平成26年度 富士総合火力演習 その3

演習開始の1000まで3時間以上あったが、周囲をキョロキョロしているだけでも飽きることはなかった。何度も来場した人には退屈な時間かもしれないが。途中荷物を置いて買い物に出かけるのも楽しい。シャトルバスに乗ってきた来場者たちの入場が続いている。

0940過ぎだろうか。
雲が迫ってきて、ぽつぽつと雨が降り出した。
売店でズボンのついたレインコートを買ったので、すぐに着る。
横に置いた荷物を、あらかじめ持参したビニル製のゴミ袋で包む。

僕の隣には、雨が降る前から震えている10代の少年がいて、彼は雨具を持参していないようだった。僕は使わなかった100均のレインコート(上着しかない)を彼にあげ、他の人が大きなビニル袋を与えたので、彼はそれにくるまった。雨と防寒対策は必須だと思う。

1000になり、開会するころには雨は激しくなり、しかも霧が出てきて戦車の射撃弾の行方も分からなくなるほど。写真は撮れないし、シートに水が溜まりはじめる。周囲を見ると雨具を持っていない人から、レインコートの人まで会場を逃げ出しはじめた。僕も一瞬悩んだが、荷物を持って撤退を決断。演習が始まって20分も経っていなかったと思う。

御殿場へ向かうバス、タクシーともにお客が長蛇の列を作っている。傘は使えないのでレインコートか、ずぶ濡れになっているしかない。会場からは霧のためプログラムを一時中断するアナウンスが聞こえてきた。1時間ほど待って、僕がタクシーに乗り込む頃、会場から砲弾の炸裂するすさまじい音が伝わってきた。

当初、演習後の機材展示まで眺めて、それからバスに揺られて15時台に御殿場駅前に到着。そして1628の高速バスで東京を目指す予定だった。

御殿場駅には1200頃に到着してしまった。炸裂弾の咆哮は、車で30分以上離れた御殿場駅前まで響いていた。ホテル預けてあった荷物を引き取り、「人参湯」という小さな銭湯に行き、身体を温めた。テルマエロマエに出てきそうな、地方のこぢんまりとした銭湯。タオル、シャンプー、ボディソープを調達して銭湯初体験。銭湯を出ると空には陽光が差していた。不二家レストランでランチを食べ終わったのが1300過ぎ。行きすがらに見つけていたネットカフェで3時間を潰し、東京行きのバスに乗る頃には黄昏時が近づいていた。

とにかく疲労困憊。
今日日曜日も疲れが抜けずにグダグダだ。

★富士総合火力演習に行く人へのアドバイス
・良い席を確保するためには、できる限り早く現地入りすること。それでも席は順番にアサインされるので運次第の要素は排除できない。
・山の天気は変わりやすいので、上下セパレート型のレインコートを持参すること。レインコートは寒いときには防寒具代わりにもなる。
・シート席は前日の雨で汚れたりしていることもあるので、レジャーシートなどを持参すること。水を吸ってズボンのお尻がシミになっているワカモノを結構見かけた。僕は座布団は持って行かなかったが、大きめのレジャーシートを折りたたんで座っていたのでクッション代わりになった。
・大きめのゴミ袋は雨対策、最後にゴミを捨てて行くときの袋にもなるしマストアイテムだと思う。
・荷物は大小あれど1つにまとめるのが望ましい。僕はトートバッグとカメラバックの二つを持っていったが、降雨時のマネジメントが大変だった。一つだけなら苦労はしなかっただろうと思う。
・晴天時は熱中症・日焼け対策。降雨時は防水と防寒対策が必要で、装備はそれなりにふくれてしまうことも覚悟がいるかも。

