別府に滞在していて、まだ最終回見れていません。
だってテレビもない部屋なんで。
「何言ってんだ。死ぬなんてそんな、そんなこと言うもんじゃない。食い物、油と糖分控えてさ、薄味にして腹八分目で長生きしような、俺たち」
名ゼリフきたー!!! らしいですね。
ウチの場合、
「何言ってんだ。死ぬなんてそんな、そんなこと言うもんじゃない。食い物、油と糖分控えてさ、薄味にして腹八分目で、酒も減らして長生きしような、俺たち」
「最後のヤツは抜きで」(真顔)
とジルベール顔で彼氏に言われそうな気がする。
彼氏は可愛くて仕方ないんです。
彼氏と過ごす週末
予定通り来日した彼氏と過ごす週末。
ホテルでグダグダしながら、きのう何食べた11話を見たり。
ランチから肉バルで酒飲んでいたり。
シロさん、ケンジ君並みに幸せな週末を過ごしとりました。
来週末は彼氏と早い夏休みを過ごしてきます。
ホテルでグダグダしながら、きのう何食べた11話を見たり。
ランチから肉バルで酒飲んでいたり。
シロさん、ケンジ君並みに幸せな週末を過ごしとりました。
来週末は彼氏と早い夏休みを過ごしてきます。
きのう何食べた 第11話
週末の楽しみになってるんだが、今日から彼氏が来日。
明日はベッドで額を突き合わせてiPadで最新の「きのう何食べた」を見る予定。
そうなると、午前中ベッドでグダグダすることになりそうなんで、朝ごはんを買い込んで部屋に戻ることになるなあ。
なに、このデブ製造機みたいなメニューっ!?
これ僕らへの嫌がらせでしょう、もう!
相変わらずジルベールのキレっぷりにしびれるわ~。
ジルベールいじられまくりも含めて神回でしたね。
それにしても磯バーグ(w
きょう何食べる?
いっちょ嚙みのブラウンさん。
そういうノリ、嫌いじゃないよ(w
明日はベッドで額を突き合わせてiPadで最新の「きのう何食べた」を見る予定。
そうなると、午前中ベッドでグダグダすることになりそうなんで、朝ごはんを買い込んで部屋に戻ることになるなあ。
なに、このデブ製造機みたいなメニューっ!?
これ僕らへの嫌がらせでしょう、もう!
相変わらずジルベールのキレっぷりにしびれるわ~。
ジルベールいじられまくりも含めて神回でしたね。
それにしても磯バーグ(w
きょう何食べる?
いっちょ嚙みのブラウンさん。
そういうノリ、嫌いじゃないよ(w
腐女子、うっかりゲイに告る。最終話を見て
わりと駆け足というか、唐突な終わり方したなあと思ったな。
LGBTに政治的フォーカスが当たっていて、今期は特にLGBTネタのドラマが多かった。
だけどなんてかなあ……少なくとも「腐女子、うっかりゲイに告る。」は、ちょっと一周以上遅れの印象がするんですよね。
もちろん原作ありきだから、原作を逸脱することはできないのだけど。
同性愛者の苦しみ・悩みをリアルに描き出す、って啓蒙ドラマって、少なくとも公共ドラマでやるにはかなり「遅い」んだと思うのな。
「腐女子、うっかりゲイに告る。」の最後は、ゲイの安藤純が大学に進学して、自己紹介の時「僕はゲイです……」とカミングアウトすることを暗喩するような終わり方だった。それは、公共放送のドラマとして価値ある内容だとは思えないんだよなぁ。
一人のゲイとして、いま、このタイミングでゲイネタで公共放送に挑戦して欲しいのは、「シン・ゴジラ」であり、「桐島、部活やめるってよ」なんだよ。
なんてか、同性愛者の苦悩・生きづらさを描くのは3、ある人が同性愛者だと打ち明けた(あるいはバレた)結果、周囲の人間関係に及ぼす影響、周囲の人たちの心の動き・悩みを描く。いま、本当に必要とされているのは、ゲイを取り巻く世界の完全なシミュレーションドラマなんだと思う。
Eテレで流しているみたいなお為ごかしな予定調和ではなく、マイケル・サンデルの胡散臭い白熱教室でもなく、見てみたいのはヒリヒリするような現実世界での摩擦。
数百年前の誰かがつぶやいたドグマ(経典)を頭の中から外してみよう。圧倒的多数の異性愛者の中に少数の同性愛者が混じっている現実世界で、お互いの苦悩、利害調整の問題、誤解・偏見(があるから差別)、様々な制度の問題をぶつけ合って、その落としどころを描いたものを見てみたいんだよね。
