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ふと、このような「壊滅」的な光景を思い出した。昭和史の本などに出ている、昭和20年3月の大空襲で焦土と化した東京の写真である。
戦災と天災の違いはあるが、その「壊滅」性においてはほとんど同じようなものが感じられる。
江藤淳は1970年に、「戦後民主主義」の日本を「ごっこの世界」と批判した。そして、その「ごっこの世界」が終わるとすれば、「そのときわれわれは、現在よりももっと豊かに整備され、組織され、公害すらいくらか減少したように見える70年代後半の東京の市街が、にわかに幻のように消え失(う)せて、そこに焼跡と廃墟(はいきょ)が広がるのを見るであろう。そして空がにわかに半透明なものたちのおびただしい群にみたされ、啾々(しゅうしゅう)たる声がなにごとかをうったえるのを聴くであろう」と書いた。
そして、日本人はそのとき、いつの間にか頭を垂れ、その沈黙の言葉にいつまでも聴(き)き入る。その声は、戦争で死んだ300万人の死者たちの鬼哭(きこく)であり、眼前に広がるのは敗戦当時の東京の焼け野原の光景である。
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正論 文芸批評家 都留文科大学教授 新保祐司
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110404/plc11040403050000-n1.htm
この文章は、たぶん、4月4日以来、ものすごい数の引用があったんだろうな。
江藤淳なんて、しばらく忘れていたよ。
すでに1970年代に黙示録のような本を書いていたことに驚かされた。
石原慎太郎が「天罰だ」と発言して騒動になったけれど、ある種感性の鋭い人たちには、東日本大震災の犠牲者たちは、これから日本が再生してゆくための尊い人柱だったと感じたのではないだろうか。もちろん、犠牲者の方々に責任なんてないですよ。一方で、神というか、自然の運行はしばしば荒ぶることがあり、それに巻き込まれた犠牲者を弔い、社会を再生させることで進歩してきた歴史があることも事実で。抗いようのない自然現象に巻き込まれて命を落とすのも運命であり、他の命を助けようと運命に抗って命を落とすのもまた人間の営みであるとは言えまいか?
東日本大震災に直面して、あらためて僕たちが大天災を伴なう危うい場所で暮らしていること、技術への過信と組織硬直がもたらす弊害、行き過ぎた個人主義と拝金主義、そして進歩主義的と自称する左翼たちがどれだけ社会害悪だったのかが明らかになった。たまたまだけど、ITバブル以降の行き過ぎた個人主義、拝金主義者たちが次々と投獄されたことも歴史的なめぐり合わせなのかもしれない。
都市と文明が根こそぎ津波に飲み込まれたあと、そこに残された人たちを救ったのは地縁と地域コミュニティであって、個人主義なんてなんの役にも立たなかった。避難民を誘導していて命を落とした市職員、警察官は「自分がやらなければ誰がやるんだ」という強烈な自負心と責任感の塊だった。
泥まみれになって日夜働いている自衛隊の姿は、「軍隊は、国を守るが国民は守らない」(新城・奥三河九条の会)という左翼の嘘を吹き飛ばしてしまった。「自衛隊は暴力装置」と嘯いた仙石をはじめとする左翼集団民主党が、いざいったん有事となれば「大変な作業をやっていただいていることに感謝する」(菅直人)という厨二病的ご都合主義だったという現実も明らかにしてしまった。
一番誠実な人たちが、一番苦しいところで歯を食いしばって頑張っているのに、大江健三郎をはじめとする妄想似非知識人と、社会党・マスコミを始めとする国家・社会の破壊者たちを野放図に放置してきた結果、本当に日本は壊れかけていたんだと思う。
今回改めて感じたのは、危機が来るたびに、皇室は再発見されるってこと。
前回の敗戦の時は、帝国主義の時代に世界へ乗り出して手痛い失敗を食らった。国民国家が溶解するんじゃないかって危機に、皇室をシンボルにしてなんとか乗り切れたわけだけど、あの時は戦争のシンボルに天皇が登場したこともあって反発する人も多かったようだ。特に大陸帰りの共産主義かぶれの者に多かったと聞く。あの時、軍部の一部が皇室=国体といい、国体の護持を主張していたことを思い出す。僕も若かった頃はそのエピソードを見るたびに「別に天皇=日本国じゃないだろうに」と思っていた。
東日本大震災は、戦後、アメリカ流グローバリズムに侵食されて、表面はどんどん曇って汚れて行った日本人の中に、すばらしい資質が脈々と生き残っていることを明らかにした。そして、古来以来、数多くの災害や内乱などくぐり抜けながら、天皇を頂点とする公共の秩序の基底は依然として維持されていて、「歴史的に国民の公への信頼の『究極の受け皿』となってきた存在は、天皇」であるという指摘は、今回も見事に証明された。左翼のうすっぺらい進歩主義なんて、その圧倒的な信頼感の前に撃破された。左翼は、この圧倒的な歴史的信頼感をぶち壊そうと長年画策してきた。
近代主義(近代市民社会の自由・平等・独立の原理を確立しようとする思想的立場。手法は自由主義、社会主義、共産主義などがあった)が廃れ、ポストモダニズムの行方が混迷している今、改めて皇室の重要性がクローズアップされているように思う。
東日本大震災で、天皇は、荒ぶる自然との付き合い方と犠牲者の鎮魂を身を持って示してみせた。まるで魔法の杖を振ったかのように。日本人はそれを自然に受け入れ、自らが為すべき仕事に取り掛かった。外国人にはわけがわからなかったに違いない。が、どういうわけだか天皇とは、日本人のDNAの中に潜んでいるなにかにアクセスでき、日本人・自然・歴史の架け橋となる不思議な存在なのだ。それは一代のカリスマの力ではなくて、歴史の継続性に裏打ちされているところに強さがある。
左翼的立場をとるマエストロ宮崎駿は"もののけ姫"において、エボシによる人間中心主義の近代的自然観と、自然の側からそれに対抗するもうひとりの主人公=サン(もののけ姫)によるアニミズム的自然観と、アシタカによる共存の自然観という三様の自然観を併存させてみせた。現実の日本人はもっと複雑だった。宮崎駿をもってしても解明できなかった日本人の本質は、現在のところ、アミニズム的自然観を内包する近代主義で、欧米流の個人主義よりは、利他的集団主義だったのではなかろうか。
世界が壊れて。
いわゆる都市文明が僕らの手の中から失われて。
憲法が、法律が、まったく機能しない無政府状態に陥っても。
たぶん、僕らは大丈夫。
危機のたびに皇室は再発見される。
答えはいつも身近な所にある。
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