雨の日の見学は相当過酷なことになるので、早めに撤退する勇気も必要だと思う。

平成26年度 富士総合火力演習 その2

こちらは0630頃から始まった点検射撃の写真。




















戦車が打ち出す砲撃の衝撃は、一般人の想像の及ばないものだ。
空気が歪んで、大音量とともに衝撃波がぶつかってくる。

自走砲なんかもおもしろくて、標的の近くで火焔が赤く連なるのは正直美しいと思った。
でも、この光景を見ていていろいろと思うところがあった。
すでに90歳を超えた母の叔父はインパール作戦の生き残りで、今年届いた暑中見舞いには、戦争捕虜になってバンコクから出発した復員船の甲板で見た南十字星のことが書いてあった。こういう自走砲を引っ張って戦っていた人が身近に生きている事実。あの大轟音のあいだで戦っていた人たちのすさまじさ。

そして、僕の近くで見学者の整理に当たっている自衛官の腕に巻かれた「安全」という腕章。彼の背中を通り過ぎて行く兵器の前で見る「安全」という腕章には、「安全」と「安心」は別物であるという当たり前の事実を再認識される。

軍拡競争をしていても、それが「安全」で、兵力が他国からの侵略行為を押しとどめている源泉力になって戦闘行為が発生しないならば、それは「平和」なのだ。
逆に情緒的に「反戦・平和・非武装・中立」を唱え、それが実現したがために他国からの侵略を受け、戦闘行為が発生したら、それは「平和ではない」のだ。

左翼の唱える「平和と反戦」は、独り善がりのオナニーに過ぎない。相手があっての戦争なのだ。あの強力な火力がこちらに向いて火を噴けば、僕らは殲滅される。あの火力に対して憲法9条は無力だ。夢想家が明け方に見る夢だ。少なくとも僕らを憎悪する半島と、武力で国民を押さえつけ、周辺国の浸食をためらわない独裁政権の大陸がある限り、「非武装・中立」なんてあり得ない話だ。情緒に酔ってどうするのだ。

予行演習の予行演習が終わり、演習場は散水作業や地ならしが行われる。
僕はトイレに行ったが、お腹は大丈夫そうだった。
土産物を売る屋台に人が群がっている。
0800を過ぎ、シャトルバスで来場者が続々と送り込まれてくる。

富士山を見やると、頂上に暈がかかっていた。
富士山に暈がかかると、数時間後には雨が降るという。

平成26年度 富士総合火力演習 その1

「あ…ありのまま昨日起こった事を話すぜ!」ってポルナレフじゃないけれど。
昨日、平成26年度富士総合火力演習を見学した時のことを、つらつらと書いていく。

富士総合火力演習(略して総火演)とは、富士山の裾野に広がる東富士演習場において陸上自衛隊が行う演習の一つで、国内最大規模で行われる実弾射撃訓練のことだ。

今日8月24日が本番の演習実施日で、その予行演習が数日前から行われている。この予行演習は一般公募ではない形で入場チケットが配布されているらしい。僕も先週人づてでチケット(シート席)を貰い、慌てて準備をしたクチだ。

行くからには写真を撮りたい。
スタンドから写真を撮るには相当の望遠レンズが必要。たぶん300mmとか。
シートはそれに比べれば「現場」に近い。手持ちのレンズでもいけるかもしれない。
ただし、シート席は勾配がほとんどないそうなので、シートの3列目以降は人の頭しか見えないという情報があった。狙うならシート最前列だと。そして最前列を狙うなら、できる限り早く現地入りすることが必要だという。

当日5日前に御殿場駅周辺にホテルがあるはずもなかったが、探しまくって一部屋確保。当初は沼津に宿泊して始発の御殿場線に乗るつもりだったが、6:30頃御殿場駅到着では「出遅れ」だという。野宿する歳でもないし。
御殿場駅までの足は色々悩んだが、金曜日の仕事が終わった後、東京駅前から高速バスに乗ることにした。帰りの足も大混雑かもしれない御殿場線を避け、高速バスの席を確保した。

8月22日金曜日。
終業後、のちに悲劇があるとも知らずラーメンを食べ、1948発の河口湖駅行きの高速バスに乗った。市が尾駅を出た後、東名高速を一気に走り、御殿場駅前に到着したのは2200過ぎだった。バスを降りると生暖かい風が吹いていた。東海地方は大気が不安定で、突然の豪雨に見舞われるかもしれないという予報が出ていた。

