あまり目くじらを立てたくはないんですが。
>同性愛者の男性は、右の睾丸よりも左のほうが大きい傾向があるんじゃないでしょうか。
統計を取ったわけでもないのに、こういう俗説を広められてもなあ……。
ちょっとパンツを下ろして調べてみるわ。(;´Д`)
ゲイに天才が多いのかどうかはわかりませんが、自分の真の姿を曝して、はっちゃけてしまった人は強いと思います。また、枠を外れて常識にとらわれない表現をできる人が注目を受ける可能性はあるかもしれません。それが本当に芸術的な才能に裏打ちされているかどうかはさておき。
脳の構造がちがうのでは?という説は、なんとなく僕は支持しています。
もっとも、ゲイが女性の気持ちが理解できるというのは俗説だと思います。せいぜい話し好き、話を聞くのが得意、女性と似た視線で物事を眺めることができる位のもの。女性の理解者とか言われると、もの凄く戸惑いますね。
ゲイで、後生になにかを残した人は、孤独な人が多かったんじゃないかと思います。
孤独だからこそ、仕事に打ち込んだのではないかと。
でもそれって、ノンケの世界でも同じですよね。孤独と仕事は。
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新研究 あの著名なミュージシャン、作家、画家・・・
なぜ天才にゲイが多いのか
ユダヤ人ピアニスト、ホロヴィッツは言った。「この世には3種類のピアニストがいる。ユダヤとゲイと下手くそだ」と。音楽に限らず芸術分野で活躍するゲイは多い。いったいなぜなのか、探究した。
スポーツは不得意
『ドリアン・グレイの肖像』で知られる詩人ドリアン・グレイの肖像は1895年、自らが男色の罪で告訴されている法廷で、〝ある言葉〟の意味を検事に問われ、こう説明した。
〈それは年嵩の者が年若き者に寄せる偉大なる愛の別称なのであります。プラトンの哲学の基礎であり、ミケランジェロやシェイクスピアのソネットにも見いだされるものであります。深く精神的な愛にして、純粋かつ完全である。シェイクスピアにせよミケランジェロにせよ、偉大な芸術作品の決め手となったのはこの愛であり、作品のすみずみにまで息づいております〉(『ゲイ文化の主役たち』(青土社)より)
このワイルドが糾弾の場でさえ褒め称え、「芸術作品の決め手」とまで言い切った〝ある言葉〟とは、同性愛のことであった。
ソクラテス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、トルーマン・カポーティ、アンディ・ウォーホル、エルトン・ジョン---これら歴史に名を残している天才たちは、ゲイだと言われている。日本にもミュージシャンや作家や画家などの中に多数いる。
ゲイを含む同性愛者の割合については、人口の1~2%、あるいは4%ともされる。だが、いずれにしても数%程度の少数派である。それにしては、傑出した才能を持った人があまりに多く、そしてある分野に偏在しているように思える。
たとえば音楽家である。
「作曲家で指揮者としても知られるレナード・バーンスタインは、〝アメリカのクラシックはゲイがつくった〟という言葉を残しています。ジョージ・ガーシュウィンなどの例を挙げるまでもなく、アメリカの偉大な音楽家にゲイが多いのは事実です。
世界的に見てもそれは同じで、恋人であった甥に遺作となった交響曲第六番ロ短調『悲愴』を捧げたチャイコフスキー、当時のスターテノール歌手と生涯を添い遂げた作曲家ベンジャミン・ブリテンなど、クラシックの主流には欠かせない存在です。
作曲家、指揮者、歌手、演奏者すべてにおいてゲイは常に中心的存在なのです」(クラシック音楽評論家ヴァレリー・シャー氏)
文学も多数のゲイが活躍する分野のひとつだ。ゲイ文学を研究する翻訳家の柿沼瑛子氏は語る。
「海外ではちょっと大きな書店に行けば〝GAY〟というジャンルの棚があるくらいにはポピュラーです。サマセット・モーム、ジャン・ジュネ、ジェームズ・ボールドウィンなど、作家名を挙げ始めればきりがないくらいです」
その他にも画家、俳優、ファッションデザイナーなど、ゲイは芸術的な側面において、非凡な才能を発揮している。なぜなのか。
実は近年、同性愛者と異性愛者の、身体や脳の構造の違いに関する研究が進められている。
『同性愛の謎』(文春新書)の著者である著述家・竹内久美子氏は解説する。
「カナダのブロック大学の研究者たちが、同性愛者813人と、異性愛者3417人、合わせて4230人を対象に測定を行った結果、同性愛者の方が異性愛者より身長が低く、体重が軽い、ということがわかりました。
またウエスタンオンタリオ大学の神経学者J・A・Y・ホールらの研究では、男性同性愛者は男性異性愛者に比べダーツ投げなどの運動が全般的に苦手だという結果が出ました」
つまりゲイには小柄な人が多く、スポーツは得意でない傾向にある、というのである。
右より左の睾丸が大きい?
