朴裕河氏は、大日本帝国が戦争を始める前から公娼制度による売春施設がすでに存在しており、『アジア全域にあったとされる売春施設をすべて「日本軍慰安所」と見なすのは無理がある」と指摘している。
『「慰安婦」を必要としたのは間違いなく日本という国家だった。しかし、そのような需要に応えて、女たちを誘拐や甘言などの手段までをも使って「連れていった」のはほとんどの場合、中間業者だった。「強制連行」した主体が日本軍だったとする証言も少数ながらあるが、それは軍属扱いをされた業者が制服を着て現れ、軍人と勘違いされた可能性が高い。たとえ軍人が「強制連行」したケースがあったとしても、戦場でない朝鮮半島では、それはむしろ逸脱した例外的なケースと見なすべきだ。そういう意味では慰安婦を連れていった(「強制連行」との言葉が、公権力による物理的力の行使を意味する限り、少なくとも朝鮮人慰安婦問題においては、軍の方針としては成立しない)ことの「法的責任」は、直接には業者たちが問われるべきである。それも、あきらかな「だまし」や誘拐の場合に限る。需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても「法的責任」を問うのは難しいことになるのである』(P,46)。
そして、長く引用するが、1965年の日韓基本条約締結の際、日本側から個人請求を残すことを提案していたにもかかわらず、韓国政府側が拒否したという事実がある。後々のことを考えていなかった韓国政府の政治的判断ミスであるし、とにかく個人補償の金を引っ張りたい韓国政府の事情もあったのだろう。しかし、個人請求の芽をつぶしたのは韓国政府であり、責任は重大だ。
『1990年代の日本の謝罪について考えるためには1965年の基本条約を、1965年の条約について考えるためには1910年の併合条約を考える必要が生じる。そして当時、植民地支配が法的に禁止されていなかった以上(もちろんそのときの「法」とは強大国同士の「了解」でしかなかった)、植民地支配によって被った精神的・身体的被害に対して「賠償」を要求できる根拠が存在しない、という問題が生じるのである。
基本条約に向けての韓国政府の要請は、植民地支配に対する賠償ではなかった。日本は日韓会談における非徴用者に関する会議のとき「補償金とはどのような性格のものなのか」と聞いている。それに対し韓国は「未収金は当時規定によって受けるべきものを受けられなかったものであり、補償金は生存者、負傷者、死亡者を含めて非徴用者に対する補償、すなわち精神的苦痛に対する補償を指すもの」と話した。つまり植民地支配全体に対する賠償要求ではなかった。
ところが、日本はこれに対して「この項目は私的な請求が殆どだと思うし、国交が回復し正常化すれば日本の一般法律に則り個別に解決する方法もあると思うが、この点に関してはどう思うのか」と聞いていた。つまり日本が主体となって個別に補償を行う方法を日本側は提示していたのである。しかしここでも韓国は「国が彼らに代わって解決しようとしている」と主張した。また非徴用者の補償金を巡って、日本は「補償とは国民徴用令第19条によって遺族扶助料、埋葬料などが支払われることになっており、工場に関しては工場法によって、軍人軍属に関してもそのような規定があるが、当時のそうした経緯に沿った補償を意味するのか」と聞き、韓国は「新しい基板のもとにそれに相当する補償を要求する」「他国の国民を強制的に動員することで生じた非徴用者の精神的・肉体的苦痛に対する補償を要求する」と答えている。それに対し日本は、「徴用時には日本人として徴用されたものなので、当時の補償のようなもの、つまり、日本人に対して今行われているものと同様の補償を要求するのか」と再度質問し、韓国は「新しい立場から要求する」と繰り返している。
「新しい立場」というのは、日本人としてではなく、韓国人としてもらいたいということだろう。それが、解放された民族としての妥当な主張であるのは言うまでもない。たとえ国家の頂点にいる少数が合意したとしても、求めないのに「日本人」になってしまったことにより被ったことに対する補償を求めたのだろう。
そして、このとき日本は「我々の立場は未払金が本人の手に渡されなければならない」とし「日本援護法を準用し個人基盤で支払えば間違いない」としながら、「個人に対する直接補償を主張」した。個人が被害事項を後から訴え出る可能性があるので、日本国が直接韓国の個人に補償するとしたものだったのだろう。
しかし、韓国政府はそのやり方を拒否した。すでに指摘されているように、当時の日本側には「徴用が強制動員だという認識がまったくなく、そのため、損害賠償をするべきだという意識もまったくなかった」のだろう。そのような認識が正しいかどうかは別として、日本が1910年の合併と国民動員を「合法」だと認識するかぎり、当然の発想だったはずだ。