駅から徒歩約5分のホテルにチェックインした。近くにコンビニはないと言われ、仕方なく明日の朝食用に自販機でパンを二つ買った。のちに悲劇があるとも知らず。
アサインされた部屋の扉を開けたとたん、吹き出してくるカビの臭い。どうやらバスルームの壁が黒カビに浸食されているらしい。場合が場合だったので仕方なかったが、3日も滞在していたら病気になりそうな気がした。
翌23日は0315に起床することに決めた。シャワーを浴び、翌日の荷物をまとめて寝た。睡眠時間は4時間ほどだった。

0315に起床。
シャワーを浴び、髪を乾かしながらパンを食べた。くしゃくしゃに潰れた小倉あんパン。一口食べた時に「なんか、やだなあ」と感じたが無理して食べた。
0340チェックアウト。フロントでタクシーを呼んでもらおうとしたが断られる。タクシー会社側で受付を止めているという。タクシーは駅前で自分で拾ってくれと。ホテルに荷物を預け、御殿場駅前に向かう。気温は23度ほどで肌寒さは感じなかった。駅前には酔客と、どう見ても総火演に集まった人たちがいて、やや焦る。タクシーは5台ほど客待ちしていて、すぐに総火演会場に向けて出発した。

道々運転手さんと会話する。今日一番早く運んだ客は0000頃。総火演会場近くの富士山はガスがかかっていなくて、山小屋の明かりがよく見えたという。0000から現地入りしている人がいると聞き、内心焦った。会場には0415頃に到着した。

砂利が敷かれたまっくらな空間に、タクシー乗降場はあった。目の前に会場へつながっているらしいブリッジがあったが人影もなく、ロープが張られているみたいだった。明かりもなく、月明かりを頼りに目をこらすと、目の前に道路があり、そこに階段があることが分かった。その上方に目をこらすと、暗闇の中に人影がうごめいている。そちらに向かって歩いて行った。

すでに人が列を作っていた。そこはCスタンドのゲートで、30人近い人がいた。座り込んでいる人、荷物だけ置いている人、テントで野営している人などがいた。「最後尾ですか?」と声をかけて歩く。自分も列の最後尾に並び、地面に座り込んだ。多少風は吹いていたが、薄手のウインドブレーカーを羽織っていたので全然寒くなかった。隣になった人と世間話をしながら行き交う人影を眺める。前後の人はミリタリーマニアか、カメラ爺が多くて、話している内容はあまり分からない。0500過ぎると周囲が明るくなってきて、出店の準備や、自衛隊の案内所立ち上げ、そして3列に並ぶように列の作り直しが始まった。

「あ…ありのまま昨日起こった事を話すぜ!」

0500頃からお腹が痛くなった。
とんこつではなかったが食べたラーメンに胃腸が耐えられなかったのか、あるいはホテル出発前に食べたパンが悪かったのか。何回か痛みがあったけど、我慢してやり過ごしていたら汗がポタポタと垂れてきた。脂汗だ。そのうち目の前がチカチカし始めて、キーンという耳鳴りとともに周囲の音が急に遠くなった。虚血状態?? やばい、倒れるかも。きっと顔色は真っ青だったんだろうと思う。荷物を担いでいるのがつらくて地面に置いたが、立っているのもやっとだった。

そんなことを3回繰り返して、たぶん0545頃だっただろうか。ゲート受付のセットアップが始まり、入場開始0630まであと45分となった。再び倒れそうになって「このまま並んでいれば最前列が取れるかもしれない」という欲と、「このままだと倒れる」という危機意識のあいだで、「最前列に場所が取れても、トイレに向かう前に脱糞して生き恥を曝すんじゃ意味がないではないか」という理性が勝ち、僕は泣く泣く列から離脱したのだった。色々準備はしてきたが、脱糞対策は想定外だ。列の前後の人に場所取りをお願いすることも考えたが、0630までに戻ってこれる保証はなかった。

とにかく倒れそうだったので、案内所で救護所の位置を聞いた。そちらに向かって歩き始めると「すっきりー」という表情の自衛官とすれ違い、トイレを発見。しかも少ない洋式が空いていた。ペーパーも十分あった。そこで「土石流」のように排出して、しばらくうずくまっていると体力回復。正直倒れるかと思ったが、出すものを出してしまえばお腹の痛みも治まり、再び戦列に復帰することにした。

