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朝の通勤電車の中で、村山由佳を読んでいるリーマンって、結構浮いた存在なんじゃないかなぁと思う(苦笑)。さすがに号泣は出来なかったが、ちょっとウルッとしたのは事実です。
村山由佳 "天使の梯子"
長い時間をかけて熟成が進み、まさに飲み頃の時期を迎えたボルドーワインに口づけたような気分だった。デビュー作"天使の卵"から10年。長い時間をかけて成長した作家と登場人物たちに再会できて、とてもうれしかった。
前作で年上の恋人を失った"歩太"、姉と彼氏を失った"夏姫"。特に前作ラストで茫然自失の状態で放り出された"歩太"がどうなったのか僕は気になっていた。
続編"天使の梯子"では、傷を抱えながら生きる二人に加え、新たな主人公"慎一"を迎えて、ストーリーはもちろん「鎮魂と再生」を軸に進んでゆく。
前作では、年上の女性と恋に落ちる10代の少年視点で物語がつづられていて、大人の男性が出てこない限界があった。続編では、年齢差8歳の夏姫と慎一カップ ルの登場により、前作の設定を再現しつつ、大人になった歩太の視点と台詞を通じて登場人物たちが抱えるそれぞれの傷が癒されてゆく。傷が完全に癒されることはないかもしれないが、それと向き合うことによって、登場人物たちが皆新しい一歩を踏み出してゆけるであろう希望が示唆されている。
物語は作品毎に独特のトーンを持つようになる。"天使の卵"はその結末が悲劇であっても、それはピカソの"バラ色の時代"に描かれた作品のように、主人公たちが「生きている」鼓動が伝わってくる。それは少年の一途で一本気な生き方の現れでもあり、あるいはもう一人の主人公"春姫"の匂い立つ"生"のエロティズムから生じているような気もする。主人公が声を枯らして泣いているときでさえ、そこには生々しい体温が感じられるのだ。
一方で続編はまるで"青の時代"の ようだ。どの場面にも死者がひっそりと寄り添い、蒼めいてひんやりとした冷たさが忍び込んでくる。夜、抱き合っていた二人が身体を引き離した場面ですら、 生者の熱よりも月光の冷たさの方が印象的に描写されている。静謐な空気に満たされた情景。この落差が、卵と梯子の最大の違いなんだろう。
書評の中で、続編主人公の"慎一"が好きになれないというコメントを見かけた。ここもポイントの一つだ。読者の多くが前作の"一本槍歩太"(味吉陽一みたいでちょっと引いた)と同年代なのではないだろうか。ピュアな男の子の揺れる想いをみずみずしく描いた青春小説にケチをつけることは難しい。一方で"慎一" は同年代の女の子と簡単に寝るし、そのくせ冷めた感情で一線を引いてつきあっている。そこにオトナになった"歩太"が登場するわけで、慎一には分が悪い。
でもね。僕ぐらいの歳になると、若いオスの悩みと斜に構えた感情ってのは理解できるし、好もしく思うんだ。わかるわかると。歩太ほどには素直じゃないかもしれないけれど、前作の歩太が少年の情熱を代表しているのだとしたら、慎一は大人の入り口に立った青年の苦悩を代表しているように思うのだよ。この両者を比べて好き嫌いを言うのは、ちょっと違うのかもしれない。
最後に。
"天使の梯子"を読んでいて、夏姫も慎一も自分の中にいることに気づいた。彼女の考え方も行動も、慎一の考え方も行動も。いずれも僕の中で同居している。女性の気持ちがわかる方だとは思っていたが、具体的に女性らしい感情、考え方、行動を提示されると、やっぱ自分の中に相当女性に近い部分があるんだなぁと、あらためて驚いたんだ。
映画"天使の卵"は小西真奈美と市原隼人の組み合わせだった。
TVドラマ"天使の梯子"はミムラと要潤が演じるという。
天使の梯子を読んだとき、僕の脳裏に現れたのは"菅野美穂"と"成宮寛貴"の組み合わせでした。僕的にはこっちの方がマッチしそうな気がするんだけど。
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