『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』を読む前に

僕は朝日新聞を信用していない。
デマと捏造をちょくちょく流す問題メディアだと思っている。
風評被害?営業妨害?
僕は「サンゴ汚したK・Yってだれだ」(朝日新聞珊瑚記事捏造事件)と、最近だと「吉田調書事件」をリアルタイムで目撃したからさ。ああいう嘘記事を書いてしれっとしているメディアを誰が信用できようか。自分たちの「プロダクト」に責任を持たず、虚報、誤報だという訴えに対し誠実に向き合わない体質の企業は本来は社会から排除されるべきなのに、まだ生き残っているのか、と半ば呆れている。

その朝日新聞が関係しているハフィントンポストも、これもまたある種独特のバイアスのかかった気持ち悪さがあって、あまり触らないようにしていた。あの朝日新聞が絡んでいるのだから、とんでもない「角度」をつけられていることもあるだろうから。

たまたま。
本当にたまたま、朴 裕河(パク・ユハ)世宗大学教授の記事を読んでしまった。
これがなかなか興味深い。

彼女は現在著書「帝国の慰安婦」に関して名誉毀損で訴えられている。

「それでも慰安婦問題を解決しなければいけない理由」の中で、彼女はこう書いている。

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言ってみれば同様に戦争に動員されたのに、慰安婦のための法は存在しませんでした。(帝国)国家は男性を戦争に動員し、男性のための「法」は準備しましたが、女性のための法を作らなかったのです。そういう意味では慰安婦問題で日本の補償と謝罪は必要ですが、それを問うための法自体が存在しない事実を見過ごすことはできません。もちろんこれは、近代国家のシステム自体が男性中心だったからです。

したがって、日本に対し「法的な責任」を問いたくても、その根拠となる「法」自体が存在しないというのが私の考えです。「法的責任」を問うには、まずそこに返って議論しなければなりません。その意味でこの問題は、韓国が要求する問題というより、むしろ日本が主体的に考えるべき問題です。

同時に、「法」という概念がそもそも国家システムを支えるものだけに、国家を代表する「法」にこだわる発想が、倫理的な解決にどれほど役立つのかも議論されるべきでしょう。「法」は、時に気持ちがこもることもありますが、この問題をめぐる「法律論争」が、おおむね謝罪の気持ちを持っていた90年代の日本国民を完全に無視したことも念頭に置くべきです。国家と国民と謝罪の関係についても問わなければなりません。それは「1965年に補償は終わった」と主張する日本政府や、「個人の請求権が残っている」と主張する韓国政府がともに再考する問題でもあります。

韓国が主張してきた「法的責任」要求の問題の一つは、90年代初めに慰安婦問題の本質を「少女の強制連行」と考えていたときに提起された主張だという点です。その後20年余りの間、慰安婦問題について新たな知識が多数生じたにもかかわらず、最初の要求が全く変わっていないことへの説明も必要です。

新たに明らかになった事実とは、問題を提起した韓国の支援団体が、挺身隊と慰安婦を勘違いしていたこと、業者が軍隊と慰安婦を媒介したこと、村山談話が実は、自民党の戦後処理についての思考につながっていたこと、韓国には責任回避の「小細工」としか理解されなかった「アジア女性基金」が、実は河野談話と村山談話の精神を受け継いだものだったこと、その基金から「償い金」を受け取った元慰安婦が60人もいること、日韓国交正常化の時、日本は個人への賠償を残しておこうと提案したのに、韓国政府が代表して受け取ってしまったことなどです。もちろん、これらすべてを考慮しても、女性たちに「地獄」を経験させた責任が日本帝国にあることは言うまでもありません。問題は、どのような形で謝罪と補償をすれば、これらすべての事項を念頭に置きつつ、両国民の理解と合意を得られるかという部分です。これまでの主張や拒否は、いずれもこの部分への注意を払っていませんでした。
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この問題を韓国内で議論するために、帝国主義とジェンダー(?)を持ち出さざるを得なかったのだろうな、と推測しつつ、彼女ですら韓国人的な情緒・思考から逃れることはできないのだろうという部分を差っ引いて、できる限り綺麗に内容をクリーニングしたら有益な議論が見つけられるんじゃないか……。そう期待して本を買ってみた。

