『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』を読了

一通り読了。
まいったな……ちょっと整理しないと感想を書くことは難しいな。

その前に、最近こんな新聞(ハンギョレ)記事が掲載されて、一部で話題になっている。

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多くの日本人が、韓国には「反日」があるではないかと反論するだろうが、韓国の反日には日本の嫌韓のような他の民族に対する差別・蔑視・呪いの感覚はない。韓国人のほとんどが日本人の誠実さや勤勉さを尊敬しており、毎年ノーベル賞受賞者を出している日本の基礎科学の底力に驚嘆している。反日感情が噴出するのは、日本が過去に犯した植民地支配と侵略の歴史に対し、正しく謝罪する姿を見せないような印象を与えるときくらいだ。過去の歴史的経緯を見ても、韓国は日本を侵略して殖民支配したことも、言語や文化を奪おうとしたこともない。また、首都に大地震が発生した際、怪しそうな人に「15円50銭」と言わせて、正しく発音できなかった人を虐殺したこともない。

[記者手帳]日本の嫌韓と韓国の反日(ハンギョレ)
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朴槿恵の「加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」という演説は、日本では呪詛だと捉えられている。韓国ウォッチャーが列挙した「原爆は神の懲罰」「震災を祝います」などなどを、これが呪詛でないとハンギョレが言うのならば、かの国の呪詛とはどんなにおどろおどろしいものなのか想像もつかない。

朴裕河氏は著書の中で『韓国は「道徳的に優位」という正当性による「道徳的傲慢」を楽しんできた。「被害者」に対しては疑問を提起しない』。『傲慢は、想像力に乏しい。そしてそのような傲慢と糾弾は相手をかえって萎縮させる。そういった道徳的志向性が、相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形になったこともしばしばあった」と指摘している。韓国メディアによる日本蔑視、呪詛の記事を読んでいると、朴裕河氏の指摘のように、韓国人は道徳的傲慢をいまも娯楽としているのだなと感じる。

朴裕河氏は、慰安婦とは「第二次世界大戦中に二十万人のアジアの少女たちが日本軍に強制的に連行されて虐げられた性奴隷」であるというイメージは誤りであると指摘している。慰安婦を必要としたのは日本軍であれど、実際に慰安婦を集め、管理し、客を取らせていたのは慰安所の経営者たちである。劣悪な客のとらせ方をした、殴るなどの暴力を振るっていたのは慰安所の経営者たちであるとしている。軍が女性狩りをしたという吉田清治の著書は嘘であることはすでに明らかになっており、二十万人の少女が連行という主張も、挺対協が初期に女子挺身隊と慰安婦を混同していたからだ、と指摘している。

彼女は慰安婦とは「第二次世界大戦中に二十万人のアジアの少女たちが日本軍に強制的に連行されて虐げられた性奴隷」という挺対協が作り上げたイメージは誤りであり、それを訂正し、韓国国内を含め広報してこなかったことが問題だとしている。

僕が思うに、この問題を日本人の立場では韓国政府、挺対協、そして一般の韓国人がこの誤ったイメージを現在も世界中に撒き散らしており、韓国人の主張する慰安婦イメージは誤りである以上、韓国の主張は受け入れることができない。日本人からすれば挺対協のイメージを受け入れることは冤罪で死刑台にあがるようなことだ。だから慰安婦問題に日本人は強く反発する。韓国人は日本人を悪魔化しすぎた。ハンギョレ新聞の記者には理解できないのだろうが、日本人の嫌韓は道徳的云々は一切関係ない。日本人を悪魔化する韓国人が嫌いである、こっちに来るなという反発だ。

慰安婦問題は「軍人に性奴隷にされた女性」というショッキングな内容だから、韓国の活動家らは道徳的・宗教的・人権意識の高い欧米のリベラルとは連帯しやすかっただろう。そして大国が好きな韓国人の感性からすれば、欧米の列強とつるんで「道徳的に優位」な立場から日本を攻撃することは大いに鬱憤を晴らすことができただろうし、日本を貶めるのは韓国の国益にも合致していたから間違いを止めるどころか、大統領自ら後押しすらした。そういう国民的娯楽としての反日、蔑日、卑日のシンボルとして誤った朝鮮人慰安婦イメージで日本を悪魔化し、屈服させようとしたから話がおかしくなった。

朴裕河氏は、ソウルの日本大使館前に建てられた少女像……は、挺対協のイメージする慰安婦像であり、実際の慰安婦たちの実像とは異なるものであるという。挺対協の主張に沿った証言だけが取捨選択され、1つのイメージに落とし込む過程で真実が隠蔽されてしまう。そのイメージに対し異論を唱えることが許されない韓国社会を、朴裕河氏は憂慮している。ここら辺はシンシアリー氏が時々指摘していたような気がする。


この像は挺対協のイメージする慰安婦だ。
「挺対協のイコン」であって、彼らの活動記念碑に過ぎない。


挺対協のイメージよりも真実に近い「帝国の慰安婦」の実態はどうだったのか。
そこを明らかにしないことには、何も前進しないだろう。

※『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』は千田夏光の著作からの引用が多く、捏造資料からの引用は無意味だという主張があるかもしれない。それでも朴裕河氏は挺対協のイメージが実際の慰安婦とは異なっていることを説明しようとする姿勢は評価されて良いのではないかと思う。
※『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』は、植民地化された民族が否応なく帝国主義への協力・貢献を求められる中での、慰安婦となった朝鮮人女性という切り口で描いている。自発的に慰安婦になった者、親に売られた者、家出少女、騙された者など、もともと経済的に貧しい女性たちが慰安婦になった。慰安婦を集め、管理、運用したのは慰安所経営者であった。慰安所経営者には日本人・朝鮮人の両方がいた。だから同胞をセックスワーカーに堕とし、金儲けをした朝鮮人の存在を無視することは欺瞞である。日本軍は「強制連行」という関与は行っていなかったが、健康管理、移送などでは間接的に関与していた。帝国の拡張(=戦争)遂行の上で慰安所を必要とした以上、日本は道義的な責任は免れないというのが朴裕河氏の主張。一方で慰安婦に補償を与える「法律」(軍人だとさまざまな補償がある)がない以上、日本に法的責任は問えないとも指摘してる。
※帝国主義を問題視しているが日本の帝国主義のみ強調している印象はある。特に他の帝国主義国家の公娼制度の説明が随分あとになって記述されるのは、やや作為的だとも思う。また、フェミニズム的視点は戦後随分手前になって一般化されたものであって、なんでも男女の対立軸で分析するのもどうかとは思う。よしながふみの男女逆転「大奥」のように、女性が世の中を取り仕切っていたならば「慰安夫」問題が発生した可能性はある。あまり男性を悪魔化するような議論は避けたいところだ。
※朴裕河氏はしばしば植民地支配への補償を記述するが、それこそ日韓基本条約で終わった話であり、1965年当時反共政策、冷戦構造があろうとなかろうと蒸し返すのは無理筋だと僕は思う。

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