これは、 宋文洲って人がBLOGOSに発表した文章の一部。
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一番分かったことはお国の許可がないところに行った国民がテロ行為に遭っても「自己責任」という理由で彼らを見捨てる日本人の多さでした。それと二人が殺害された後、半旗を掲げる国々がたくさんありましたが、日本はそんなことをしないだけではなく、追悼の活動さえ見えてきません。
「断固非難」「絶対許しません」という無力な言葉を発されても、逃げているように見えてしまいます。遠吠えは猿でもできます。この世の中にはテロを認める人はいません。テロリスト達は自分の行為をテロではなく正義のための聖戦や抵抗だと解釈しているのです。
「日本人はみな優しい」。日本に旅行した中国人観光客は口を揃えます。実際に私もそう思います。しかし、今回の二人の殺害の際に見せた多くの日本人の、「自己責任」「勝手に行っただろう」という反応を真当たりにして私は悲しかったです。優しさとは何でしょうか。
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別に宋文洲氏が中国人だから、という風に言いたくはないけれど、海外の人は「日本人の優しさ」と「自己責任の厳しさ」が表裏一体になっていることを理解していないのだなあと思った。彼の文章の最後にある『今回の二人の殺害の際に見せた多くの日本人の、「自己責任」「勝手に行っただろう」という反応を真当たりにして私は悲しかったです。優しさとは何でしょうか』という問いかけに強烈な違和感を感じるのは、彼の発言の後ろに、日本人の「優しさ」へのただ乗り、甘えが見え隠れするから。
そして『ISILによる日本人人質事件で考えた、ジャーナリストの使命と「自己責任論」の先にある危険な風潮』というジャーナリストたちの思い上がりも、国民一般からうさんくさく見られている原因だと思う。ジャーナリストって、そんなに崇高な職業か?田原総一朗氏の発言に違和感を感じるのだ。
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人質となった後藤健二さんに対して、「危険な国に勝手に行ったのだから、自己責任だ」という意見がある。確かに自分の意思で行くのだから、自分の責任だろう。だが、ジャーナリストというのは、危険なところであっても行くものだ。現地に行かなければわからないことが、たくさんあるからだ。
今回の現場はシリアだった。紛争地域である。だが、たとえ国内であっても災害や事故が起こった危険な現場へジャーナリストは行くのだ。僕も、そうした場数はたくさん踏んできた。
そしてジャーナリストが、こうして危険と隣り合わせで取材した情報によって、視聴者や読者は真実を知る。みんなが、現実について考えるためのきっかけや材料を提示するのだ。僕たちは、こうやって民主主義の根幹を支えていると思っているのである。
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ジャーナリストやマスコミが、勝手に使命感を感じて危険地帯に飛び込んでいくのは好きにすれば良い。リスクを取った結果、手に入れた情報を売る。それがジャーナリストの経済活動。売文業なのだと思う。その経済行為を「僕たちは、こうやって民主主義の根幹を支えていると思っている」と言挙げして、正常な状態では儲けは自分たちの財布に。今回のような異常事態が発生したときは「社会コスト」と言わんばかりにツケを国民に回すことを疑問に思わない彼らの考え方に違和感を感じる。マスコミ、一部のジャーナリスト、そして一部のいわゆる「知識人」が、彼らの勝手な使命感を国民に「理解しろ」「共感しろ」と強要しているかのような発言が、むしろ全体主義に繋がるような気持ち悪さがあるのだ。
だから、国民の多くが「自己責任」だと指摘するのだろう。
冷たいのではない。個として、他者とは別の位置に立っているのだと思う。
日頃「ファシズムが〜」「全体主義が〜」「息苦しい世の中だ〜」と叫んでいるジャーナリスト、マスコミ、知識人とか言う奴らが、身内のトラブルのツケを他人に回すときだけ「日本人だから助けて当然」「日本社会の一員なのだから金を出して当然」などと「日本」に甘えることを他人に強要して恥じないから、国民の多くが「自己責任だ」突き放すのだと思う。
どんな職業に対しても使命感をもって取り組んでいる方々がいると思うけど、ジャーナリストは特別なんだ的な感じはやめてほしいよね。
返信削除今も旅券を取り上げられてブーブー言っている人がいるようだけど、「行くのはやめれ!」っていう地域に行こうとすること自体、迷惑・・だと思います。
今回の後藤さんとは直接関係ないのかもしれませんが、危険な仕事をフリーのジャーナリスト、フリーのカメラマンに振って、その成果だけを買い上げている既存マスコミにも大きな問題があると思うんです。
削除あれだけ危険な場所で取材させるなら、発注者たるマスコミが「2億ドル」の身代金準備金を積み立てておくべきだと思うのです。でも、大手メディアがそういう準備をした上で、フリーの方々を使っているとは思えないんですよね。
マスコミが他産業を口撃するときの口癖「構造的問題がぁ〜」がここにも現れているわけで、弱いところにしわ寄せがいってるんじゃないかと。
そういう意味では国民の言う「自己責任」は、危険地帯に飛び込むジャーナリスト、カメラマンのみならず、マスメディア産業にも向けられているのかもしれない気がしました。
ネットの人々は大手マスコミが嫌いですしね。