偏見って、異性愛者・同性愛者双方にあって、一方的に同性愛者が偏見・差別に晒されているとは言わないし、言えない。セクシャリティを外してみれば、同性愛者も誰かに偏見を持ち、差別するなんてことはいくらでもあるのだから。
まあ、いろいろ大変だと思うよ。
学校一つとっても着替えの問題、トイレの問題が出てくるだろうけど、これをどう解消するのか。全部別にすれば良いのか、第三の場所を用意して隔離すれば良いのか、入れ替え制にすれば良いのか、となるとカリキュラムにどんな影響があるのか……これだけでも色々と語れることはあると思う。
損得含めて現実を提示しないまま、ゲイの少年にカミングアウトを勧めるようなドラマを流すのは安直だと思うわけで、NHKにはもっと精進して欲しいのです。
LGBTに政治的フォーカスが当たっていて、今期は特にLGBTネタのドラマが多かった。
だけどなんてかなあ……少なくとも「腐女子、うっかりゲイに告る。」は、ちょっと一周以上遅れの印象がするんですよね。
もちろん原作ありきだから、原作を逸脱することはできないのだけど。
同性愛者の苦しみ・悩みをリアルに描き出す、って啓蒙ドラマって、少なくとも公共ドラマでやるにはかなり「遅い」んだと思うのな。
「腐女子、うっかりゲイに告る。」の最後は、ゲイの安藤純が大学に進学して、自己紹介の時「僕はゲイです……」とカミングアウトすることを暗喩するような終わり方だった。それは、公共放送のドラマとして価値ある内容だとは思えないんだよなぁ。
一人のゲイとして、いま、このタイミングでゲイネタで公共放送に挑戦して欲しいのは、「シン・ゴジラ」であり、「桐島、部活やめるってよ」なんだよ。
なんてか、同性愛者の苦悩・生きづらさを描くのは3、ある人が同性愛者だと打ち明けた(あるいはバレた)結果、周囲の人間関係に及ぼす影響、周囲の人たちの心の動き・悩みを描く。いま、本当に必要とされているのは、ゲイを取り巻く世界の完全なシミュレーションドラマなんだと思う。
Eテレで流しているみたいなお為ごかしな予定調和ではなく、マイケル・サンデルの胡散臭い白熱教室でもなく、見てみたいのはヒリヒリするような現実世界での摩擦。
数百年前の誰かがつぶやいたドグマ(経典)を頭の中から外してみよう。圧倒的多数の異性愛者の中に少数の同性愛者が混じっている現実世界で、お互いの苦悩、利害調整の問題、誤解・偏見(があるから差別)、様々な制度の問題をぶつけ合って、その落としどころを描いたものを見てみたいんだよね。
偏見って、異性愛者・同性愛者双方にあって、一方的に同性愛者が偏見・差別に晒されているとは言わないし、言えない。セクシャリティを外してみれば、同性愛者も誰かに偏見を持ち、差別するなんてことはいくらでもあるのだから。
まあ、いろいろ大変だと思うよ。
学校一つとっても着替えの問題、トイレの問題が出てくるだろうけど、これをどう解消するのか。全部別にすれば良いのか、第三の場所を用意して隔離すれば良いのか、入れ替え制にすれば良いのか、となるとカリキュラムにどんな影響があるのか……これだけでも色々と語れることはあると思う。
損得含めて現実を提示しないまま、ゲイの少年にカミングアウトを勧めるようなドラマを流すのは安直だと思うわけで、NHKにはもっと精進して欲しいのです。
腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。 第7話
最終回を前にして、NHKとして見せ場を作ったつもりの第7話。
見せてもらおうか、NHKの人権意識とやらを!
…………30分後
ダメだ……こいつら全然わかってねー(頭痛いわー)
と僕は頭を抱えていたわけです。
日曜日の朝から。
全般の雑感……古臭い、もうなんてか、演出、ストーリー運び、すべてが古い。
体育館の演壇で独白、独白をやめさせようとする教師と、それに飛びかかる生徒達。
1980年代の金八先生のセンスをいまだに演るのかと……。
頭いてぇ……。
なんかね、第7話はいろんなことを分かっていない気がするんだよ。
例えばアウティング。
三浦紗枝が腐女子をカミングアウトするのは勝手にすればいい。
だけど安藤純を巻き込む必要があったのか?
生徒たちがどうして善人ばかりという前提を描けるのか?
