韓食はなぜグローバル化しないのか?第3弾。
過去ログはこちらから。
なぜ韓食はグローバル化しないのか?(1)
なぜ韓食はグローバル化しないのか?(2)
韓国人は常に物事の本質を見誤っている。
「韓食の国際化」については、wikiの記述をあたって欲しい。ここで繰り返すのはあまりにも冗長になりすぎる。だけど思うに、常識的に考えて鎖国でもない国の料理が美味かったら、それは勝手に広まってゆくはずだろう。あるいは朝鮮人は世界各国に移民しており、そこで朝鮮料理屋を営んでいる。すでにグローバル化している。どう考えてもグローバル化はされているのである。
しかし、彼らがいまさら税金までつぎ込んで「韓食のグローバル化」などというバカバカしい運動を繰り広げているのは、韓国人が抱いている「自分たちの料理はこういう形で世界が受け入れるべきニダ」という妄想が実現していないために違いない。まっことバカバカしい限りなのだ。自分たちの料理文化は優秀であり、世界が韓食を受け入れていないのは、「宣伝が足りないからニダ」と思い込んでいるのだろう。実にくだらん。
2008年に韓国政府は「韓国料理、世界5大料理化」元年を宣言し、2017年までに韓国料理を世界5大料理に育成することを目指して活動を開始する。国の冠のついた食文化が、そもそもベンチマークとマーケティングで実現すると考えているところが、すでに朝鮮人の浅はかさフルスロットルなのだ。
ところで、世界3大料理、世界5大料理とは、一体いかなる定義だろうか。
興味があるので調べてみた。
諸説があるものの、wikiの解説にすばらしい定義がある。
世界三大料理(せかいさんだいりょうり 英 : The Three Grand Cuisines)は、伝統的には中華料理、トルコ料理、フランス料理のこと。いずれも宮廷料理の背景があり、食通の王侯や皇帝が広大な領土の各地方・各民族の料理法を糾合し、珍味の食材を蒐集し、また多くの名料理人を召し抱えて腕を競わせた結果、多彩で豪華な料理文化が発達した共通の歴史を持つ。
残念ながら、その基本要件を朝鮮半島が何一つ満たしていないことだけが明白だ。
フィクションのチャングムでも見て、彼らは変な妄想を抱いたのだろう。
世界5大料理とはどのようなものなのか?……とその前に、世界4大料理という区分もあるそうだ。
それは、中華料理、トルコ料理、フランス料理、イタリア料理なんだそうだ。例の服部先生は、中華料理、フランス料理、イタリア料理、日本料理を挙げている。まあなんだ。3大料理が歴史的に定義がほぼ鉄板だとしても、4大料理とかになると、追加されるのは、その時どきで世界的に流行している食事になるのだろう。世界4大料理にトルコ料理を残しておくと、韓国は日本料理を蹴落として、4大料理、あるいは5大料理にのし上がれると考えているのだろう。ろくな食文化を持っていないくせに、連中は世界トップクラスの食文化に朝鮮料理が肩を並べられると思い込んでいるのが、騒動の発端なのだ。しかも「世界化とはどういうことなのか?」という本質をまったく理解できていないままに。オリジナルで勝負……それが世界で受け入れられるものなのか?新たに開発した食事は、単なる無国籍料理や創作料理で、韓食の世界化とはほど遠いのではないか?そんなことも検討せずに。
3大料理、4大料理になっている食事は、少なくとも数百年の歴史を持つレシピが受け継がれ、磨かれてきたものだ。韓国人は、なにかとてつもない勘違いしているのではないだろうか。
もっとも印象論だけを書き綴っていても説得力がないので、次回、少しデータを並べて説明してみたい。
データの入力は終了し、一部分析は始まっているのだけれど、例のハードディスク障害以来、初のデフラグ作業がいつまで経っても終わらないのだ。orz
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【コラム】韓食のグローバル化、オリジナルで勝負
2011年05月11日16時35分
昨年末、世界経済を動かす米ニューヨーク・マンハッタンの中心部タイムズスクエアにビビンパの広告が流れた。
強烈な色彩が目を引くこの広告の中のビビンパは私たちが食べるビビンパそのものだった。外国人には違和感があるのではないかという心配の代わりに、私たちの味と美しさで外国人を魅了させるという自信。韓食のグローバル化はそのように進んでいかなければならない。
韓食のグローバル化は私たちの飲食を扱う国内企業の必須課題に定着した。現在までの結果を見ると、韓食のグローバル化の可能性は肯定的だ。ニンニクや塩辛、私たち固有の香辛料、そしてキムチに眉をひそめる外国人は今ではほとんど見られない。むしろ海外市場で韓国食堂は毎年増えている。顧客の大半が現地人という記事の内容からも、韓食に対する世界の認識が変わっていることが分かる。
韓食のグローバル化はこのように表面的には順調に進んでいるようだ。しかしその方法論をめぐっては今でも意見が分かれている。オリジナルか、フュージョン(融合)か、という問題については特にそうだ。双方ともに一長一短があるものだが、やや長い時間がかかっても私たちのものをそのまま外国の消費者に出すことを勧めたい。
フュージョンは韓食のグローバル化を早める方法かもしれない。しかし韓食のグローバル化は望んだ結果を得たからといって終わるものではない。終わりのない過程であり、持続する過程を通して望む結果を絶えず作り出さなければならない。これを考えれば、やや時間がかかるとしても、最初から着実に進めるのがよい。韓食をありのままに知らせて味わってもらい、そしてこれを外国の食文化の中に定着させることが必要だ。その後に続くフュージョンはさらに大きな力を発揮するだろう。
もう一つ、飲食は文化だ。新しい文化が受け入れられるのには長い時間がかかる。文化の精髄である飲食も同じだ。このため韓食のグローバル化も長期的な観点で接近しなければならない。一回性のイベントとして接近するには、世界の人々に知らせることがあまりにも多い。
接近方法に対する考察も必要だ。韓食ブランドで接近するのもよいが、それよりも韓食コンテンツ自体を知らせるのが先だ。食堂概念ではなく製品単位で接近することから一つひとつ始めなければならない。韓食ブランド、あるいは飲食店を通した横的輸出には限りがある。もちろん拠点は必要だ。しかし長期的に見れば、韓食コンテンツ自体が競争力になるのが望ましい。「キムチ」が競争力を得れば、「キムチ料理専門店」は自然に競争力を持つようになる。
誰でも新しい食べ物を選ぶ時、その味の説明を求めるが、多すぎる味の表現は外国人が韓食を選択するうえでむしろ混乱を与える。このため韓食のグローバル化のためには用語の整理も重要だ。
韓食のグローバル化はまだ始まったばかりだ。やるべきことも多く、前途も長い。私たちのキムチ・焼き肉・トッポッキがカレー・寿司のように世界の人々が楽しむ飲食、さらに進んで文化になるには、それだけ政府と企業の長期的な観点に基づいた努力が必要だ。
イ・サンチョル大象FNF代表
中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=139845&servcode=100
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