デジタルの地平線

今日は午後からクルマを飛ばして微妙な遠出をします。
学生の頃はどれだけ運転しても飽きなかったもんですが、最近は「クルマ?めんどくさい」とか 平気で言い放つようになりましたとさ。ぶっちゃけ運転はうまい方だと思います。乱暴なドラテクはありませんけど、日本では3段階目で教官を爆睡させ、アメリカでは「You are Good Driver」とヒスパニックな女性試験官に言わしめたくらい。野望ですか?いつかパリ凱旋門でドラテクを披露してみたい……とか?(笑

昔話になりますが、"Netscape Navigator"というアプリケーションに触れたとき、その語感のよさになんだかうれしく感じたことを記憶しています。それから長い時間デジタルの世界を旅してきたわけですが、20世紀の終わり頃に、僕は重篤な病気に罹患していることに気づきました。
よくインターネットで提供される情報に優劣はない……ちょっと表現が変か……マスコミも個人も対等に情報を発信できる場であると喧伝されていました。それはある面事実なんですが、大量に送りつけられる情報におぼれて、僕は情報の優劣であるとか、重要度がだんだん解らなくなってきたことを感じていました。
たとえばメールでもチャットでも、そこにはMSゴチックで文字が連なっているだけで、徐々に誰が発した言葉なのかということを気にしなくなった、というか気にとめることができなくなった自分がいることに少し怖くなった。
発言と発言者のひも付けが極端に弱くなる。ネット上では情報があまりに簡単に、たくさん手にはいるので、情報提供者個人に対する信頼はあまり重要ではなく なってしまう。すると、僕の話している相手はaさんじゃなくて、bさんにも置き換えは可能で、逆に僕も他の誰かへ置き換えがとても簡単なんだろうなって考えたときもあった。

それは多分ネット上ではハンドルネームという架空の名前を使っているせいかもしれません。

僕はどうやら本当に頭の中が文字主体な人で、名前に漢字がちゃんと当てられると記憶の中に定着しやすいんだが、アルファベットの羅列だと定着しないらしい。
リアル世界の人格とはまったく切り離された、架空世界で過去を持たない人格を相手にしていると誰と話しているのかよくわかんなくなってしまう。
まるで映画"MEMENTO""Guy Pearce"になったような気分になる。
リアルネームを教えてくれた人は覚えやすいし、ブログなどでバックグラウンドを明かしている人はちゃんと覚えるけど、そうじゃない方々はすぐに忘却の彼方へ押しやられる。僕が「あなたの名前は?」と問いかけるときは、少なくともちゃんとその相手をイメージして記憶にとどめようとする気があるという僕からのサインなんです。

心理学とかそういう世界ではなにか病名みたいなモノが付いているのかもしれません(苦笑)。こういうわけで、"Second Life"の類には絶対手を出さないつもりっす。その世界では僕は迷子になってしまうでしょうから。(;^ω^) 

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