吉田修一「怒り」(上下)を読んでみた

ざっと流し読みしただけなんで、粗粗な感想など書いておこうかな。
来月公開映画の原作で、ウチの界隈で話題になっているのはやっぱりこれだ。

妻夫木聡と綾野剛の濃厚ラブシーン(w


見に行きたいけれど、男一人で行ったらゲイばれ。
男二人で行ってもゲイばれ。
なんつーアウティングな映画なんだとモヤモヤしてる。

ゲイなんで、妻夫木聡が演じる「優馬」に関連する部分は興味深く読んだ。
ゲイシーンをなかなかうまく描いているなあと思う。
ゲイパーリィしかり、ハッテン場しかり。

優馬はルックスが良く、身体も良く(映画の中の妻夫木くんは、ガタイでアピれる身体ではないと思う)、友達も多く、そして一流企業の会社員という華やかなゲイ生活を送っている。32歳になった彼は、恵まれているようで、でも虚しさを抱いて生きている。

設定はうまい。
しかも長らくゲイの寝てみたい男No.1に君臨していた妻夫木聡だ。
彼のゲイセックスシーンが見れるというだけで、ありがてぇ、ありがてぇと手を合わせたくなるよ。

だけど、僕の中では妻夫木聡ってこういうイメージなんだよな。


10代20代の頃は、若くて、可愛らしくて、みんなのアイドルな「魔性のウケ」。
その彼が20代後半も過ぎて、気付くとモテなくなり、仕方なく今はタチに転向している……みたいな裏設定があったらパーフェクトだった。いま、このタイミングで妻夫木聡を起用するには、この設定が必須だったんだけどなー。

話が大脱線した。
Amazonのレビューを眺めていると、「信用・信頼する」ことの難しさを書き込む人が多い一方で、犯人の殺人動機がわからないという書き込みを散見する。
僕はこんなふうに理解したんだ。

斜め読みではあるけれど、この小説の中には「弱者が踏みにじられている」あるいは巷で「差別されている、偏見の目で見られている」というシーンが少なくとも4箇所出てくる。

1つ目はとってもわかりやすいもので、沖縄駐留米軍基地反対運動を続けている知念辰哉の父。
これは割愛する。

2つ目は、妻夫木聡が演じる優馬に、彼のことをよく理解しているはずの友人であり兄嫁の友香のセリフ。

「優馬くんってさ、竜太(注:優馬の学生時代の友達。カミングアウトはしていない)くんたちの前では必死にノンケぶろうとするよね」
「……優馬って、普段は、自分はゲイだ、ゲイで何が悪い?みたいな顔をしてるくせに、竜太くんたちに知られるのだけは怖いんでしょ?ほんとはぜんぜん自信なんてないんでしょ?」
「……優馬ってさ、実はゲイを低く見ていない?だから一番大切な仲間の前では必死に隠そうとするんじゃないの?」


これはね、本当に難しいところなんだ。
直後に直人(綾野剛)が「友香ちゃんは分かってくれる側の人間だからそう言ってくれんだよ。分かる人は言わなくても分かってくれる。分からない人はいくら説明しても分かってくれない」と言う。
「分かる人」を「信用してくれる人」「信じてくれる人」に置き換えるとニュアンスが伝わるかな。

「信用してくれる人」にとって、信用するポイントは「ゲイ」じゃないはずで、ゲイはただの属性。
ゲイを高く見る、低く見るというのは、ゲイ本人の自尊心の問題にすぎない。しかも「ゲイである」という属性によって高い自尊心を持つのは、ちょっとレアケースなのだと思う。僕らのほとんどはそれで商売しているわけじゃないので。
だけど「分からない人」にとってはゲイという属性は「信用」を落とすポイントでしかない。どんなに道理を説いたとしても、その壁は越えられない。だったらゲイということを表に出さないことがゲイにとっても、相手にとっても妥当なのだと僕は思う。

自信がない、というのはある面事実。
ゲイという属性のため、相手の無理解を誘うことが怖い。
そもそもその相手が「分かる人、分かってくれる人」かどうかは、外側からはなかなか分からないよね。
優馬をよく知っている友香でも、そこのニュアンスは分かっていないのだろうな、と思う。

裏目に出た時の悲惨さを知っているから、ゲイはなかなかカミングアウトしない。
そこに人間関係の根源的な脆さはあるだろうね。
「ゲイで何が悪い?」と開き直るよりは、「ああ、そんなこと?」程度に流してくれる世の中が来ることをほとんどのゲイは願っていると思う。

それから、カミングアウトは恋愛の告白と同じようなものなのだよ。
自信が持てないなんて、当たり前じゃないですか。

3つ目は、犯人山神一也が最初に殺人を犯した時の、派遣会社の社員の態度。
担当者を信じて現場へ向かったら、その情報は間違っていた。会社から軽んじられて、怒りが募っていたところで、情けをかけてくれた女性被害者を衝動的に殺してしまう。

4つ目は、知念辰哉の「こういうバックパッカーは、結局、親のすね齧ってる場合が多いんだよ」というセリフ。
「なんていうか、居場所のない奴ってさ、目が野良犬みたいになるじゃん。あいつなんかがまさにそうだろ?帰る所ないと、誰でもああいう目になるんだよ、きっと」

これは辰哉のみの考えなのだろうか?
辰哉の父親が、そういうことを言っていたのではないだろうか?
沖縄は、本土から流れ着いてきた者に対し、そういう感情を抱いているんじゃないだろうか?(沖縄に対し、のんきな南国イメージを押し付けているのは本土人のエゴだ)
所詮子供のセリフだからなんとも言えないが、現実世界でも弱い立場の者が更に弱い立場の者を蔑視しているのかもしれない。

だから、美しい南国の青い海をバックに佇む廃墟(山神一也の人生をメタファしてるのかな?)の白い壁の裏には、「怒」という文字があり、自分よりも更に弱い者への呪詛と哄笑が書かれていた。山神一也の「怒り」とは、底辺で生きることを余儀なくされた者の呪詛と爆発だったんじゃないかと思うのだ。

知念辰哉を除き、登場する男たちは、優しいが、総じて弱い。
刑事ですらも、弱々しい(むしろ、気持ち悪いと言った方が良いかも)。
知念辰哉のその後を描いた作品を読んでみたい。

で、冒頭に戻るわけで。
見に行きたいけれど、男一人で行ったらゲイばれ。
男二人で行ってもゲイばれ。

どうしようかな。

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