背徳のマリア(綺月陣)を読んでみた。

さて、衝撃的作品と一部では有名だった「背徳のマリア」(綺月陣)を読んでみました。

作品には4人の外科医が登場します。

早坂圭介 → 主人公に惚れられた男

佐伯彰 → 主人公

安藤仁 → 天才外科医で、2人の友人

黒崎結城 → 外科医。和巳の兄

黒崎和巳 → 結城の弟。当時高校生

JUNEからボーイズラブ(BL)への移行は、1996年発表の榎田尤利昨「夏の塩」だと言われています。JUNEという一時代を築いた偉大な先駆者、中島梓主宰「小説道場」最終回に掲載された本作をもって、JUNEという概念は歴史の向こう側へ姿を消してゆきます。

JUNEとBLの表面上に見える違いは「萌え」があるかどうかだといいます。JUNEはある特殊な感性や世界観を持った女性たちの、痛みを伴うセルフヒーリング作業だったことを中島梓が指摘しています。そこでは大人になることの辛さ、「女」を受け入れる辛さ、居心地の悪い世界で、自分の居場所と愛してくれる人を見つけ出す(見つけ出される)、そして世界と和解してゆく物語が紡がれていました。このテーマはもともと少女マンガの中で語られていたはずですが、そのフォーマットからこぼれ落ちてしまった女性たちが作り出した文学がJUNEであったと僕は思います。

それに対してBLは、基本萌え。いや、萌えで括ってしまえるほど単純なものではないことは承知ですが、男性同性愛のフォーマットで描かれているものの、それは本来の少女マンガの世界に戻りつつあるのかなあと思います。声フェチな知り合いの腐女子の話を聞いていると、BLは女性制作・演出による男タカラヅカの感覚で萌えているらしい。決めつける気はありませんが、現代BLってのは、BLバーできれいな男子が絡んでいる様子を眺めているようなもので、それはなんというか、観察や愛玩の対象に過ぎないような気がします。

で、「背徳のマリア」に話を戻します。
前評判通り、BLの範疇に収まらないといわれる本作は、BLとJUNEのどちらなのか??
本作が最初に投稿されたのが1995年12月であったとあとがきに書かれています。
ちょうどJUNEが役割を終える時期に書かれた作品ということになります。

主人公彰は圭介の愛を得るために結婚直後に失踪し、そして性転換して身元不詳のまま圭介の前に突然現れます。そして圭介と身体を重ねるのだが……。
黒崎兄は生殖技術開発に没頭し、ついに兄弟の精子で受精卵を作り出す。これだけでも相当トンチキなわけですが、兄は高校生の弟をだまして受精卵を着床させ、妊娠させるだとか……その後に悲劇が。

ここまでが前編。

後編は、「女の部分」ではなく「男の部分」で愛して欲しいという彰のモノローグが現れてきます。そのため、SEXも後孔に挿入されることのほうに彰は喜びを感じるようになります。人工的な性同一性障害です。彰は圭介に愛されるための装置として女性の外観を得ただけ。男性体のままで圭介と結ばれたならその愛は信じられるが、不完全な女性体の自分を圭介はどこまで愛してくれるのだろうという不安に苛まれます。

そこで、黒崎の技術を使って彰は一人で受精卵着床手術を行い、死にかける。低酸素症の結果、彰は脳に障害を負い、そのうえ子供も死産するという悲惨な結果を迎える。そして障害者になったあと、圭介と安藤の手によって女性の姿から男性の姿に戻される……というストーリーが続きます。主人公が狂気じみた犠牲を払って、愛を求め続ける姿は往年のJUNEの世界観。

彰が性転換する理由は、異性愛者だとされている男性の愛を乞うためであって、圭介が「実は男もイケちゃうかも」という可能性を考えもしないところが、本作品が本質的に同性愛者同士の話ではないことを伺わせます。あくまで異性愛者が同性からの愛を受け入れる王道JUNEというか、BLのフォーマットが忠実に展開されるのです。

ところが、彰は女の身体はかりそめであるという意識は十分にあって、「本来の自分」が愛されていないのではないかという不安があり、しかも「本来の自分の身体のままである後孔」に圭介が侵入してくることを喜び、そして「絆」として子供を産むことを望むようになる……。「出産」を除けばほぼ完璧な女体を持つ男性が、オリジンな男性として愛されることを希望しているわけで。この辺が非常に捻れている。
男性が男性に恋するあまり、男性性を捨て女性に性転換した(女性性を排除するJUNE、BLからは逸脱する)にもかかわらず、作家は後編で改めて女性性を捨てさせて、男性二人の関係性に着地させる。本当の愛は「外見や性別とは関係ないんだよ」というメッセージを伝えるためには遠回りしすぎている感もあるけれど、ぎりぎりJUNEとも言えるような気がするね。

最後に。

綺月陣に限らず、BL小説には特定の単語が現れることに最近気づきました。

「謝罪」「許す」「素直」「プライド」…BL以外の小説では、あまり見かけないこの4単語がセットで頻出します。ここら辺を追求すると、BL作家、BL読者の世界観とプロファイリング、そしてそこに寄生するフェミニズムあたりの関係性がきれいに解けるような気がします。


表紙イラストは旧版の方が好きでした。

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