アウティングの問題は、カミングアウトがとてつもない悪意に晒されて、結果としてゲイの居場所の喪失、下手すりゃ自殺にまで行ってしまう危険性なんだよね。
高校を卒業して、居場所を変えられる自由が得られるまで、それはやらない方が良いと僕は思ってる。逃げ場のない学校・教室という監獄で、悪意と向き合うのはとてつもなく大変。学園はなにか聖域、みんな善人、仲良しこよし。話し合えば皆分かり合える、みたいな意識で学園ドラマ作っているとしたら、それ、相当分かっていないですから。
ドラマでもちょこっと出てくるSNS。
これで悪意がばら撒かれたら、本当につらいですよ。
異性愛者の子でも自殺に追い込まれるのに、同性愛者なんてさらに弱い立場だからね。
安藤純はイケメン(で良いんだよね??)でしょ?
これがとんでもないブサメンだったらって想像できました?
誰も助けてくれないよ?
つらいよ?
ほんと、「ただしイケメンに限る」って前提で話が進んでいるの分かってる?
(ここら辺がやおい論争に通じる部分なんだけど)
小野雄介が「男だったら!」というセリフがあるけれど、ゲイが主人公のドラマでそれはねーよなあと。LGBT教育したという設定だったけど、何の教育をしていたの?
「男・女それ以外にも性は多様なんだよ」ってテーゼ、自ら壊してない?
三浦紗枝が安藤純にキスを求めるシーンがあるけど、マウス・トゥ・マウスもないなあ。てか、それができるならバイセクシャルでしょう?
僕が同じことを求められたら、頬っぺたにチュッですよ。
個人個人考え方はいろいろとあると思うけれど、マウス・トゥ・マウスのキスは性愛の「性」に属するものだと僕は思うんですよ。人類愛的なキスだったら頬っぺたか、オデコか、手の甲か……。
新宿二丁目で酔っぱらってビアンとキスする時だって、唇はねぇーわ。
てか、素面だったらキスすらねーわ。
ないない。
しかも、腐女子、ゲイにキス強要でしょ?
ノリでやっちゃいましたという感じのドラマじゃないし、NHKは分かってこのシーンを作ったのか僕はTVの前で固まってしまってました。
同性愛を取り上げるとき「性愛」を避けることができない分、同性愛者が「性」と「愛」をどう切り離しているのか、NHKはもっと考察しても良いかなと思う。
「秘め事」
Queenのこと、語れる知識はないけどさ、フレディー・マーキュリーはゲイを公衆の面前でカミングアウトしたことはないよな?
だから、Queenをゲイに関する文脈で語るにしても、それは「隠されたアイコン」としてであって、故人をアウティングに近い形で取り上げるのは良いことだとは僕は思わないんですよ。
カミングアウトして、何も包み隠さない、自分をすべて曝け出せばハッピーという考え方は、ゲイの中でもそれほど支持されてはないと僕は思っています。
人間、誰だって「秘め事」を抱えて生きてるし。
ドラマの中で「透明な壁」という表現が出てくるんだけど、それはゲイからしてみれば自己防衛であり、逆には優しさでもあったりするわけ。ゲイだと秘め事を打ち明けられて、それに耐えられますか? その秘め事を守ってやれますか? そのくらい世界はタフに育っていますか?って。
(逆に言えば、セクシャリティなんてものがどーでもいい事柄になってしまえば、この話はすべてどーでもいいことになるんだが。この世が宗教というものに縛られている限り、それはどーでもいいことにならないんだよなぁ)
僕だってどうでもいい人の「秘め事」なんて触りたくもないし、知りたくもない。
なんで他人の秘め事を受け入れて、配慮してやらなきゃならないのか、ってね。
「秘め事」だから、触れないし、偶然知ってしまったら、それは他人に漏らさない。
僕が今できるのは、そこまでだから。
腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。 第7話
とても暴力的でした。
「あいつ来月結婚するんだって!」
「うっそー、あいつノンケだったの!?」
くらいな組織にならない限り、NHKはこの手の微妙なドラマに手を出すには早すぎる。
腐女子はいる、ゲイもそれなりにいる、だけどBLと腐女子に理解を示すゲイはそれほど多くないから、取材でカバーしようったって難しいよ、ほんとうに。
そこ、分かっていたのかなあ。。。。
次、NHKがゲイドラマやるんだったら、田倉トヲルの「こいものがたり」を映像化してみたらいい。こちらの方がよほどリアリティがある(ただしイケメンに限る、ではあるけれど)。
見せてもらおうか、NHKの人権意識とやらを!
…………30分後
ダメだ……こいつら全然わかってねー(頭痛いわー)
と僕は頭を抱えていたわけです。
日曜日の朝から。
全般の雑感……古臭い、もうなんてか、演出、ストーリー運び、すべてが古い。
体育館の演壇で独白、独白をやめさせようとする教師と、それに飛びかかる生徒達。
1980年代の金八先生のセンスをいまだに演るのかと……。
頭いてぇ……。
なんかね、第7話はいろんなことを分かっていない気がするんだよ。
例えばアウティング。
三浦紗枝が腐女子をカミングアウトするのは勝手にすればいい。
だけど安藤純を巻き込む必要があったのか?