睾丸についての調査も興味深い。この調査の前提として知っておくべきことは、通常、男性は右の睾丸が大きく、女性は左の卵巣が大きい傾向があるということだ。
「カナダの生物学者ドリーン・キムラの研究によれば、右の睾丸が大きい男性は、計算や空間認識といった本来男性が得意とされる分野に秀でている。
ところが逆に左の睾丸が大きい男性は、言語能力や色分けといった女性が得意とするものに秀でていて、それも並の女性よりもずっと得意なことが判明したのです」
そう話す竹内氏は、以上のことから、次のような可能性を指摘する。
「同性愛者の男性は、右の睾丸よりも左のほうが大きい傾向があるんじゃないでしょうか。そのために男性でありながら、ときに女性顔負けの能力を発揮するのかもしれません。たとえばメイクアップアーチストやスタイリスト、美容師、華道家などの職業で活躍する男性には同性愛者が多い印象がありますが、それはこうした背景があるからだと考えられるのです」
それでは頭脳の方はどうか。山元大輔・東北大学大学院生命科学研究科教授は、男性の同性愛者の脳は、女性に近い部分があるという。
「人間の脳には、通常女性に比べ男性のほうが明らかに大きい、性行動に関係があるとされる性的二型核という部位があります。アメリカの同性愛教育研究所のサイモン・ルベイという脳解剖学者が脳の組織標本を調べた結果、この二型核が同性愛者の男性の場合、女性のそれとほぼ同じ大きさだったことがわかりました。男性の同性愛者は女性に近い脳をしていると言えます」
脳における男女の違いを研究するカリフォルニア大学のロジャー・ゴルスキー教授はこう付け加える。
「脳の性差を調べる過程で、同性愛者と異性愛者の間においても、脳の構造に差があることがわかりました。大きく違うのは前交連という、右脳と左脳をつなぐ脳梁という部位の一部分です。その断面積は、一般に女性が男性よりも13%大きいのですが、男性同性愛者のそれを測ってみると、女性より18%、男性異性愛者より34%も大きかったのです」
男性同性愛者の脳は、少なくとも前交連の部分においては、〝超〟女性的ということになる。この前交連の働きを前出・山元教授は解説する。
「女性は脳の右半球と左半球の機能が男性ほど分化しておらず、そのため、両半球をつなぐ前交連の部分が発達していると考えられます。つまり、女性は両半球を同時に使ってさまざまな処理をしていることになる。
前交連が太い男性同性愛者は、女性以上に左右の脳を使う度合いが大きいと言えます。
天才的な男性にゲイが多いとすれば、それは脳が多数派とは違う構成をしているからでしょう。
独特な認知機能を持つわけですから、その創作物もユニークになりやすいはず。芸術性や独創性を問うような世界では、それだけ他から抜け出しやすいことになる」
天才たちの苦悩
天才にゲイが多い理由を身体構造に求める声がある一方で、それは社会構造によるものと唱える者もいる。自身が女装家であり、性社会・文化史研究者で都留文科大学非常勤講師の三橋順子氏がそうだ。
三橋氏は、ゲイが少数派であることが、特異なセンスを発揮するベースになっていると言う。
「ゲイは社会的抑圧が厳しいだけでなく、自己嫌悪にとても苦しむんです。なかなか自己肯定ができない。どうして自分は人とは違うのだろうかと悩み、極端な場合、自殺を考えることもあります。
でも、そんなところから、もし開き直ることができたら、常識にとらわれない発想や視点をもてるようになるんだと思います。
美輪明宏さんが言っていたんですが、三島由紀夫は自分の同性愛嗜好に対するコンプレックスが人一倍強かったそうです。そういうものを克服することで、クリエイティブな能力を発揮するゲイが出てくるんじゃないでしょうか」
ゲイの精神的な孤立が独自性を生み、自己を受け入れた時、クリエイティブな能力となると分析しているのだ。実際、前出のクラシック評論家シャー氏もゲイの才能の開花条件に関して、同様の指摘をしている。
「ゲイの作曲家ジョン・コリリアーノは、芸術の世界で成功するには、性的嗜好について正直であることがもっとも重要である、と言っています。天才は自分の性的嗜好を隠そうとすればするほど、才能が抑えられる傾向にあるのです」
