2019年4-6月期、LGBTというか、ゲイにスポットを当てたドラマが3本走ってる。
・きのう何食べた?
・腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。
・俺のスカート、どこ行った?
「俺のスカート、どこ行った?」は面白いけれど、まあ前期の「3年A組」っぽい感じがしていて、目新しさは今のところ感じない。女装のオカマが現状を打ち破って行くストーリーは、なんてか、異形の者をトリックスターにして話を転がしてゆくありがちな物語だからさ。古田新太の怪演はとっても好きだよ。
で、今日の材料は残りの二つ。
僕は原作「彼女が好きなのはホモであって僕ではない」を読んでいないので、ドラマだけ見た印象で語りますね。
人権にはセンシティブな(はずの)NHK様が手掛けるので、ある程度安全な着地点はあるのだろうけれど、あらためて見るとオタク・腐女子って結構酷いよね。
ノンケ男子を絡ませてキャーキャー妄想するものの、実は自分と付き合っていた彼氏がゲイだと知ったら平手打ち……。。。。。
昔々、やおい論争があったころ。
「表現物の中に押し込まれてしまったゲイの側からながめると、女たちは確実に『男』化しつつあるように見える。他者を使って、自らの性的ファンタジーに都合よい役割を演じさせ、あまつさえ、ベッドの中までのぞき見してしまおうというのだから、タチが悪い」「キャラクターには共通していることが一つだけある。つまり、『女を楽しませてくれること』である」
「『女性差別表現』という言葉がある。『女を欲望の対象としてのみ描き、女の性を商品化する表現』、または『女を男社会に隷属させるためのステレオタイプに押し込める表現』であると理解している。‥では少女マンガにおける同性愛表現、とりわけ、やおい表現物などは『ゲイ差別』にあたるのだろうか?」
とあるゲイからの問題提起に対して、女性側(腐女子)からは、
「私がショックを受けたのは、あなたがやおいを自分に関係あることとして受け止めていることでした」
「ゲイの人たちがやおい本を読むということは、私の世界に土足で踏み込まれたような気がするのです」
「そこで描かれているのは『究極の関係』という『物語』であって、『純粋な欲望』としてのセックスではない」
なんてリアクションがあり、当時のBL作家を含め「やおいはあくまでもファンタジーであり、同性愛者側から不愉快であると言われたら謝るしかない」というスタンスだった。
最初にリアルな同性愛者という存在への想像力欠如があって、その上に視野狭窄になりがちな「オタク・腐女子」の行動スタイルが加わって、リアルゲイの反発を買ったんだろうなあと思うんだ。まあ彼女達からすればリアルゲイと遭遇して「キャスティングが酷すぎる!原作を侮辱!!」ってな感じなのかもしれないけれど。
やおい論争があった当時から、よしながふみは漫画を描いていた。
僕個人としてはよしなが作品には「なんか観察者のようなひんやりとした眼差し」を感じることが多くて、それほど好きじゃない。だけど「大奥」等 挑戦的・実験的な作品を描く才能にはリスペクトしている。
そんな大御所が描き続けている「きのう何食べた?」は、腐女子に対する一つの挑戦だと僕は考えているんだ。
「『究極の関係』という『物語』であって、『純粋な欲望』としてのセックスではない」という腐女子に対して、「『究極の関係』という『物語』にセックス描写は必要なの?それがないとBLは成立しないの?」という問いかけなのだと僕は考えているんだ。
「きのう何食べた?」は、やおい論争に対するよしながふみなりの回答なのだろう。
ゲイをセックスの視点で切り取ることをやめて、ただの隣人として眺めてみたらそこには淡々とした人間の営みがあるだけだ、ということ。
(……いや、ジルベール航みたいのに振り回されていたら淡々ではないか。。。)
あらためて僕は腐女子とBL研究者達に問いかけてみたいんだ。
BLにセックス描写は必要ですか?(別にやめろとは言いません……)
セックス描写がないとBLは成立しませんか?
なぜセックス描写が必要なのでしょうか……そこにあなた方はなにを求めているのでしょうか?
彼氏はきのう何食べたの原作を揃えている。
かなり好きらしい。
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