実際に日本側は、「徴用者補償金に関しては(中略)精神的苦痛に対する補償を請求しているが、当時の韓国人の法的地位が日本人だったという点に鑑みて日本人に支払われなかった補償金は支払えないと考える。しかし死亡及び傷病者に対しては当時の国内法によって給与金が支払われたはずなので、未払いのものがあれば被徴用者未収金として整理されるはずで、その項目で検討したらいい」と話した。
つまり、日本は「元日本人」としての朝鮮人、過去の「日本国民」の枠組みを使えば、被害に対する補償は可能、と話していた。しかしキム教授が述べるように「請求権に対する両方の認識の差異」が生じたのであり、「韓国側は被徴用者の精神的肉体的苦痛に対する補償までを含むものと請求権を幅広く認識していたのに対して、日本側は日本の国内法によってすでに成立している権利のみを念頭に置いていた」のだろう。
こうした認識の差異は、時の日本政府に植民地支配に対しての謝罪意識がなかったことを示す。そうではあっても、韓国政府がこのとき日本の意見を受け入れて個人補償部分を残しておいたなら、ほかの被害者もそれぞれ「適法」な補償を受けることが可能だったかもしれない。しかし韓国政府はそうはしなかったし、これまで慰安婦や被害者たちがほとんどの裁判で負けた理由はまさにここにある。
日本政府を相手にした裁判がこれまでずっと敗訴してきたことに関して、韓国は、日本に謝罪意識がないことと捉えて非難してきた。しかし、韓国政府の訴訟が敗訴したのは単に「日本の贖罪意識がない」ためのことではない。すでによく知られているように、1965年で終わっていると日本が考えていることの背景には、このような事情もあったのである。個人の請求部分を、代わりに受け取ってしまって、日本に対してもはや個人請求をできなくしたのは、残念ながら韓国政府だった』。(P,185〜P,188)
で、問題は補償金の支払い義務が韓国政府にあったはずなのに、第二次世界大戦から50年後、日韓基本条約締結から30年間もその義務を履行しなかった韓国政府に大きな責任があるのではないか。これは韓国内の社会保障制度がまともに機能していないことが原因ではないのか??
『1990年代後半に、韓国政府は慰安婦として認められた者たちに4000万ウォン程度の金を支払った。そして2005年に日韓会談の文書を公開した後、改めて徴兵者の遺族や被害者たちに補償金を支給した。90年代の韓国政府支援金は、日本政府の基金を受け取らないことを前提とした日本への「対抗的性格」の支援金だったが、2000年代の支援金は日本が韓国政府に支払った植民地被害者に対する補償金を、個々人に支払ったものだった。
たとえ日韓協定時の日本に植民地支配に対する贖罪意識が明確に存在しなかったとしても、日本が個人被害に対する補償を行おうとしたのは間違いない。そして「慰安婦」という存在も、日本にとっては「後から現れうる個人」だった(「補償責任」があると認めた場合のことであるが)。植民地支配によるさまざまな問題が日韓協定時に議論されなかったのは確かだが、当時の補償金がそのような状況を想定して渡された金額であることは間違いない。
当時の個人請求権消滅責任が韓国政府にあったとすれば、日本の法的責任を問うのは難しい。そして(後述するが)、1990年代に行われたアジア女性基金の「道義的補償」は植民地支配によって生じたことを意識しての補償だった。
国家による精神的・身体的被害を補償する法、帝国の植民地支配による被害に対して補償するようにした法が、日韓協定当時存在しなかったのは残念なことである。しかし、それは他国を支配することを悪いこととは考えなかった帝国主義時代と、それに対する問題提起を十分にできないまま日本と国交を結ぶことになった冷戦体制を、日韓が生きてきた時代的な限界によるものだった。
そして2006年以降に、韓国政府が慰安婦を始めとする植民地時代の被害者に渡した支援金は、名前は「道義的補償」でも、内容的には1965年の条約のとき日本から受けたお金を遅ればせながらも個々人に渡したことになるのだから、実質的には法的責任を全うしてことにもなる。
何よりも、訴訟者の被害者団体の賠償要求の根拠は「強制労働」と「人身売買」であり、それが当時の国際法に違反するものだということにあった。しかしそのことを「直接に」犯した主体が「業者」だった以上、日本国には、需要を作った責任(時に黙認した責任)しか問えなくなる。そういう意味でも、法的責任を前提とする賠償請求は無理と言うほかない。』(P,190)
朴裕河氏は、帝国主義と人権(狭くは女性の人権)問題と捉えているが、こと「補償金」に関して言えば、問題の原因を作り出した責任の多くは韓国政府にあるのではないかと僕は思う。もともと日本政府に対する個人請求の手段を残しておくべきだった。日本政府から預かったお金はさっさと支給しておくべきだった。