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韓国に純真無垢な少女像を定着させたのは、韓国の慰安婦運動を率いてきた支援団体です。大事なのは20年以上経ち、新たに判明した事実が、少しずつ運動と展示に反映されながら、そうした認識の変化がメディアで公式には明らかにならなかったことです。

(中略)

にもかかわらず、そうした状況はきちんと認識されず、韓国の運動は世界へと領域を広げ、1億人署名運動、記念碑建立、韓国政府の閣僚や大統領が世界に発信した日本批判によって拡散しています。問題は韓国の広報専門家、サイバー外交使節団、歌手、女性部ホームページまで巻き込んだ活動が、必ずしも正確な情報のみに依拠していないという点です。

(中略)

2014年1月にフランスで開かれ、日韓間に摩擦を生んだアングレームの漫画展は、そのような日韓間の現状を端的に示した出来事でした。

韓国は日本の反発を、ただ謝罪意識がないからだとしか思いませんでした(実際にそういう考えの人はいなくはないようですが)。しかし反発の根源は、慰安婦についての表現に、事実とかけ離れたものがあったからです。にもかかわらず、アングレームの展示はソウルの中心部で展示され、多くの学生らに観覧されて日本に対する敵愾心を育てています。
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これから本を読み進めていく上で、僕は朴 裕河氏を「話のわかる韓国人がいるじゃん」と思うことはないだろう。
おそらく真相は「日本軍に強制連行された純真無垢な20万人の少女」と「すべて金目当ての売春婦だ」という主張の間ぐらいにあるのだろう。
それを修正するチャンスはあったのにしなかったのは、日本にうっぷんばらしをしたい韓国人の心理、ジャパンディスカウントと国是としていた韓国政府の思惑、挺対協に絡む北朝鮮と中共の思惑、日本国内のリベラルと名乗る反体制・コミュニスト・一部の外国人らがうごめいていたこともあるのだろう。朴氏の指摘する「反発の根源は、慰安婦についての表現に、事実とかけ離れたものがあったから」というのはその通りで、日本の右派が態度を硬化させているのには韓国側の主張に度外れた嘘と誇張があり、それが日本に大変な不利益をもたらしていると考えているからだ。「日本軍に強制連行された純真無垢な20万人の少女」しかも「彼女らは性奴隷にされ、虐殺されて命を落とした」と韓国人が喧伝するほど、日本からは韓国人は嘘つきだと言わざるを得なくなる。そもそも「慰安婦問題」になんの手を打つべきなのか、という議論にならず、両国の世論に板ばさみになった政府は身動きが取れなくなる。

朴 裕河氏はセウォル号の悲劇について「韓国社会の価値観が一つに集約された結果として引き起こされた、あまりにも脆弱な社会構造を見ました。そしてこの問題を巡っても、韓国社会は分裂と混沌の様相を見せています。慰安婦問題をめぐる状況がセウォル号の悲劇をめぐる状況と無縁ではないと考える」と述べている。

僕はあの事件を見ながら、無責任な社会運営、数字がコロコロ変わる不正確な情報伝達(発表)、冷静さに欠け扇動されやすい人々、分裂する世論、被害者が王様になってしまう歪な思考、「救助が早く進むと思った」という善意から発した「船内からの偽メール」(善と考える目的遂行のためには嘘は許容されるという考え方、行動様式)、テレビの前に立つ虚言癖の女、責任者に水をぶっかけ叫ぶ人々などなど、「This is Korea」に絶句した。たぶん、韓国社会は他の世界には類のない、思考と行動に支配された人々の暮らしている場所なのだろう。


「帝国の慰安婦」というタイトルを見たとき、僕は直感的に思った。
彼女は帝国=帝国主義=大日本帝国という図式で語っているのだろうけれど、もともと女性を大切にしない腐れて崩れ落ちた大韓帝国という問題、責任は語っていないのだろうなと。

どちらにしても、まずは読んでみてからだ。

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