いずれブロマンス(Bromance)の時代がくる

このブログから引用して論文を書いている人たちがいて驚いたわ。

正直なところ、僕も修士号(正確には博士前期課程修了)を持っている人間で、修士論文も書いて卒業した身からすると、僕のブログのBLネタからインスピレーションを得ることはあっても、そこに書かれている文献は本物かどうかちゃんと原典にあたる手間を惜しんじゃいけないと思うのよ。だって、僕が悪意のある引用や、わざと間違った引用している可能性もあるでしょう?どこの馬の骨ともしれないヤツが書いてるブログを直接引用するなんて、紀要に載せる論文としては自殺行為でしょ。ちゃんと国立国会図書館へ出向くくらいのことはしましょうよ。というか、指導教授はちゃんと指導してるの??

で、論文を読んだ印象は、ジェンダー視線のボーイズラブ論ってあんま進歩していないのね。2016年初頭掲載の論文が、2010年ごろに僕が整理した情報、引用とあんまり変わっていないし。
ちょっとがっかり。

僕が思うにね、2010年の頃から状況はかなり変わってきていると。
多くの事柄について相対化が進み、ジェンダー論がすでに古い。
いわばババアのフレームワーク化してるように思う。

その論文の中で、よしながふみが取り上げられているんだ。
うちの彼氏が「きのう何食べた?」が好きなこともあって、僕も漫喫に行って久しぶりに手にとってみたんだけど。。。
「んー、これって、ただの料理漫画?」
「んー、確かに親の高齢化問題ってあるけどさー」

「ジルベール」は面白かったけれど、なんてか、別に同性愛者でやるネタじゃなくて良いのではない?
「女」と「子供」が絡まないから、様々な事象をある程度単純化して見せることはできるのだけど、それだけでは?
とか、思っちゃうんだわ。

腐女子がしばしば口にする「関係性」。
同性愛者の関係が一見フラットに見えるせいで「対等な関係」だと思い込んでいるみたいだけど、BLの世界で「対等」のケースはあまりないと思う。男と女のような「めんどくささ」はないけれどさ。腐女子がBLカップルが「対等」だと言うのだとしたら、それは彼女らの欺瞞だ。絶対に「対等」ではない。そこには「補い合い、かばい合い、支え合う」関係が描かれているのであって、男同士の物語だから「対等」と語るのは本質から目をそらしている。男女にだって普通に存在する「関係性」でしょ?

なぜジェンダー論者がBLに絡みつくのか。
僕はね、ジェンダー論者(論者のほとんどは女性だよね)はさ、法的、制度的な平等を追い求めるが故に、変な方向に捻じ曲がって物事を眺めていると思っているんだ。「関係性」の本質は「補い合い、かばい合い、支え合う」ところにあって、ジェンダーの人らは「自分たちは阻害されている、損している」というルサンチマンが強すぎると思う。「ずるい」っていうネガティブな感情は、ろくなことを生み出さない。

BLってさ、二人ともち●こ持ちというところは「平等」だけど、あとは何一つ「平等」でも「対等」でもないんだよ。
「美少年が二人絡んでいて目の保養〜」というノリでBLを読んでいる読者は別にどうでもいいんだが、ジェンダー論からBLを分析する人たちは、己の病(業?w)の深刻さに早く気づいた方がいいよ。

で、よしながふみに戻るけれど、あれを「リアル系同性愛マンガ」と分析するのはどうかなぁ。
セクシュアル・マイノリティに対する関心や理解の高まり、ではなくて、もっと大事なのは「たかがセクシャリティでしょ?」ということなのではないかと。同性愛者だって仕事するし、料理もする、喧嘩するし、両親の介護に頭を悩ます。別にセクシャル・マジョリティと大きく変わるところはないし。セクシャリティなんて人生のちょっとした「フレーバー」に過ぎないよ。
先日とあるゲイバーで「発情してないゲイなんて、ただのおっさんだよなー」と発言したらメチャクチャウケた。同じように色こいてない女はただのおばさんだし、セクシャリティなんてその程度のもの。なんでそれが人生にかかわる大ごとになるのか?子供時代はさておき、大人になっても「セクシャリティ云々」をグダグダ言ってる人ってさ、物事の優先順位がちょっと変わった人なんだと僕は思う。世の中、解決しなきゃいけない課題はいっぱいあるのにさ、なぜそこにこだわる?みたいな。

ちなみに、その論文で羅川真里茂の「ニュヨーク・ニューヨーク」がリアル系ゲイ物語とか取り上げられているけれど、まったく間違い。僕も大好きな作品だけど、あれこそラブ・ロマンスもいいところ。アメリカのゲイが置かれている現実をある程度踏まえているけれど、美形二人が主人公である時点でフィクションもいいところだよ。サンフランのカストロストリートのゲイバーとか行ってみ?ニューヨーク チェルシーのバーでも良いけれど、景色はかなり悲惨だから。リアル系ゲイ物語とか言うのならば、せめて『「ブス」をテーマに、ゲイの世界における外見のヒエラルキーや差別を、性格はよいブスのゲイ「アヅサ」と、性格も悪いブスのゲイ「テルミ」の友情と恋愛を通してユーモア豊かに描いて』いる「アグリっ娘」くらいの悲惨なヤツを読んでから語ってほしい。

よしながふみは「本当の人間の愛は,生殖から離れたところにあるんだと言いたいんだと思います。夫婦になったほうが都合がいいとか,そういう生きるための方便じゃないところに本当の愛があるということなのかなと思います」と言っているそうだが、そう意味では別にゲイで表現する必要もないし、男女カップルでも成立するはずで、んー、不完全燃焼。

ユーリ!!! on ICEでやらかしたけど、これからブロマンス(Bromance)が広く認知される時代が来ると思うんだわ。ホモセクシャルとかじゃなくてブロマンスってさ、すでに日本の少年漫画では普通に描写されているわけで。腐女子が騒ぐ「関係性」って、火のないところに煙を立てているわけじゃなくて、今まで言葉になっていなかったブロマンスに目をつけていたってこと。そこに「やらかしちゃって」セックスのオプションをつけてBLになった。JUNEの時代はさておき、BLの世界観ってそんなものだと僕は感じているよ。

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