付喪神とAIBO

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いま、日経ビジネスオンラインで連載されている「オレの愛したソニー プレステ生みの親・丸山茂雄が語る迷走の裏側」がめっぽうおもしろい。書かれていることはソニー部外者も薄々知っていたことではあるものの、ソニーの中枢に近いところにいた丸山氏の口から語られると、生々しい、リアリティが段違いだ。

圧巻は「ソニーの使命は大賀時代で終わっていた」という前置きのあと、「ソニーが輝きを失った本当の理由は、別にもあると俺は思う。それは会社や事業には寿命があるということだよ」という、社内の誰もが分かっていても、それを受け止めるのは非常に困難な現実を語っているところ。

高級な大人のおもちゃを売ってきたというソニーは、現在だと高級なトースターを売り出しているBALMUDAみたいなポジションだったのだろう。めちゃくちゃハイテクじゃないのだけど、五感に訴えてくる楽しさを持った製品をリリースする会社。その製品を持っていることで、人生が少し楽しくなる、そんな高級なおもちゃ。いまのソニーはそういう五感に訴えてくる楽しさがない。

同じことはジョブス亡き後のAppleにも言えることで、現在のAppleはつまらない。当たり前に良く出来た製品をリリースするが、良い意味での偏り、偏執的なこだわりが失われている。Appleも支那・朝鮮が安売りしているコモディティに埋没する寸前のようだ。

で、丸山氏がソニーグループから離れるきっかけとなったのが「AIBOからの撤退」だったというのが、なかなか興味深かった。

たまたま「人工知能は人間を超えるか」(松尾 豊 著)という本を読んでいて、あと少しで読了となるのだけれど、いろいろと思うことが多かったんだ。

欧米ではDeep Learningの先にシンギュラリティが起こり、世界は映画ターミネーターに登場する「Skynet」のようなものに支配されるディストピアが想像されているようだ。松尾氏はそんなことはないんじゃないか?との立場。

僕自身は、日本人が開発する人工知能は、Skynetのようなものではないような気がしている。AIBOではないけれど、昔から日本には長い年月を経た道具などに神や精霊などが宿るという「付喪神」というおとぎ話があった。モノが知能を持つけれど、それは必ずしも人間と敵対せず、共存してゆけるという考え方だ。Skynetに比べれば遙かに平和だ。

AIBOはそういう先駆けで、もったいないなぁと思っていた。

これは付喪神の一種で「五徳猫」と言うのだそうだ。


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