法的責任が問えなく(抵挺協の主張する「強制連行」が誤りである)、「道義的」意味での補償プログラムだったアジア女性基金を妨害した抵挺協とサヨクの政治活動の問題は韓国内の国内問題である。そして昨年末の慰安婦問題日韓合意にて『慰安婦問題を含め、日韓間の財産・請求権の問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定で最終的かつ完全に解決済みとの我が国の立場に変わりないが、今回の合意により、慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に」解決された』と安倍首相が述べているように、もはやすべては韓国国内の問題となる。慰安婦に手紙を出せ、出す気は毛頭ないという日韓対立は、韓国政府が自分のやるべきことを自力で成し遂げていないから生じたわけで。
覆水盆に返らず。
韓国人と、韓国政府にはよくよく理解してもらいたいと思う。
2016年10月13日の聯合ニュースで、
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韓国の国会外交統一委員会は13日午前、外交部に対する国政監査を行ったが、沈載権(シム・ジェグォン)委員長が冒頭、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる昨年末の日本との合意の無効を主張し、与党セヌリ党所属の議員全員が抗議して退場、監査が一時中断した。
最大野党「共に民主党」所属の沈委員長は「まだ被害者の痛みと傷を完全に癒やせる解決策を見いだしておらず残念」とした上で、「合意の無効や『和解・癒やし財団』の解体、慰安婦問題をめぐる韓日政府の全面的な再交渉を要求する」と主張した。
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が伝わってくると、韓国人の言う日本のネトウヨからは非難の声が上がる。
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20: ジャンピングDDT(チベット自治区)@\(^o^)/ [LV]:2016/10/15(土) 21:21:37.25 ID:jAvbfUtg0.net
>>15
朝鮮には契約も条約も無いんだよね
彼らは全てを序列で判断するから、序列が上なら下に何を要求しても良い、
逆に下の場合、何を要求されても喜んで応じないといけない
そして、日本は韓国の下位の存在だから、
それを「知らしめる」必要があるというロジック
これが韓国の「反日」の本当の原因であって、歴史問題ではないんだよな
22: ダイビングエルボードロップ(静岡県)@\(^o^)/ [ニダ]:2016/10/15(土) 21:24:10.62 ID:SpRn9C1q0.net
言いがかりを金で解決したら
言いがかりで金がもらえると勘違いした
30: ジャンピングエルボーアタック(長野県)@\(^o^)/ [US]:2016/10/15(土) 21:32:45.42 ID:qkZIWC0c0.net
連中の脳の中には
世の中の人間は全て加害者と被害者しかいないことになってるのか
33: ジャンピングDDT(チベット自治区)@\(^o^)/ [LV]:2016/10/15(土) 21:36:26.16 ID:jAvbfUtg0.net
>>30
その通りなんですよ、冗談抜きで
朝鮮人の中では「甲乙」と呼ばれる概念がある、
これは序列の上下を表すもので、
甲(序列が上)は乙(下)に何をやっても良いという事になっている
そして朝鮮人は自らを「甲」だと考えている訳だ
53: ダイビングヘッドバット(家)@\(^o^)/ [DE]:2016/10/15(土) 22:04:26.36 ID:dbSXn/f40.net
兄が困っているのを見て見ぬふりできる日本人ではあるまい
ここは日本が率先して再度交渉のテーブルに
着くべきではないだろうか?
54: キン肉バスター(家)@\(^o^)/ [NO]:2016/10/15(土) 22:06:46.86 ID:JdfLcnKN0.net
>>53
韓国に帰れキムチ野郎
77: ジャストフェイスロック(茸)@\(^o^)/ [CN]:2016/10/15(土) 23:17:44.33 ID:kW5ZRUw+0.net
遡及なし、不可逆という言葉を理解できる知能はないのか?
つけあがらせるだけだし、交渉の余地はない
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こういう事例が積み重なるから、日本人からは韓国人は、約束・条約を守れない人間、時系列で物事が考えられない(不可逆的に解決)人間、自分たちで約束したことを実行できない人たちと見下されるようになる。嫌韓感情というのは歴史問題から生じたわけではなく、今現在進行している韓国人の振る舞いに対する日本人の嫌悪感、拒否感ということが理解されるようになると、もう少し議論が進むと思うのだけどな。
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