鎮魂

晴れ。
宮城県で震度6の地震発生。東京も震度4でかなり揺れた。
ビックリしたね。

さて、バカ話ばかりしているのも気が引けるので、たまにはマジメな話もしてみようかと思う。昨日は8月15日で終戦記念日だった。相変わらず靖国参拝問題で一部の世論と周辺国が騒いでいたが、 国会議員47人と多くの軍人遺族・戦没者の遺族が参拝したとのこと。相変わらずA級戦犯と呼ばれている方々との合祀問題を取り上げて、首相の参拝にクレームがついたり、あるいは靖国神社と別の参拝施設を作るべきじゃないかという議論もあったりする。戦没者としては2,466,532人(2004年10月 17日現在)が祀られているそうだ。

僕個人の素朴な考えの持ち主は、やはり自分よりも前の時代に生き、国家の命令で命を失った人に対し、自発的に敬意と鎮魂の気持ちを現す場所があることは必要だと思っている。過去と現在の自分とのつながりについて思いを巡らすことは必要だと。

合祀分祀の議論では、靖国神社側はいったん合祀したものは分祀できないと言う。それはローソクにともった灯りを集めるようなもので、いったん一緒になった火を一部だけ取り出すことは不可能だ。一部は全部であり、全部は一部であるであるからだという。
では合祀とはいったいなにがなされているのかというと、リアルな表現をすると亡くなった方の名簿が収められている。別にお骨が山積みになっているのではないのだ。
そう考えると靖国神社という存在は、ずいぶん抽象的でシンボライズされたものなのだという気がしてくる。例えば実際に目の前に骨壺が240万個積み上げられたとしたら、その圧倒的なスケールに誰もが言葉を失うのではないかと思う。その存在から目を背けることはできなくなると思う。そして否が応でもその亡くなった人たちと自分との関係について何らかの思いを巡らさざるをえなくなるに違いない。

こんなことを言うのは、数年前ワシントンのアーリントン墓地に行った経験があるからだ。季節は2月、ポトマック川を渡ってくる風に凍えながら、墓地の中を歩いた。見渡す限り無数の十字架。有名なケネディ大統領の墓の周囲にさえ人影はなく、永遠の炎が静かに揺らめいているばかりだった。
すれ違う人影もまばらな参拝路を歩いていると、圧倒的なスケールの死者がひたひたと迫ってくる。僕は、こういう死者を出すような状況になってはならない、生者としてこの死者たちの訴えに向き合わなければならないと感じた。もちろん全部の訴えと向き合うのは無理な話だが。

A 級戦犯分祀案、分祀ができなければ靖国神社とは別の慰霊施設を作ろうという議論がある。これは僕の想像だが、別の慰霊施設というのは参拝の対象としてとても抽象的な存在になるような気がするのだ。例えば参拝の対象が「平和への祈念像」みたいな、現代美術っぽいものとかになったりしてさ。だが抽象化が進むほど、リアリティは失われ、それを議論する人間たちの間で空論化がすすんでしまう。空論化が進むと本質が見えなくなる。

僕を含めて、頭だけで考えてしまうと、靖国神社にシンボル化されてしまった大事な何かを見失ってしまう気がする。時には240万人という犠牲の大きさを全身で感じ取ることも 必要だと思う。僕は戦いに出て悲しい想いをする人がいない世界が来ればいいと思ってる。僕にとって死者たちの存在は、戦いのない時代の実現を目指せという 無言の後押しになっている。

戦没者の霊を弔うのは、形式はともあれいずれの国でもやっていること。それを他人から口をはさまれたからといって実行しないのは、やはり正しくないように思う。その代わりに同じくらい、周辺国の戦没者を弔うことにも力を入れてゆけばいいと思う。

稚拙な雑感で恥ずかしいが、僕はこんな風に考えてる。

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