『KANO 1931海の向こうの甲子園』を観てきた!

なんなんだよ、この映画。
愛さずにはいられないじゃないか!!
ちくしょうめ! (T_T)

と言うわけで、高雄・台北旅行記を書き上げた晩に気づいた。
「やべぇ、今日はKANO初日だったじゃないか!!」
とにかく今朝一番の上映にすっ飛んで行った。
シネコンの小さなスクリーンだったけど、8、9割の席が埋まってた。
去年、予告映像を見てから恋い焦がれてきたKANO。
高雄車站で「嘉義」の文字を見つけた時、どれだけ愛おしく思ったことか。
溢れる想いを叩きつける今日の記事は、ダメ人間丸出しだろう、きっと。

色々書きたいことはあるけれど、順番を間違えるとダメダメになるので、分けて感想を書いて行く。まずもって「KANO」のベース部分、スポ根野球映画としての出来が非常に良い。台湾最下位(?)の弱小野球チームに鬼監督がやってきて、ダメダメ部員たちをがんがん扱く。「甲子園、甲子園」とかけ声を上げながら嘉義の町中を走って行く部員たちを、町の人たちは冷ややかに眺めていた。やがて嘉義農林学校野球部は試合を勝ち進み台湾代表となる。嘉義の人々は彼らの活躍に熱狂する。さらに嘉義農林学校野球部は1931年の甲子園決勝戦まで勝ち進み、中京商業と死闘を繰り広げる。少年ジャンプでいうところの「努力、友情、勝利」の鉄板ストーリーがストレートに胸を打つ。野球に興味ない人も、泥まみれになって戦っている少年たちから目を離せないはず。

次に出演者たちがすばらしかった。球児たちは全員野球経験者。ピッチャー呉明捷役のツァオ・ヨウニンに至っては現役大学野球選手だというのだから、舞台演技はともかく野球プレイは本物。試合風景はものすごくリアリティがあった。あまり日本語が上手じゃない人もいるのだけれど、つたない発音がすごく可愛いのだ。彼らに感情移入せずにはいられない。台湾内のローカルな野球場から、彼らは檜舞台の甲子園へ行くわけなんだけど、CGのクオリティが良くってちょっと鳥肌。昔観たグラディエーターのようだ。

少し引きで書こう。
映画は一人の兵士(札幌商業のピッチャー錠者博美)が基隆に上陸するところから始まる。汽車に乗り、嘉義へ向かう途中の浅い夢の中で、そして自分と戦ったチームのグランドに立つあいだに、嘉義農林学校野球部が勝ち上がって行く物語が挟まれる。映画中の現在時間は、嘉義駅から出征する兵士に高砂族が含まれていて、大日本帝国崩壊の跫音が聞こえ始めた時期。あの当時ですら、甲子園の暑いひと夏がノスタルジックな思い出になっている。

台湾ではよく知られていて、最近日本国内でも知る人ぞ知る八田與一が登場する。台湾内の親中国派メディアなどの批判に対し、プロデューサーのウェイ・ダーション氏が「日本を美化したわけではない。悪く描かなかっただけだ」と語っている。もし野球チームが農業学校ではなかったら、嘉南大圳のエピソードを挟み込むことは「政治的」な意図としてとらえられてしまっただろう。だけど農業学校の生徒の話ならば、八田與一と嘉南大圳のエピソードを挿入しても違和感はない。近藤兵太郎と3民族から構成される嘉義農林学校野球部、八田與一と台湾人たちが作り上げた嘉南大圳……あの当時、民族のちがいを乗り越えて、なにかを作り上げようと奮闘していた人々がいたという事を描写したことは、とてつもなく大きな意義がある。

さらに引きで見よう。
今回プロデューサー役に回ったウェイ・ダーション氏は、「海角七号」「セデックパレ」を発表してきた監督だ。海角七号では台湾と日本との間に横たわる「あるメンタリティ」について描写し、そしてセデックパレでは、台湾側から見た霧社事件を描いた。統治したものと統治されたものの間に横たわるメンタリティ、統治に抵抗した者たちの英雄譚を描いた後に、日本人と台湾人が力を合わせる物語を作った。これを日本側で作ったら「偽善」「帝国主義美化」など中国共産党、朝鮮半島、そして日本国内サヨクが騒いでつまらない事になっただろう。あの時代、統治された側の人たちが歴史を咀嚼し、表現された映画の一つが「KANO」であることに、僕は心から感謝したい。

大東亜戦争敗戦後、近藤兵太郎監督をはじめとして台湾から引き揚げてきた日本人が残してきた「精神」が、WBC2013年日台戦の、あの感動の光景へつながって行くのかと思うと僕は胸が熱くなった。1931年夏の、甲子園で死闘を繰り広げた球児たちの想いは、いまも引き継がれているのだろう。

嘉義農林学校野球部ナインの活躍を、いつまでも見ていたかった。
年配者やおっさんに混じって、現役球児らしい少年がふたりで鑑賞していた。
中学生かな?それとも 高校1年生くらいかな??
現役球児の目に、KANOはどんな風に写ったのだろうか?


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