生徒たちがどうして善人ばかりという前提を描けるのか?
アウティングの問題は、カミングアウトがとてつもない悪意に晒されて、結果としてゲイの居場所の喪失、下手すりゃ自殺にまで行ってしまう危険性なんだよね。
高校を卒業して、居場所を変えられる自由が得られるまで、それはやらない方が良いと僕は思ってる。逃げ場のない学校・教室という監獄で、悪意と向き合うのはとてつもなく大変。学園はなにか聖域、みんな善人、仲良しこよし。話し合えば皆分かり合える、みたいな意識で学園ドラマ作っているとしたら、それ、相当分かっていないですから。
ドラマでもちょこっと出てくるSNS。
これで悪意がばら撒かれたら、本当につらいですよ。
異性愛者の子でも自殺に追い込まれるのに、同性愛者なんてさらに弱い立場だからね。
安藤純はイケメン(で良いんだよね??)でしょ?
これがとんでもないブサメンだったらって想像できました?
誰も助けてくれないよ?
つらいよ?
ほんと、「ただしイケメンに限る」って前提で話が進んでいるの分かってる?
(ここら辺がやおい論争に通じる部分なんだけど)
小野雄介が「男だったら!」というセリフがあるけれど、ゲイが主人公のドラマでそれはねーよなあと。LGBT教育したという設定だったけど、何の教育をしていたの?
「男・女それ以外にも性は多様なんだよ」ってテーゼ、自ら壊してない?
三浦紗枝が安藤純にキスを求めるシーンがあるけど、マウス・トゥ・マウスもないなあ。てか、それができるならバイセクシャルでしょう?
僕が同じことを求められたら、頬っぺたにチュッですよ。
個人個人考え方はいろいろとあると思うけれど、マウス・トゥ・マウスのキスは性愛の「性」に属するものだと僕は思うんですよ。人類愛的なキスだったら頬っぺたか、オデコか、手の甲か……。
新宿二丁目で酔っぱらってビアンとキスする時だって、唇はねぇーわ。
てか、素面だったらキスすらねーわ。
ないない。
しかも、腐女子、ゲイにキス強要でしょ?
ノリでやっちゃいましたという感じのドラマじゃないし、NHKは分かってこのシーンを作ったのか僕はTVの前で固まってしまってました。
同性愛を取り上げるとき「性愛」を避けることができない分、同性愛者が「性」と「愛」をどう切り離しているのか、NHKはもっと考察しても良いかなと思う。
「秘め事」
Queenのこと、語れる知識はないけどさ、フレディー・マーキュリーはゲイを公衆の面前でカミングアウトしたことはないよな?
だから、Queenをゲイに関する文脈で語るにしても、それは「隠されたアイコン」としてであって、故人をアウティングに近い形で取り上げるのは良いことだとは僕は思わないんですよ。
カミングアウトして、何も包み隠さない、自分をすべて曝け出せばハッピーという考え方は、ゲイの中でもそれほど支持されてはないと僕は思っています。
人間、誰だって「秘め事」を抱えて生きてるし。
ドラマの中で「透明な壁」という表現が出てくるんだけど、それはゲイからしてみれば自己防衛であり、逆には優しさでもあったりするわけ。ゲイだと秘め事を打ち明けられて、それに耐えられますか? その秘め事を守ってやれますか? そのくらい世界はタフに育っていますか?って。
(逆に言えば、セクシャリティなんてものがどーでもいい事柄になってしまえば、この話はすべてどーでもいいことになるんだが。この世が宗教というものに縛られている限り、それはどーでもいいことにならないんだよなぁ)
僕だってどうでもいい人の「秘め事」なんて触りたくもないし、知りたくもない。
なんで他人の秘め事を受け入れて、配慮してやらなきゃならないのか、ってね。
「秘め事」だから、触れないし、偶然知ってしまったら、それは他人に漏らさない。
僕が今できるのは、そこまでだから。
腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。 第7話
とても暴力的でした。
「あいつ来月結婚するんだって!」
「うっそー、あいつノンケだったの!?」
くらいな組織にならない限り、NHKはこの手の微妙なドラマに手を出すには早すぎる。
腐女子はいる、ゲイもそれなりにいる、だけどBLと腐女子に理解を示すゲイはそれほど多くないから、取材でカバーしようったって難しいよ、ほんとうに。
そこ、分かっていたのかなあ。。。。
次、NHKがゲイドラマやるんだったら、田倉トヲルの「こいものがたり」を映像化してみたらいい。こちらの方がよほどリアリティがある(ただしイケメンに限る、ではあるけれど)。