Cスタンドの列は形も変わっていて、再度混ぜてもらうのは無理そうだった。Eゲート入り口からだと最前列が埋まるのが若干遅いというネット情報を知っていた。そこでEゲートに向かうと、朝日の下にすでに横3列に並んだ人が100人はいたと思う。シート席最前列は諦めて、おとなしく入場開始を待つ。シート席を掃除するブローラーを背負った自衛隊員たちの姿が見える。

0630の入場開始直後、「どっかーん、どっかーん」と聞いたことのない大音量の衝撃波に襲われ、「うわー」「きゃー」「なに!?」という悲鳴があがる。「始まったな」とニヤニヤしている人によると、点検射撃という予行演習の予行演習があるのだという。来場者に目覚まし一発の大号砲という感じか。

チケット半券をちぎって貰い、パンフと新聞を手に会場に入る。思ったほど大きいという感じはしない。シート見学者の場所割り当ては、自衛隊員の案内に従って横一列に並ばせられて、横いっぱいになると次の列を作るというやり方を取っていた。すでに1列目は埋まっていて、2列目に人を詰め込んでいた。ところが僕の5~6人前で2列目が埋まり1枚目のシートが埋まった。そこで細い通路に沿ってシート2枚目に列を作ることになった。僕の前に並んでいた5~6人が奥に向かい、そして僕が割り当てられた場所は、たぶん弓形の地形に沿って1枚目のシートが途切れていた場所。2枚目のシートにかかわらず実質最前列。しかも通路があるので足も伸ばせるという悪くないポジションだった。神さまに感謝したよ。

目の前では「どっかん、どっかん……ババババ」と砲弾が射撃され、ヘリも飛んで来るわで、1000のスタート前からお腹いっぱいという状態。

平成26年度 富士総合火力演習に行ってきました

書きたいことは色々ありますが、疲労困憊しました。
詳しくは後日ご報告と言うことで。

腕の良いWebエンジニアと

知り合いたい。

どーすればいいのだか。。。。

BLマンガにおいても同じこと。

夏のコミケが終わり、今年も同人作品がたくさん生み出されたんだろう。
ここしばらく「最近のBLマンガがちょっと……」ということを書いてきた。
改めて感じるのは、プロとセミプロのあいだには、深い断絶が広がっているってこと。

最近Amazonでは評判がよろしくない あべ美幸「SUPER LOVERS」が結構好きだ。
現在7巻目。1巻目の大絶賛から7巻目の★3つの凋落ぶりは泣ける。
だけど独断で言う。
SUPER LOVERSはプロの作品だ。

同人作家が悪いとは言わない。
オリジナルより二次創作の作家の方が画力があって、かつ官能的な場合も多々ある。
だけど、二次創作は「世界観の構築力」が決定的に欠けている。

世界観はストーリーではない。
世界観は段取りではないのだ。
そこには昼があり、夜がある。季節感があり、音があり、温度がある。手触りがあり、理がある。登場人物と読者を取り巻く空間、それが世界観だ。
僕はSUPER LOVERSの世界観が好きだ。
だから何度でも手に取りたくなる。

二次創作はオリジナルの世界観に、悪い言い方をすれば、背乗りさせてもらっている。
だから二次創作作家と、オリジナルの世界観を生み出せるプロ作家のあいだには、大きな断絶がある。同人上がりの作家を否定するつもりはないが、オリジナルで勝負する以上、世界観を構築する力がないままでプロの看板を掲げるのは難しいだろう。また、それこそ同人誌じゃないのだから、担当編集者はちゃんと指導する必要があるんじゃないのか?

