Twitterはオワタと上杉は言うが……

文藝春秋で上杉隆氏が「(私の)Twitterはオワタ」宣言をしております。
細かいことは言いませんが、僕自身、上杉氏をややうさん臭いジャーナリストと思っているので、話半分以上差し引いて文章を読んでみました。で、なにをいまさらと思った。

1990年代からこの方、新書で「××が世界を変える」「○○に乗り遅れるな」なんて取り上げられ方をしたネットサービスの多くが無残な屍を晒しているわけで、いまをときめくFacebookだって遠くない将来に「Facebookはオワコン」とか言われるにちがいない。ほら、mixiだってすでに屍でしょ?

結局ネットには影響力のある新し物好きのアーリーアダプターたちがいて、彼らが次々と新しいサービスに乗り換える度に、一般世間が煽られるという構図は変わっていない。

僕もTwitterアカウント持っていますが、ほとんど使っていません。だって、あれ、少し離れてみれば強力な煽動・洗脳ツールでしょ?しかも十分な検証がされていない情報が次々と流れてきて、デマに踊らされやすくなる。災害時に流言飛語の増幅器になったりしたら危ないことおびただしい。もちろん、良い使われ方もできることは分かってる。でも悪貨は良貨を駆逐するように、悪しき利用方法の方が幅を利かせるようになる。

上杉氏はSNS疲れを取り上げているけれど、まあ、あれは、本来接触するはずのなかったトライブ同士が接触してしまうことが根本原因。お互いのテリトリーに閉じこもっていれば炎上もないのに、たまたま敵地に足を踏み入れてしまったり、敵が攻め込んできたり。使う言葉も、思考方法も異なるもの同士が接触して、「交流」とか言っているうちはのんきなものですけど。所詮ちがう生き方の部族同士、「交流」よりは「争い」に発展することの方が多いだろう。もともと接触してはいけない関係なのだから。

人間の感情のもつれとか、いろいろな駆け引きの落としどころを見つけるのはそれなりに大変。1対1でも大変なのに、1対複数、匿名の複数に監視されながらの公開交流なんて、神経を使って疲れてしまうわな。

結局、距離感が大事なんだろうな。
ネット上でのコミュニケーション、ネット上での溢れている情報、ネットにつぎ込んでいる時間、どれものめり込んでバランスを崩すと徒労感だけが残る。

いまはLINEだっけ?
ヒカリエの本社に行ったけれど、たいした勢いだったよ。
あれがいつかオワコンと呼ばれる日が来るのかと思うと、ちょっと胸熱になる。

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