スタジオジブリが新作をリリースしたとなれば、日本人として何らかのコメントを出さなければならない……みたいな空気があるような気がします。
で、宮崎駿監督最新作「風立ちぬ」を観てきました。
なんというか、宮崎駿氏の矛盾がそのまま作品に結実したような印象です。
先日の「熱風」の小論文によれば、宮崎駿氏は戦争反対の平和主義を唱えつつ、子供達に戦争をさせるような作品を創る人。戦闘機という殺戮兵器に、見いだした「美」を賛美してしまう矛盾。療養させておかねばならない最愛の妻を手元に置いて、結果として死期を早めてしまった事を「わたしたちには時間がない」と押し切ってしまう矛盾。
そもそもスタジオジブリというアニメプロダクションも不思議な立ち位置なのかも。
たとえばディズニーは、アニメで「殺戮」はやらないでしょ。いつまで経っても動物がべらべらしゃべるヤツだとか、そういう路線は変えない。それがディズニーらしさというか。実写でドンパチしたいときはタッチストーン・ピクチャーズでやってる。
ジブリは、トトロや千と千尋の神隠しといったファンタジー路線、火垂るの墓、風立ちぬといった社会派(?)、風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタのようなSF路線みたいなものが混じって出てくる。そこら辺のごった煮っぽいのは何故なんだろう??
で、風立ちぬに戻るけれど、主人公の「空想」部分と、リアル部分がごちゃごちゃ入り組んでいて分かりづらかった。なんて言うのだろう、晩年の黒澤明作品が「黒澤っぽいなにか混乱したもの」っぽいように、宮崎駿作品も「宮崎駿っぽいなにか」に堕して行くのだろう。色彩はジブリクオリティで美しいけれど、新海誠作品のようなスタイリッシュ感はないし。なんとなく監督が主張したいことらしいものは感じられるのだけど、ストーリーは破綻気味で着地点がいまいち微妙。
僕の隣に小学5年生くらいと中学生らしい兄弟がいて、エンドロールを眺めながら「兄ちゃん、これってハッピーエンドなの??わからないよ…」と弟が尋ねると、「超バッドエンドだよ!」と兄が答えていたな。
本当に反戦を訴えたいなら、もっとえげつなく「戦争は反対だ!!」と登場人物に叫ばせたらいい。だけど、主人公は戦闘機という殺戮兵器のデザインの中に、機能美を追求し続けちゃう人なわけで。薄い反戦平和っぽいメッセージがあるにもかかわらず結構恋愛映画で、だけど名作「ひまわり」のような反戦映画には昇華されず。
エンドロールが終わったあとの、劇場内に流れていた微妙な空気に「これをどう評価したもんだか」という懊悩が現れているような気がしたんだけど。
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