オメガバースという問題

いままでいろいろなBLを読んできた中で、存在は知っていたが手を出してこなかった世界に「オメガバース」というジャンルがある。
店頭では「オメガバースプロジェクト」と銘打った平積みを見かけたこともあって、プロジェクトというくらいだから誰かが流行らせようとしているんだなーくらいの認識だった。で、たまたま手に取ったら、これはまずいでしょう、こんなモノを商業出版社がプロジェクトと名付けて流行らせちゃイカンだろって代物でした。

昔の話を手短に書くよ。
栗本薫がJUNEで小説を発表していた頃、耽美小説に強姦はつきものだった。
その当時は男性同士の性行為は異常だと認識されていて、タチは思い余ってウケを強姦する「愛しているから、乱暴かもしれないけれどオレの想いを受け入れてくれ」。戸惑うウケも「痛いけれど、愛してくれてる証拠なら、僕は受け入れるよ」となる。当時は女性性を受け入れられない作家と読者が、男性体二体を使っての恋愛物語を紡いでいたという特殊性もあって、だいぶ捻れていた。萩尾望都が「残酷な神が支配する」で、「なんと言おうと強姦は犯罪」「愛されているって言葉に騙されるな。それはDV」と喝破して、栗本薫時代のJUNE的耽美小説は滅びた。

同じ頃に、すでにごとうしのぶとか次の世代の作家が登場していて、二人の人間が恋をして、セックスも込みで愛し合う物語へ移行した。「やおい」「ボーイズラブ」はいまでも日陰者かもしれないが、一応愛の物語としてのジャンルとなって、海外にもファンを獲得するようになったと思うんだ。ボーイズラブの生みの母は、日本の腐女子であると言い切って良いと僕は思う。

で、2年前くらいから、欧米から「オメガバース」というものが持ち込まれた。
オメガバースプロジェクトでは、こう解説されている。



(クリックすると拡大されます)

確かに海外ドラマには人狼というジャンルがある。
この書き込みに依れば、スーパーナチュラルあたりから生じたものらしい。
僕的には、そもそも寿たらこの「SEX PISTOLS」から影響受けているんじゃないかと思う。そこからスーパーナチュラルな差別設定に変化したんじゃないかと。

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194 :オメガ:2014/09/16(火) 23:22:52.16 ID:eiPTPFwD0
海外スラのオメガバースは好きだけど日本で流行ってるのは嫌いってのでもいいでしょうか。

オメガバースの発祥って、海外のアメドラジャンルのエロリクエスト掲示板みたいな
ところ(こんな話が読みたい!てリクすると誰かが書いてくれる)で
「ノッティングのあるエロが読みたい。一部の男性(アルファ)に犬のtnkみたいに
コブがついてて、それで受けをヒイヒイ言わせるエロが読みたいのよ!!」が始まりなのね。

もともと商業誌含めて人狼ものが人気だから、攻めが人狼のアルファで受けは普通の人間て設定は昔から沢山あった。それでこのリクの画期的なところは人狼じゃなくて普通の人間の中にアルファがいるってところで、そのうちアルファだけじゃなくてベータやオメガもいるって話が出てきて、オメガは妊娠できるって設定が更に後から出てきた。
元ネタが狼の群れの社会構造(アルファがリーダーでベータがNo.2、みそっかすがオメガ)だからオメガは奴隷みたいな話も結構ある。

でも本流としては「オメガだから」を免罪符にして堂々とやおい穴とか性別受けをやりたいってだけなんだよ。
海外スラって、受けと攻めは対等でないといけないとか、受けばっかり
突っ込まれるのは不平等とかいう風潮が強くて、リバもかなり多いから。

そんな経緯だから正解の設定なんて無くて、みんな都合のいいように好き勝手な設定で
書いてるのに、日本に持ち込まれる時にかなり歪んで解釈されてて気持ち悪い。
特に運命の番い設定なんか海外スラで見たことない。オメガが可哀想である必要もない。
共通するのは「オメガが右固定」ってだけで、あとは書き手の創意工夫次第で
色んな面白い設定が読めるのがオメガバースなんだよー!
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日本にも人狼ネタはあるのだが、それはあくまでも野生の逞しさや、肉体美、一途さあたりを演出するためのもの。オオカミの群の習性を投影して、子供を産む存在を差別的な階級制度に堕とす発想は生まれてこなかった。オメガバースの世界では、たまたまΩという体質に生まれついたがために、社会的エリート特権階級のαを狂わせるフェロモンを発して厄介者になり、そのフェロモンのために強姦、輪姦されることを受け入れさせられ、番というパートナーシップもαによって支配されるという。Ωは生来の障害者か、病原菌、あるいは不可触賎民という扱い。そんな差別肯定の世界なんて、ディストピアだ。

日陰者の同性愛者がひっそりと愛をはぐくむ時代から、まあ、それなりに「いるなあ」程度には存在が許される時代へ変わり何年か経ったところで、海外から差別と性的暴力を肯定する設定が持ち込まれたことに、やや危機感を感じる。
腐女子たちよ、男が出産するという目新しさに萌えてオメガバースプロジェクトなんて浮かれていていいのか? これ、欧米人のスーパーナチュラルな差別意識が投影されている、ボーイズラブから見たら異端か邪教に近い設定だぞ。腐女子こそ「対等な関係性」を大事にしていた筈じゃなかったのか?差別を無批判で受け入れちゃまずいんじゃないか?この設定の根っこにはものすごい悪意があるんだよ。

日本では表現の自由と思想信条の自由は保障されているから、同人誌なりでオメガバースをテーマにした作品が出てくることは止められないし、止めるべきじゃない。
一方で商業出版社が無批判で「オメガバースプロジェクト」とか言って、差別が前提となっている設定に乗っかった本を出版する神経を疑う。男性が子供を産める時代が来たならば……という設定をやりたいならば、作家と相談して毒となる部分を取り除いた作品を出すことはできると思う。すでに愛し合った結果子供ができちゃったみたいな作品はあるのだから。

P.S.
腐女子の議論を眺めていて、未だに出産、リバーシブル、女体化、それに隣接するふたなりというジャンルに強い忌避感があるのだなあという部分は新鮮だった。
それからオメガバースそのものの差別設定に忌避感を示す人がいる一方で、二次創作の世界で自分の好きなカップルの一方がΩに堕とされるのがイヤだ、かわいそうと言ってるだけの人もいる。そこら辺の温度感はばらばららしい。
僕は未だ腐女子のことをよく分かっていない。

以前読んだ人狼ネタ。
腹筋がひたすらおいしかった。


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