ジャンルはちがうが、独特な世界観に引きずられて、僕は進撃の巨人を読み続けてきた。
すごい作品だと評価はしていたけれど、大して好きでもなかった。

だけど12巻。

エレン聞いて
伝えたいことがある

私と…一緒にいてくれてありがとう

私に…生き方を教えてくれてありがとう

……私に


極限の状態の、この告白シーンに立ち会えて、僕は本当に幸せだと思った。
進撃の巨人第一巻では、諫山創の絵は本当に下手だった。
だけど、好き嫌いは別にして、彼が構築した世界観を誰もが無視できなかった。
そして第12巻。
引き絞られた弓から放たれたような矢のような、神がかった告白。
ものすごく腕の良いハリウッド映画でもなかなか表現できない、緊張と間合い。
戦慄が走った。
ここまで付き合ってきて本当に良かったと思った。

話を元に戻すけど、自分の手元には、どれも世界観がしっかりしているBLだけが残った。
そういう新作を描ける作家がどんどん出てくることを願ってる。

BL漫画レビュー:おげれつたなか『恋とはバカであることだ』

御機嫌よう。
真夏の午後、皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕は避暑地の休暇を楽しんで参りました……なわきゃなく、田舎で端女のようにこき使われていた日々でした。Webの更新もままならなく。

さて、先日のご質問記事にも登場したような、イマドキなBLを取り上げてみる。

バカな子ほどカワイイ。
32歳、童貞処女にして初めて恋人できました(ハート)
大学生の彼氏はカワイイんだけど、
外でキスをねだってきたり、とってもグイグイくる。
もしかして俺のこと"慣れてる"って勘違いしてる?
これは、ちょっと、いやかなりまずいぞ…?
ガツガツ系わんこ×ビビリ系カフェ店員の表題作、ほか
高校生のバカなくらい真剣で切ない恋をお届け!

中身は3カップルのお話。
表題作の「恋とはバカであることだ」がメインで、あとは「泣けないうそつき」がまあまあという感じ。

表題作は元カノか7、8人いたというリア充大学生佐山くんと、恋愛経験どころかセックスも未経験の32歳カフェ店員真木さんのお話。経験不足を相手に告げられない状況で年上がワタワタするという……ん?「きょうは会社休みます。」のBLバージョンか!!! こういうパターンの話は、痛い年上を追い続けなくちゃならなくて、読者の心が「痛い」のだよ、ほんとうに。

というか、僕が引っかかったのはこれだ。


「佐山の顔はジャニ系でモロタイプだし。俺年下好きだし」

あるあるある、ジャニ系の年下好き若専オヤジ。
だがしかし。
ジャニ系とはなんぞ?

このジャニ系という定義こそ、新宿二丁目で一晩語り合えるほどのネタである。知り合いから「今度ジャニ系の友だち紹介するから!」と連絡をもらってドキドキしながらニチョに来る。「お待たせ!」と現れるワカモノに、どんな期待を持てるだろうか!?

やべえ……リーダーやった。。。。。
櫻井かぁ……やや微妙……。

山田涼介クン!? 大当たり!!
手越? これはあぶねー物件か??

などなどなど。
そもそもジャニタレの幅が広すぎて、どちらのジャニーズなのかで天国と地獄。
二丁目でジャニ系と言ったらスリムな体型で、身長は小柄、きれいめファッションで、なぜか喫煙率の高い10代から20代中盤までの男性くらいの共通項しかない。180cm越えのジャニ系とかあまり聞いたことがない。ひどいパターンになると「口元だけ松潤」とか、輪郭だけ櫻井翔とか。。。

ジャニ系大学生を紹介するよって機会があったら、自分的には「ジャニ系じゃなくて、堀北さんね」という物件に遭遇してみたい。


「ジャニ系じゃないよね?」
「……シンプルにごめん」
「……じゃなくて、キミは堀北真希さん系」

イマドキの大学生が「……シンプルにごめん」なんて言うのか知らないけれど、響きはちょっと良い感じがする。

1.絵柄
イマドキなんだと思う。赤面したときの表現が特徴的な作家。
口元にも特徴があって、なんか「生っぽい」…上手く表現しづらいのだが。

2.ストーリー
「恋とはバカであることだ」については、新しいひねりはなくて、どこかで見たことのある話だなあという感じ。僕自体、経験不足の人がワタワタするコメディがあまり好きじゃない。「いやいや、付き合う前にセックスとかおかしいだろ」「オレらそういうもんでしょ~」ってセリフだけ、妙にリアル。
「泣けないうそつき」は、恋愛観の狭い主人公高校生が惚れた相手は、美形だったがワケありの過去ありで……という話。こちらも目新しさは全くないのだけど、美形瀬川くんの一途さは高く評価したい。