あるいは、前出の『ゲイ文化の主役たち』の著者でヴァッサー大学のポール・ラッセル教授はゲイの二重性に着目する。
「ゲイはマイノリティとしてかつてひどい扱いを受けてきたため、礼儀正しく、かつフレンドリーな傾向があります。また、自分たちゲイの世界だけでなく、異性愛者の世界も理解しようと努めます。そういう意味でゲイは並行して2つの世界に住みながら物事を考えている。この環境が特殊な発想につながる可能性はあります」
ラッセル教授は、こうした理由から天才にはゲイが多いと安直に考えることに対しては警鐘を鳴らす。
「少なくとも特に同性愛者に天才が多いという統計はありません。天才にゲイが多いと感じるとしたら、ゲイに天才がいるだけで目立つからでしょう。
ある自著のなかで、私は異性愛のセックスシーンを5回、同性愛のセックスシーンを2回書きましたが、読んだ人に聞くと、回数の多い前者はまるで忘れていたのに、後者のことは克明に覚えていました。ゲイとはそれだけで注目を集めるものなのです」
フランス文学者の鹿島茂・明治大学国際日本学部教授は、文学的なアプローチで、ゲイと天才の密接な関係を紐解く。
「文学作品においては、まず異性愛がわからない、というのがポイントになります。
たとえ作品の中で異性愛が描かれていても、ゲイ作家には異性愛の感覚が理解できないため、それを別のものに置き換えて書くことになる。
結果として普通の異性愛とは違う非常にふしぎな世界を描くことになります。それが文学性を生むことがあるわけです。
またゲイ作家は、わからない異性愛をどうにか描こうとするために文章に様々な工夫を凝らす。その結果、文章技巧が発達する。
だからゲイの作家には文章の美しい作品が多いのです。この典型例が三島由紀夫の作品だと思います」
20世紀から急増した
自分では理解できないものを表現しようと悪戦苦闘した末に、ゲイ作家は、流麗な文体を手に入れた。鹿島氏はさらに、作家だけでなく、芸術家全般にゲイが多い理由についても解説する。
「そもそも創作物とは、男性原理に女性原理が混じった時初めて芸術になるものです。
例えば韓国映画はこれまで男性原理偏重で軍隊を描いた作品ばかりでしたが、近年女性原理を取り入れ始めて世界的に受け入れられるようになった。
芸術はハイブリッドなものなのです。
小説で説明すると、ストーリーを進行させる縦のベクトルと、言葉の響きと文体とかを追求する横へのベクトルが必ずあって、両方がなくてはつまらない。
そのなかで、縦は男性的な要素です。男は基本的に狩りをして、前進する性質を持ちます。それに対して横のベクトルは、女性的です。言葉の美しさに敏感です。
ゲイはこの横のベクトルに優れている。語感や音韻、文体など、言葉の感覚に優れた作家が多いのです。縦以上に横のベクトルが突出しているゲイの小説は、ともすれば物語性が低いとみなされてきた。
ところが20世紀以降、小説というものが物語から離れてくると、評価されていくわけです。
だからゲイの作家はプルースト、コクトー、カポーティなど多数いますが、実は19世紀まではほとんどいない。20世紀から急激に増えるのです」
画家の場合はどうか。鹿島氏が続けて説明する。
「絵画の出発点は鏡です。現実は3次元ですから、それを2次元に処理しないと絵画にならない。その3次元から2次元への処理とは、鏡がまさにやっていること。つまり鏡をよくみる人が絵画の才能に目覚めやすいということです。
そして鏡はモノを映すだけで発展性のないものです。だから男性はあまり好まない、女性的なものと言えます。
ゲイは自己愛が強い傾向にあるので、鏡もよくみる。だから画家にもゲイが多いのではないでしょうか」
脳の認知機能の独自性、社会的マイノリティとしての精神的な孤立、そして自己愛ゆえの芸術への情熱。これら3つがどうやら、天才にゲイが多い理由と言えるのではないだろうか。
「週刊現代」2012年2月11日号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31728
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