「僕はこんなBLマンガを読んできた」ってネタをやるにあたって、BLマンガに至るまでの前史みたいな部分を整理して、Chapter0としてみようか。
ボーイズラブは小説とマンガがある。
いまだとドラマCDや映画もあるだろうけれど、やっぱり本流は小説かマンガ。
僕は小説には行かなかった。
栗本薫が小説JUNEで健筆を振るっていた頃まではフォローしていたけれど、その後離れた。そもそも僕は活字好きで、美しく優れた文章に淫する人間だった。なので作家の書きたい気持ち、パッションは理解できるのだが、文章として稚拙なボーイズラブ小説は小説として魅力を失っていった。僕は高村薫や三島由紀夫のような硬質で、情景を階層的にコラージュしてゆくタイプの文章が好きだ。
では、どうやってBLマンガに至ったのか、その道のりを語ろう。
小学生時代に妹やその同級生と少女マンガをまわし読みしていた。
Cheese!みたいなエロ少女マンガのない時代だったからね、たしかスタートは「なかよし」か「りぼん」だったと思う。
当時読んでいた作品を挙げられるかと言われるかとほとんどムリ。
いまでも強く印象に残っているのは、この2作品。
本田恵子「月の夜 星の朝」(りぼん1983年2月号~1985年11月号)
赤石路代「ないしょのハーフムーン」(別冊少女コミック1985年~いつ終わったのか不明)
特に本田恵子の「月の夜 星の朝」の第一話には衝撃を受けたね。
幼馴染み、10年後の約束、クリスマスイブ、クロスペンダント……プロットの複雑さ、美麗な絵作り、そしてなによりもキラキラ感がそこにあった。その頃からすでに僕はゲイだったけれど、後世「乙男」と呼ばれる人たちが目を奪われるキラキラ感にすごく反応したのだと思う。遼太郎クン、ちょっといい感じだったし。
で、「ないしょのハーフムーン」の方は、僕にとって1970年代の古い時代の少女マンガと現代少女マンガを繋ぐブリッジのような存在だったのだと思う。あらためて1970年代後半から1980年代前半を読み返すと、芸能界がらみの少女マンガがけっこうあって、「ガラスの仮面」やもっと古い作品をちょっと読んだりしていた。結構おもしろくて。
で、そのあと「りぼん」から離れて、僕は「LaLa」へ行ったんですわ。当時は成田美名子「CIPHER」(1985年2月号~1990年12月号)、なかじ有紀「小山荘の嫌われ者」(1985年4月号~1988年5月号)、樹なつみ「OZ」(1988年ララ増刊 AUTUMN CLUB)あたりを読んでいた。あと、吉田秋生の「BANANA FISH」(1985年5月号~1994年4月号)は忘れられないね。
自分でも見事だなあと思うのは、例えば成田美名子だと「エイリアン通り」ではなく、樹なつみだと「パッション・パレード」「マルチェロ物語」ではなく、吉田秋生だと「吉祥天女」「河よりも長くゆるやかに」ではなかったところかなあ。上手く表現できないのだけど、これらの作品は自分の中では表現方法やキャラクター造形がやや「花の24年組」の匂いがしている気がする。良い意味でも悪い意味でも。
実は「花の24年組」と呼ばれる「青池保子、萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、木原敏江、山岸凉子、樹村みのり、ささやななえこ、山田ミネコ、増山法恵」には当時ほとんど触れていない。ずっと後になって「萩尾望都、竹宮惠子」は読んだが「青池保子、大島弓子、木原敏江」はいまだほとんど未読なんだ。
青池保子、木原敏江、山岸凉子を触っていないということは、「エロイカより愛をこめて」「摩利と新吾」「日出処の天子」を読んでいないということだ。あと、魔夜峰央「パタリロ」は好きではなかった。
同時期にサン出版が「JUNE」(1981年11月~1996年4月)という雑誌を出していた。「耽美」と呼ばれる女性向けの男性同性愛がテーマの作品を掲載していた。「JUNE」と「小説JUNE」があったが、僕は「JUNE」には行かなかった。表紙が竹宮恵子だったせいかな?
上手く表現できていないかもしれないが、当時の僕は「花の24年組」の流れをもつ絵柄を古くさいと認識していたのだと思う。
それからさ。
集英社のマーガレット系に行かなかったのは、一つ特徴かもしれない。
1980年代のマーガレットだと紡木たくの「ホットロード」(1986年1月号~1987年5月号)「瞬きもせず」(1988年6月号~1990年4月号)あたりが有名だったと記憶している。僕の中学校も荒れていたよ。だけど紡木たくの描く「痛み」へは興味がわかなかった。絶対にそっち方面じゃなかったのだよ。
「りぼん」→「別冊少女コミック」→「LaLa」→BLマンガ という、いま考えると僕はかなりサラブレッドなBLマンガへの道を歩んできたのかもしれない。
もちろん、僕も男ですから。
少年ジャンプ・マガジン、ヤンジャンは同級生たちとまわし読みしていた。
1988年に青磁ビブロスが創業して「聖闘士星矢」、「鎧伝サムライトルーパー」、「サイバーフォーミュラ」などのアニパロアンソロジーが出回り始めた。「メイドイン星矢」を読んで「聖闘士星矢でホモやんのかよ」とびっくりしたことを覚えている。金ひかるとか橘水樹とか、絵がうめぇな~と思っていたな。
1993年青磁ビブロスから「マガジンBE×BOY」、1994年に竹書房から「麗人」が創刊されて、ボーイズラブマンガの世界が花開くという流れ。
僕はスッキリしていて、キラキラ美しい絵作りが好きだったんだと思う。
当時のゲイ雑誌のマンガといえば「山川純一(通称ヤマジュン)」とか「田亀源五郎」とかキラキラ感とはほど遠いものだったし、まったく興味がわかなかった。そう意味では乙男に近い感覚(でもゲイだよ)でBLマンガにたどり着いたのだろう。
「僕はこんなBLマンガを読んできた」がはじまる前の、前史は以上。
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