3.エロ度
これが微妙で、このコミックスは70ページが描き下ろし。初出を見ると、それぞれ2話構成のうち2話目が描き下ろしになっていた。連載中はほとんどエロなし??よく読者は納得したもんだなっ!? 描き下ろしに含まれるエロは3倍増は必要かと。

4.まとめ
うーむ、もっと精進が必要。ツッコミが足らない、いろいろと。
あとペンネームなんとかならないか?「『おげれつたなか』探しているんですけど」と訊きにくい。Amazon専売になっちゃうぞ。

絵柄 :★★★☆☆
ストーリー:★★☆☆☆
エロ度 :★★☆☆☆
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)

ゴリラさんのご質問に対して

おお、これはまた、難しい宿題となりました。
夏だし、子供の頃を懐かしみながら書いてみますか。

現在、BL (BoysLove)と呼ばれているものは、何回かの変態があったと僕は考えてます。
だから、その源流にさかのぼるとなにかが分かるかもしれません。

小説はさておき、マンガの世界で少年愛、これも後代にはペドフィリア的な意味を重ねる人がいるので、男性同性愛としましょうか、を正面から取り上げ発表したのは、1976年連載開始の竹宮恵子「風と木の詩」でした。約40年前の作品にもかかわらず、「風と木の詩」を超える作品は未だ生まれてきていないと僕は思ってます。
著名な劇作家寺山修司は「これからのコミックは、風と木の詩以降という言い方で語られることとなるだろう」と絶賛し、風と木の詩は日本漫画界に大きな衝撃を与えました。評論家河合隼雄は「少女の内界を見事に描いている」と評し、フェミニスト活動家上野千鶴子は「少年愛漫画の金字塔」と言っています。

しかし、現在のボーイズラブマンガの源流に位置する「風の木の詩」に対し、これらの論評は的を得ていて、同時に的を外しているように思えるのは興味深いです。

天才漫画家竹宮恵子は、どんな動機で「風と木の詩」を生み出したのか。
作家本人が語っていますが、それはちょっと意外な発言です。

「当時はベッドで男女の足が絡まっているのを描いただけで作者が警察に呼び出されていましたが、私は作品を描く上で愛やセックスもきちんと描きたかったの。男×女がダメなら男×男でいけばイイと思ったの」

当時の出版界、少女漫画界にあった規則、タブーを破るための「仕掛け」が、少年愛(男性同性愛)だったわけです。古い少女マンガには「男色家」という設定の脇役がよく登場したので、まあ、突然変異ではなかったとは思います。
だけど、男性同士の恋愛、性愛を描いた作品が、女性の手で生み出され、しかもその動機が表現の枷に挑戦するための「仕掛け」だったことが、男性同性愛者が描く「ゲイマンガ」や実在のゲイ(同性愛者)とのあいだに「捻れ」を生じさせた原因ではありました(のちに1992年に「やおい論争」が勃発します)。

古い時代、芸術の分野で同性愛は、サディズム、マゾヒズム、エロチシズムなどと一緒に「耽美主義」と呼ばれていました。だから「風と木の詩」と、それに続くJUNEの時代の作品は「耽美漫画、耽美小説」と分類されました。まあ、常識的なおば様たちに「少女向けマンガ」として紹介できるようなテーマではないので、「耽美」とセルフプロデュースしてみたのでしょう。だけど、これがまた誤解の原因の一つなのでしょう。そもそも竹宮恵子は「耽美」を狙ったわけじゃなさそうですし。

