恋の傷痕:人形町玄冶店(げんやだな)

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"Traditional Town 人形町"と自称するだけあって、この町は古い時代のネタに事欠きません。今日見かけたのは"玄冶店(げんやだな)跡地"。1853年初演の歌舞伎"与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)"の舞台になったところだそうです。

小間物屋・伊豆屋の若旦那"与三郎"は木更津で潮干狩に行き、美しい"お富"を見染めた。たちまち二人は恋に落ちる。
しかし、お富はヤクザの親分の妾。逢引きが見つかり、与三郎は滅多斬りにされる。体中に34カ所の刀傷を負った与三郎は、それでも一命を取り留めたのだった。
一方お富は、与三郎は死んだと思いこみ、海に身を投げるが、通りかかった舟に助けられた。
3年後。与三郎はチンピラに成り下がっていた。仲間と金をゆすりに出かけたある日、松の木が見える黒塗りの塀の家(妾宅に多い造り)で死んだはずのお富と再会する。

死んだと思っていたお富がどうしてここに?

与三郎:おぬしァ俺を見忘れたか。
お富 :え、------。
与三郎:しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取りとめてか木更津から、めぐる月日も三年越し、江戸の親にゃァ勘当受け、よんどころなく鎌倉の、谷七郷は食い詰めても、面に受けたる看板の、疵がもっけの幸いに、切られ与三と異名を取り、押し借り強請も習おうより、慣れた時代の源氏店(げんやだな)、そのしらばけか黒塀の、格子作りの囲いもの、死んだと思ったお富たァ、お釈迦様でも気が付くめえ。よくまァおぬしは達者でいたなァ----。 (グチが長いので 中略)
さぁ、誰の世話でここに居るのだ。それに今聞きや、立派な亭主があるといったが、亭主は誰れだ。どこのどいつだ。それを吐(ぬ)かせ。それをいえ。きりきりぬかしやぁがれぇぇ~。

とまぁ、深夜押し入った妾宅で長まわしの台詞を吐いてみせたのが8代目市川団十郎。
これが当時大当たりしたらしい。そして木更津が全国に知れ渡るきっかけになった。
「ここが修羅場の現場かい?」と神妙な顔つきで写真を撮ったのさ。

さて、今日のランチ!【甘酒横丁しっぽり編】"CoCo壱番屋"でカレーってことで。チェーン店だから特筆する味でもないんですが、カレーって時々無性に食べたくなるね。

僕が社会人になって、最初に配属されたのが営業でした。
OJT 役の人が住友商事からの出向者で、その人に「客商売だから臭いの強い食事はとるな。歯磨きはちゃんとしろ」と指導されました。歯磨きはもともとやっていたから問題はありませんでしたが、臭いの強い食事は避けろと指導されて最初に食べなくなったのがカレー、次が焼き肉でした。ラーメンも背脂系、ニンニク系は 避けるようになりました。
それほど苦痛だったというわけではありませんが、カレーとは今でも少し疎遠な関係。でも今日みたいな寒い日にカレーを食べると、腹持ちもよいし、身体もほかほか温まってよいですね。

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