文春オンラインでちょっとおもしろい記事が2つ上がってる。
『「キモくて金のないおっさん」と「見えない弱者」の話をしよう』
『僕が夫に出会うまで』
一見まったく関係ない話なんだけど、これは文春が意識しているかどうかはともかく、ちょうどコインの表と裏になっているんだよね。
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佐々木俊尚 「誰が社会的弱者を選別するか?」というと、メディア側なんですよ。そして選別されたのは「美しくて儚げで、可愛げのある弱者」、例えば身体障害者やLGBTの方がそうですよね。
吉川 マスメディアの力によって世間へ広く認知され、注目されたことで「守らないといけない弱者だ」と大衆に認められた人たちですね。
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写真入りで紹介されている『僕が夫に出会うまで』の著者「七崎 良輔」さん。
この方をシャイニーゲイと言って良いのかは人によって見解は分かれるだろうけれど、整った顔立ちのゲイ男性の独白はわりと好意的に受け入れられているんじゃないかと思うんだ。
悪い意味ではなくて、これも「美しくパッケージングされたゲイ像」の一つなんだろう。
七崎さんの独白は、僕ぐらいのおっさんでもある種の懐かしさを感じつつ、美しい物語として読ませてもらってる。
七崎さんが病み系の「生きづらい世の中」を全面に押し出していないのも好感している。
病み系は、ほんと読んでいてツライから。
七崎さんのようなゲイ像のおかげもあって、セクシャルマイノリティ……マイノリティだから「守らないといけない弱者だ」という枠にLGBT(この用語は個人的には好きじゃない)は収まった。というか、収められてしまった。それが幸せな状況なのか、僕には何とも言いがたいんだが。
むかし、むかし、前世紀の話。
新宿二丁目で飲んだくれて夜が明けたある日、駅に向かう道ばたで、ゴミ捨て場を漁る貧乏女装の老人を見かけたことがある。薄汚れたボロボロのフリルを身に纏い、禿頭を隠そうともせずにゴミを漁っている姿が衝撃的だった。
哀れと同時に得体の知れない恐ろしさに震えたことを覚えている。
貧困にいるゲイ、精神的に病んでるゲイとか、荒廃しているゲイに救いの手が伸びているのか……少なくともメディアや一般の人の前に出してもらえることはないんだろうな。
「キモくて金のないおっさん、しかもゲイ」とか、ほんとツライよなぁ。
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