心の壁をなくすこと。

目の前におかれた小さなビールグラスを眺めながら、僕はカウンターの隅に座っていた。平日木曜日だというのにカウンターはすでに満席で、店内は嬌声が乱反射し、タバコの煙が幾筋も上がっている。
盛り上がった細かいビールの泡がやがて力を失い、グラスの縁からズルズルと後退し始めた頃、頭上から声がした。

「僕、今月末で終わりなんです」

カウンターの中の店子が、はにかみながらこちらを見ている。小柄な身体に、また驚くほど小顔な女顔が乗っている。新宿二丁目では、いわゆるジャニ系と呼ばれる美少年だ。

「本当に?残念だなあ」

僕は彼のグラスにビールを注ぎながら答えた。

「ずっとお話ししてみたいと思っていたんだけど……」
「うん」
「いつも、××くん(注:その店のママの名前)目当てだったでしょ?なんか入り込んじゃダメかなあと思って。ちょっと壁を感じていたんですよ」

グラスをカチンと鳴らして、僕らは乾杯する。
実を言うと、僕が来店したとき、何回か接客に彼が立ったときがあった。時間とともに店子たちはカウンターの立ち位置を変えてゆくので、ずっと連続していて接客されたわけじゃないのだけれど。彼は僕の前に立つと、いつもはにかんでいるような、戸惑っているような表情で、ほとんど無口だった。ジャニ系美少年は年上が苦手の場合が多く、同年代としか打ち解けないことが多々あるので、僕も強いてなにかしゃべりかけようとすることもなく、ビール1本を空けるとそそくさと店を出ていたのだ。

「そうか〜、実は僕も壁を感じていたかも」

その子は急に打ち解けたのか、いろいろと自分のことをしゃべり始めた。自分はインドア派なこと、音楽を作っていること、昼間の仕事のこと、過去の悲惨な恋愛話とか……。店子は大体3〜4人ほどのお客を会話で楽しませなきゃならない。それなのに2時間あまりもずっと、店子は僕に向かって話し続けた。接客としてどうかな!?と思いつつも、心の壁を作っていたのは僕の方かもなと独りごちた。なんか自分の未熟さを思い知らされたような気がした。

「来週、待ってますねー!」

勘定を支払った僕を追いかけて、店子が送り出してくれる。

「了解!また来週ね」

バチッとハイタッチして、僕は店を後にした。

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