お昼御飯を「民芸茶房」という食堂で摂った。
刺身と小アジの干物をセットにしたランチだった。
その食堂は漁港の入り口にあって、店の隣では干物を製造販売している。
その時の僕は、全身生臭い臭いをまとっていたのかもしれない。
まつざき荘へ戻る道に建ち並んだ家の玄関に、姿勢良く座って外を眺めている白い猫がいた。
道の反対側にしゃがんで声を掛けてみると、のっそり寄ってきて、手のひらの匂いをクンクンとかぎ、頭をグリグリ押しつけて戻っていった。
普段猫に声を掛けても100%無視されているので、やけにうれしくなった。
猫が遊んでくれたのは、学生時代にテキサスに滞在していた時以来だったから。
帰宅して、ほったらかしにしていた「猫絵十兵衛 御伽草紙」を手に取ってみた。
いろいろとやばいわ。
1巻に1話は号泣させられるわぁ~。
江戸時代+猫話だから、好きな人にはたまらん設定なんだろうと思う。
僕はかねがね「逝きし世の面影」を大絶賛しているから、一気にこの作品が好きになった。江戸時代は、教科書が教えるよりも、たぶん、ずっと良い時代だったのだろう。
「猫絵十兵衛 御伽草紙」の第10巻に「お伊勢猫の巻」という話がある。
江戸で蕎麦屋を営んでいるオヤジは、暑さにやられて寝込んでしまっている。
オヤジは横になりながら、飼い猫のチコに伊勢音頭を唄って聴かせる。
「伊勢に行きたい~伊勢ェ路みたい~せめてナ~~、、もう一度……」
ある晩、オヤジの病状が急変する。
苦しんでいるオヤジの姿を見たチコは家を飛び出し、伊勢神宮代参の旅に出る。
江戸後期はお伊勢参りが全国的に流行していた時代。
チコはお伊勢参りの巡礼者たちに付いて西へ向かう。
賽銭の袋と御幣を首に結んでもらうと、伊勢参り猫のできあがり。
宿屋は首に結んだ路銀から宿代を取る。
途中、雲助の籠屋に路銀を取られそうになるも、「伊勢参りの奴に手ェ出すのは気分が悪ィや」と助けられ、重たい路銀(たぶん銅銭)を銀貨に両替してもらう。
四つ足は不浄のものとされていたが、参拝を許されて、お札をいただく。
たくさんの人の善意に支えられて、チコは江戸へ帰還する。
こんな都合のいい話があるものなんか??
江戸時代の人は、みんな優しい人たちばかりだったのか?
いや……そういえば、伊勢のおはらい町に犬がいたっけ。
あらためてこの「おかげ犬」について調べてみたら、猫絵十兵衛のエピソードがおかげ犬から取られていることが分かって驚愕した。
福島県須賀川の旧家、市原家の8代目を継いだ市原綱稠に飼われていた白毛の秋田犬シロは、人間の言葉がなんでもわかって、買い物をしたり用足しをしたりする利口な犬で、町中の評判であった。
市原家では、毎年伊勢の皇太神宮の春のお祭りには、主人が欠かさず参拝するならわしにしていた。ところが、ある年主人が病気のために行けなくなってしまい、みんなで相談して、このシロを代わりにお参りさせることにした。
そこで、「この犬は、主人が病気のため、代わって伊勢の皇太神宮にお参りさせるもので、途中水や食べ物を欲しがって立ち寄ったときは、食べ物を与えて相当の代金を取り、その金高を帳面に書いてもらい、また、この犬は人間の言葉がわかるので、「伊勢までの道順をよく教えてください」という帳面を入れた頭陀袋を首にかけ、人間にものを頼むようにこまごまと言い聞かせて、家族が町外れまで見送って出発させた。
市原家では朝晩神棚に灯明をあげて、無事に帰れるよう祈った。
それからまるまる2ヶ月目の夕方、シロが無事帰ってきた。
頭陀袋の中には、皇太神宮のお札と、宮司の奉納金の受け取りや、途中での食べ物の代金を差し引いた帳面も入っていた。
市原家ではみんな涙を流して喜んだ。
また、「主人に代わってお伊勢参りをした忠犬」ということで町の大評判となって、みんなにかわいがられたが、それから3年後に病気で死んでしまったという。
おかげ犬は「殊勝な犬である」と喜捨を授かることもあって、300文をつけて送り出した犬が、3000文を持って帰還した例もあるのだとか。
去年のこの日、僕は一人で伊勢神宮に向かっていたことを思い出し、これもなにかの縁だと思った。
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