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僕は花粉症という言葉が生まれる前から花粉症だった。いわば花粉症のプロみたいなもんだ。だから春は嫌いだ。目はかすむし、見えない粒子が常時鼻腔を刺激してとても不快だからだ。でも……今日だけは花粉症なことを感謝したい気分だった。
朝、いつもの通り、通勤電車に乗り込んだ。
カバンから"星の王子さま"(池澤夏樹訳)を取り出して、2、3ページ読み進めたところでNetworkWalkmanを止めた。これはCNNアンカーマンのけたたましい声を聴きながら読む本ではないと思ったからだ。
舞浜を過ぎたころ、僕はいったん本を閉じた。
このまま進めれば「これは泣くかもしれないな」って確信があったからだ。
うるうる瞳になってるくらいなら、花粉症でごまかせるだろう。
しばらく車窓に広がる東京湾を眺めた。
"星の王子さま"の感想は書かれるべきではないと思った。
それは理解するんじゃなくて"感じて、共振する本"だと思うから。
自分で言うのもおこがましいと思うが、この本は読み手を選ぶ。
途中で何回も取り上げられる"大人"たちにはまったく響かない本だろう。
では"子供"なら感じ取れるのか?といったら、それもまたちがう。
この本は"子供の感受性"がかろうじて生き残っている大きな子供たちを共振させ、その意識を広げさせるべく紡がれた物語なのだろう。
いくつもあるエピソードの中で、一番ガツンと効いたのはキツネのそれだった。
数日前の、日付も変わった深夜に、こんな会話が交わされていた。
(どうか私信を引用する失礼は赦して欲しい)
b: cさんはなかなか腕のいい調教師と思われますよ
b: ガオーーー
c: 調教師?
c: あ、なついたとか?
b: 俺、獣とたとえてみました
b: わーーー
b: シンデレラ
b: 延長もすぎちった
c: じゃあ魔法が解ける直前に……
b: うん
c: で、なついたとか?
b: なついたじゃん
b: 何を言わせたいのかな?
c: じゃーときどきのどをゴロゴロいわせてみましょうか。
b: そーしてくださいな
この獣には夢中になっているバラの花があって、彼はその周りでダンスしている。いったんは手なずけたはずの生き物が、浮かれて踊っている様子を見ているのは、あんまりおもしろくなかったので、何度も捨ててやろうと思った。で、実際何回か捨ててみた(苦笑)。あるいは向こうが姿を消そうともしていた。でもお互いに断ち切ろうとしても切れないのはなぜだろうと、しばらく僕は首をひねっていた。ほんとだよ(向こうは切りたくて仕方ないのかもしれないけどな)。
その答えをキツネが鮮やかな形で見せてくれた。
自分で言うのもどうかと思うが、生き物を本当に飼い慣らしてしまったのなら、僕にもなにがしか責任が生まれてしまったのかもしれない。ダンスに夢中になっている獣が、たまにご機嫌伺いに掌を舐めにやってくる間は、そのときは手をのばして、気が済むまで頭をなでてやるべきなんじゃないだろうかって。甘えさせてノドをゴロゴロいわせたりとかね。
"星の王子さま"を読む前、物事すべてを流れとしてとらえている僕は、人間関係ですらも固定したものになったら、動きがなくなったら放り出していた。変化のない、変化しようもないものに価値を見いだせなかったから。だったら捨ててしまえと……ガキでしたね。
いまはもう会うこともないけれど。
元彼の名前を耳にすると、いまでも楽しかったことを思い出すし。
夕方、北へ飛び立ってゆく機影を目にすれば、また別の人を思う。
仕事の途中、赤坂の長い下りエスカレータを移動していれば、あの人の熱を感じる。
HMVでCDを試聴しているとき、すれ違う学生の中に彼の姿を探す。
そうやって。
いろんなことが、自分にとって特別なものなっていることに、気づく。
しがらみはめんどくさいけど。
でもそれが案外愛おしいものなんだよな。
獣が里に下りてこなくなるまでは、気持ちよく迎え入れよう。
しがらみ ひとーつ(高村薫風で)
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