本大震災に哀悼を示しているのだろうか。イタリア・カプリ島の時もそうだったけれど、巨大地震と津波にのみ込まれる町と人々、そして原子力発電所のメルトダウンという大災害の様子は、欧州で暮らす人々ですら、なにか陰鬱な不安感を感じずさせられるものだったのかもしれない。
広場はイベントが行われるらしく、仮設観客席の組み立てが急ピッチで行われている。広場中央に立つ女神像が、なんだか窮屈そうだ。
僕らが滞在している街は、"フランクフルト・アム・マイン"(Frankfurt am Main)という。彼氏の解説によると、ドイツには"フランクフルト"という名を持つ街は二つあるのだとか。それを区別するために、この街には"アム・マイン"という「マイン川近くのフランクフルト」という名称なのだとか。市庁舎のある広場から歩いてすぐの場所に、マイン川が流れている。
中世ヨーロッバの面影を残す町は、たいていの場合、その中心部は非常にコンパクトだ。市庁舎からすぐのところにゴシック建築の大聖堂があった。中をぐるっと拝観させていただいて、そのまま商業地の方へフラフラと散歩を続ける僕ら。噴水を横目に、市場があるというのでのぞいてみる。
お肉屋さんは、日本語とハングルを表記。ハングルの方は一体何と書いてあるのだろう。
路上で風船を売る人を発見。
そのまんま繁華街を抜けて、オペラ座の前へ。
確かに噂通り、ドイツ人って無表情というか、あまり笑わない人たちなんだなあと思った。それは前日はまで底抜けに明るいイタリアに滞在していたせいなのかもしれない。陰鬱なドイツから、地中海地方の明るいイタリアに旅をしたゲーテは、著書"イタリア紀行"の中でイタリアを絶賛していたそうだが、分からないでもない。だけど、僕は、熱したオーブンの中でごろごろ転がされる鶏肉のような気分に陥っていた僕からすると、しっとりと湿度が保たれて、街の中に静寂が保たれているドイツは、さすがドイツは先進国という印象を抱かずにはいられなかった。
落書きのない清潔な地下鉄駅。時間通りに走る鉄道。ゴミの散らかっていない整然とした街並み。怒鳴り合うように大声でしゃべる人もおらず、なんというか……イタリアに比べれば人情味がなくて、味気ないのかもしれないけれど、混沌とは縁遠く、ルールに則って秩序正しく運営されている先進社会、と思わずにはいられない。うん、さすがだ。
軽く散歩したあと、部屋に戻ったら、ロストしていた彼氏のREMOWAが届けられていた。あのときの彼氏の反応と言ったらもう……ハム太郎がでっかい目に涙を浮かべてフルフルフルと喜び中いう感じ。まったく、かわいい人だなあと思いつつも、再び旅を続行できることに僕は安堵感を感じていた。
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