あのころ、ゲイのホームページは。

行きつけのカフェでコーヒーを飲みながら、手元の本に視線を落としていた。
週末に限らず、僕はこの店にしょっちゅう立ち寄る。
もしポイントをつけてもらえる店だったら、けっこうなポイント数をため込んでいるだろう位には。

視線をあげた先に、若い男性が本を読んでいる。
その表紙は「筋トレ入門」。
短髪、シャツの上からもがちむちした筋肉質の肉体がうかがえる、まるで木村べんのイラストに出てきそうな彼の容貌は犬顔。もし彼がゲイだとしたら、いまが花盛りだろう。

ノンケさんは、木村べんなんて知らないだろうと思う。
こういうイラストを描いていた人だ。

「いい女よりもいい男の数は少ない」に寄せてもらったコメントを思い出した。
愁いを帯びた文体は、いつも一つの疑問を呼ぶ。
彼は一体なにと戦っていたのだろう、彼は一体なにを渇望していたのだろうかと。

1995年にインターネット接続が一般開放されて、無修正の舶来ポルノと同じくらい驚かされたのがゲイのホームページの乱立だった。ゲイ雑誌か、新宿二丁目と一部クラブでひっそり咲いていた隠花植物が、いきなりにょきにょきと日向に現れたような気がした。オーナーがイケメンなのはもちろん、ゲイ特有の文才が冴えまくっていたサイトには日参していた。いまだとTwitterやLINEが人気だろ?それは悪いことではないんだけれど、あれは一瞬のスパークみたいなモノ。僕はホームページやBlogの方が好きだ。ある程度長い期間続いていたホームページは、良いときも、悪いときも、ゲイの世界に飛び込んだときの興奮から、Webサイトが終焉に向かって行くまで看取ることができて、なんというか、顔は知らないが同じ時間を共有していた連帯感を感じていたような気がする。

僕はゲイの世界に飛び込んでからも、ほとんどクラブ系にはいかなかった。それから、たまに旅行へ出る以外、外国人との接触も少なかった。だからクラブや海外ではっちゃけてるホームページは、遠い世界の旅行記のような気分で読んでいた。例えば、TAKUYAさんのGO-GO-BOYSとか。ヨーロッパのクラブシーンや、ハッテン体験とかおもしろかった。ジュンイチくんのChapter Jとか。モテ筋現役大学生は、たしか最後はBadiの表紙モデルにまでなったっけか。ここら辺を知ってる人は、まあ、若くはないよな。

1990年代は、ドラマ「同窓会」がゲイの恋愛を取り上げて、クローゼットゲイたちがゲイシーンになだれ込んできた。そして、ゲイのファッションセンスやアイテムがノンケにも広まるようになって、だんだんゲイの特殊性が失われていった時代。二丁目でも、ネットでも、あまり強烈な個性に出会うことは少なくなった。それだけ一般化したんだろう。

花盛りのキミたちは、いま、どんなゲイシーンを楽しんでるの?

4 件のコメント:

  1. takuyaさんって、あのコレステロールのオーナーさんじゃないですよね。
    あの人は最近出てきた人かな。

    よくわかんないですが、あのtakuyaさんの扱いが2丁目のふなっしーみたいな・・

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    1. いえいえいえいえ、コレステロールの人じゃないですよ。
      シュッとした感じのイケメン関西人でした。
      う~ん、何もかもが懐かしい。

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  2. 懐かしいエントリー,ありがとうございます!
    前にコメントを書いた「匿名」です。

    90年代後半は,僕がゲイの世界でオープンに行動し始めた年代でした。遊びまくっていましたねー。(遠い目)
    ネットもよくやっていて,「オフ会」とかにも行ったりしてました。

    「いい女よりもいい男の数は少ない」が公開されていたのは,ゲイの個人HPなんかも少し落ち着いたあたりでしたでしょうか?確か,途中からはミクシィに載せていた日記をそのまま転載したエントリーも多かった記憶があります。

    彼は何に対してあんなに気持ちをぶつけていたのか…。
    ありきたりですが,「自分」と「自分以外のすべて」でしょうか。確か,元々はあまりカラダも大きくなく,それがコンプレックスだったこととか,それを克服してゲイ活動するようになったこと,そこで出会ったイケメンマッチョな人たちとの逢瀬,そこでの葛藤,などなど…書かれていたと記憶しています。

    ゲイなら多くの人が,「なぜ自分はゲイに生まれてしまったのか」とか「なぜ自分がこんなに苦しむのか」とか思ったと思うのですが,そういう多くの人が思ったことを,どこかで彼の文章が代弁するところがあったんでしょうかね。

    今は,個人HPからミクシィへ,そしてSNSへと活動の場所が移っていきましたね。似たような人同士が結びつく方向だと思います。心地いいですが,強烈なものに会うチャンスは減ったのでしょうね。寂しい気がしますが,自分も心地よさの中に安住してしまっています。

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    1. 90年代は、秘密めいた新宿二丁目がだんだんオープンになってゆく時期だった気がしますね。

      「いい女よりもいい男の数は少ない」さんの公開が比較的遅かったのは、ブログが登場するまで時間がかかったからでしょう。初期にゲイサイトを立ち上げた人たちは、シコシコHTMLタグをいじってサイトを作っていましたからねぇ。有名な「トトメス通信」を記述し損なって悔しいです(苦笑

      ネットのおかげで、ゲイのための「場」が必要ではなくなった分、「熱さ」はなくなりました。平穏な日常はありがたいのですが、agehaみたいな大箱でエネルギーを発散するパワーはなくなったのかもしれませんね。

      それはそれで幸せな事なのかもしれませんが。

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