上杉隆氏の「ツイッター敗戦 わが懺悔録」を読み直したら、想像以上にこの人ヤバイなと思った。
忘れないうちに備忘録しておこう。
この上杉って人は、他人を見下していることを吐露している正直者なんですよ。
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ツイッターは「終焉」に向かっている。
この場合の「終焉」とはインフラ化の達成であり、誰もがそのネットサービスに参入できる環境への到達という意味である。
つまり、市民権を得て、便利なツールとなった瞬間、一部のユーザーの離脱が始まり、新しい可能性を伴って社会変革に寄与するような上質なサービスとしての役目は終わってしまうという意味である。
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昔インフラ屋の底辺にいた者からすれば「へっ?」という感じ。
誰もが使えるツールになったということは、めでたいことじゃないですか。
上杉さんはさ、「一部のユーザーの離脱が始まると、上質なサービスではなくなってしまう」と言ってるけどさ、それって「社会変革に寄与するような『意識の高い』(筆者)ユーザーだけのツールであって欲しかった」という一種の選民思想に浸かっているんじゃないのかな?
世の中にはいますよ、意識の高い、社会変革に寄与するような上質な人ってのが。
だけど、街角で人間観察していれば、そんな連中は社会のひとつまみもいないことは分かるだろうに。ツールが一般に開放されるようになれば、おばちゃんの井戸端会議、新橋駅前でケンカしている酔っ払い、コンビニにたむろってるDQNだの、そんな人々もなだれ込んでくる。でもさ、上杉さんが好きそうな市民たちの平等な社会参画ってのは、そういうことでしょう? 「上質な人」たちだけと付き合いたいのなら、ずいぶん幅の狭いジャーナリストだなあと思うぞ。
上杉さん、こんなことも言ってます。
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ツイッターは一言で言えば、ジョン・レノンの精神を体現するものである。
権力者と一市民、金持ちと貧乏人、キリスト教徒と仏教徒、そしてまた、(中略)国境や言語すら飛び越え、すべてをフラット化してしまう。
ツイッターでつぶやくには肩書きも、資格もいらない。
政治家も、秘書も、官僚も、新聞記者も、フリーのジャーナリストも、そして一有権者も、みな平等につぶやきに参加することができる。
ツイッター上では権威や権力は何の力も持ち得ない。
つぶやく言葉がすべてで、それによってのみ判断されるのだ。
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たった3年前に、いい大人がこんな厨二病満開の文章を書いていたのか。
プロの物書きだろう?
憤死ものの恥ずかしさだよ。
いや、あんまり茶化しているつもりはないんだ。
1995年以来、この手のユートピア論をぶち上げて赤っ恥をかいた人は少なくないから。
フラット化するっていうことは、上杉氏の挙げたような左翼的言説での「様々な壁」「階級」「格差」だけじゃなくて、いままでは壁で仕切られていた「民度の格差」もあふれ出てくるわけだよ。格差を仕切っていた壁が崩れれば、なにかがあふれ出てくる。それは左翼的言説の好きな人たちがいう権力に都合の悪い情報だとか、世界市民的交流だとか、そんなもの以外に、目を背けたくなるような下品な振る舞い、心が病んでしまうような悪意、そういう人間の負の部分が洪水のように押し寄せる。そんなこと、10年以上前から分かっていたことじゃないか。
結局、上杉さんはさ、ヘドロにまみれた地獄のような世界に立ち続ける菩薩にはなれなくてさ、「上質なサービスを求めて離脱して行くユーザー」を追いかけて尻尾を巻いて逃げ出しましたってことなわけで。ジャーナリストを名乗る彼は、Twitterに、ネットにいったいなんの夢を見ていたというのだろう。そこには目を背けたくなるほど「獣化」した人間の本質がゴロリと転がっているだけなんだが。
人ってさ、社会的立場、教育、信仰、文化、周囲との人間関係とか、そういうリアル世界における関係がアンカーになって、辛うじて「人間」たり得てるわけじゃない。武田鉄矢の説教みたいで書いてて恥ずかしいけどさ。匿名の世界になると、容易に「獣」に逆戻りするということが分かっただけで十分な収穫だろう?
進歩的文化人なんていう恥ずかしい職業を名乗っている人たちがいるけれど、人間の進歩なんてほんとナメクジが這うスピードよりも遅いんだろうと思う。だけどそのわずかな歩みを喜び、それに希望を見いだすのも、人間の健気な愛おしさだと僕は思うんだ。
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