意識高い系のネット記事のコメントで、これを見つけた。
「意識高い系ってのは基本的に大学生が生み出した言葉で、就職活動において目標を高く持ち、いち早く積極的に行動する人々を指す言葉でした
しかしその中で実が伴っていない人の存在が目に付くようになり、いつからか揶揄としても使われるようになりました」
あーあー、分かる、これは良く分かる。
元々就活においていち早く積極的にOB訪問したり、業界研究できる学生は「意識の高い学生」と呼んでいた気がする。たぶん「(これから社会人になる)意識の高い学生」くらいの括弧書きが暗黙のうちにつけられていたと思う。
そもそも「意識の高い学生」≒「リア充」であったと僕は思う。いわゆる友達がたくさんいて、勉強、恋愛、スポーツ何でもできる健全なワカモノってイメージ。要領が良くて行動的だから、そうじゃない学生からは嫉妬と羨望の眼差しを受けていたかもしれないね。
で、その後「その中で実が伴っていない人の存在が目に付くようになり、いつからか揶揄としても使われる」ようになって「系」という漢字がお尻に付くようになった。「実」が伴っていない人は無駄にアピールすることが多く、周囲から煙たがられるようになるのはどの世界でも同じ。
ところで「意識高い系」という言葉は、そもそも別方面のルーツもあったんじゃないかと思うのですよ。例えば「リサイクル意識高い製品」とか「エコロジー意識の高いサービス」とか。あるいは「グローバル意識の高い人」「ボランティア意識の高い人」「動物愛護意識の高い人」とか。そういう「意識の高い」とされる製品や、それを愛用する人たちのクラスターを「意識高い系」と誰かが呼んだ。あるいは「B層」のようにどこかの広告代理店関係者が名付けたのかもしれない。
こういうクラスターは欧米では「リベラル」に分類されることが多い。
で、リベラルはどちらかというと「反戦平和」を唱える人が少なくない。
ところが日本の場合、敗戦による戦争アレルギー等々が底流にあったにせよ、このクラスターには常に日本共産党、日本社会党と、その外部組織の労働組合の影響があった。
千葉麗子が「国会前などのデモが、共産党関係者ばかりになるのに気づき、私は『やり方がおかしくない?』と疑問をぶつけました。でも、誰も聞く耳を持たない。異なる意見には一切耳を傾けないのが彼らの本性です。それで約2年前、私は国会前でマイクを握っている最中に『もうやってらんねぇよ!』と叫び、マイクを投げ捨てました」と語っている。これはリベラルの一派パヨクと呼ばれている集団だが。
僕の感覚ですら、「意識高い系」≒日本固有の「リベラル」≒「コミュニスト」=「反政府勢力」「反日本外国勢力」という図式がある。
この元記事に戻る。
なぜ「意識高い系」というカテゴリーを我々はつくりあげたのだろうか。
言い換えると、なぜ「意識高い系」な人々は意識高い系な人々としてうっとおしがられているのだろうか。
それはなんとなくわかる。
意識高い系は、無邪気すぎる。無邪気に、「困った人々」や「弱い人々」を支えたがる。
困った人々や弱い人々は、意識高い系の人たちが思うほど、実は困ってもいないし弱くもない。いや、客観的には、貧困や児童虐待やドメスティック・バイオレンス等で困っている。困ってはいるが、意識高い系の人々が思うほど、「直線的に」(単純にというかストレートに)困ってはいない。
そのお困り感を何かに転移しているし、誰かのせいにしている。そうした、非常に複雑で非常に「人間的な」葛藤があるのだが、それらの複雑さは意識高い系の人々には残念ながら(というかラッキーにも)伝わらない。
また、意識高い系の人々は、実は社会問題そのものをあまり知らなかったりする。
たとえば、貧困問題や児童虐待の問題の奥深くに存在する、「人間ならではのどうしようもない問題」についてはそれほど考察を深めていなかったりする。
ドストエフスキーや中上健次や村上龍の小説を読んでいなくとも、我々人間は、「闇」に覆われた存在だ。
いや、闇そのものが人間だと、僕は解釈している。
意識高い系は「闇」を知らない
http://blogos.com/article/172888/
この文章はちょっと分析が甘くて、社会起業家なんかはそうかもしれない。
でも、SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)などを引きで見れば、SEALDsに寄り添っている大人達に闇はちらちらと現れている。同じ住所と電話番号、銀行口座を持つ「なんとかの会」「何とかの協議会」「なんとかネットワーク」とか、本当の闇は見えてくる。
だから「意識高い系」クラスターの裏に棲む、真の闇を僕らは本能的に知っているから、「意識高い系」を遠ざけようとする。意識高い系は闇を知らないのではない。意識高い系は「闇」を覆い隠す仕組みの一つに過ぎないのだ。
それにしても、「社会起業家っていつから成りあがりのコースになったんだか」って意見には100%同意する。昔なら「押し売りと広告屋はお断り」と看板が出ていたもんだが、いつのまにか「大手広告代理店」がエグゼクティブな商売にイメチェンしたかのようだ。
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