また、前述のフェミニスト活動家上野千鶴子が「風と木の詩」を絶賛しているのが気になります。上野千鶴子の発言ではありませんが、例えば「女性が性的に搾取されることのない世界、自分が性的客体となり至極安全な立場から男性性を搾取できるのがBLの良いところだ」「BLで受けが完全に旧来の女性役割を与えられていたとしても、それをわざわざ男性でやることにはジェンダー的•フェミニズム的に意味がある」という腐女子たちの発言があります。フェミニズム活動家の一部がボーイズラブに関心を示す理由の一つはこれだと僕と考えています。そして一人のリアルゲイとして、こういう人権活動家の無神経さを、僕は激しく嫌悪しているのです。

話が脱線しましたが、大事なポイントは源流「風と木の詩」は、竹宮恵子の発言通り「少女漫画」の1カテゴリーであり、登場する少年、特に「ウケ」の少年は、BL研究家の言葉を借りれば「乳房を取り外し、股間に男性器を取り付けた女性」なのです。だから、本質は男×女の物語。登場人物たちはティーンエイジャーなので、それはまさに少女漫画でした。花がちりばめられたり、花を背負ったりする少女マンガです。

「風と木の詩」のあと、2つの流れが世の中に出てきたと思います。

一つはコミックマーケット(コミケ)の世界。日本のコミケの歴史を紐解くと、同人誌の世界ではアイドル同士をホモカップルにする作品が1970年代後半には登場していたと言います。
二つ目の商業誌の世界では、竹宮恵子「風と木の詩」からバトンを受け取った次の走者が、1978年創刊JUNEの精神的支柱 栗本薫(=中島梓)でありました。

JUNEには、プロ作家の小説掲載のほか、「小説道場」という名物コーナーがありました。
栗本薫が投稿小説をビシビシ論評し、門弟たちの中から、その後売れっ子プロ作家となる人たちも出てきました。
投稿者の年齢は幅広かったそうですが、「女性『性』を受け入れられない」人、「母娘関係が良くなかった」人などが含まれていました。ある時期までのJUNEには、そういう精神的課題、肉体的課題、人間関係的課題を抱えた人のセルフヒーリングの的な役割があったことは押さえておく必要があります。母娘関係を取り上げた少女マンガは1970年代にはかなり多かったような気がします。少女マンガとJUNEを繋ぐ何本かの糸の一つに母娘関係があるのかもしれませんね。一方で、2014年現在のBLに、前述の「課題」がテーマになった作品の割合は多くはないでしょう。

1980年代後半から同人界で盛り上がってきたアニパロベースの男性同士の恋愛(性愛)マンガが、ボーイズラブと呼ばれるようになったのが1990年代中頃、JUNEが休刊したのは1996年4月。そこで切り替えが起こったわけですね。BLは(ゲイ目線では)乙女の妄想に過ぎませんが、少女マンガではなく、JUNEでもない、そしてゲイマンガでもないポジションを確立したのだと思います。

ちょっと考えてみると、「ボーイズラブ」が生まれてから20年。
ざっくりと印象論ですが、超大御所を除き、コミケ作家が15歳〜50歳、ボーイズラブプロ作家が20歳〜50歳位と仮定してみましょう。すると、作家たちは1964年〜1999年生まれの人たちとなります。ボーイズラブに初めて接触した年齢を10歳と仮定すると、現在のBL作家たちは1974年以降にBL接触した人たち、特に20〜30歳の若い世代の作家は、1994年〜2004年以降の作品に接している人たち、となりますね。

30歳の作家はボーイズラブが勃興しJUNEが終焉を迎えた頃に接触した人たちとなり、20歳の作家はボーイズラブが生み出されて約10年経った2004年以降の作品にしか触れていない(BLマンガは絶版が早いので、古典に触れるのはなかなか大変)。そういう意味では、現在のボーイズラブメインプレーヤー達は、源流の少女マンガとも、JUNEとも異なる「ボーイズラブ」という別カルチャーで活動しているのだと思います。
それから、掲載誌の性格も影響があるのかもしれません。例えば「純情ロマンチカ」が掲載されているCIELの作家は、少女マンガのDNAが強いような感じがします。だとすると、編集者の好みも影響しているかもしれませんね。

また、これは傍論でありますが、現在のボーイズラブ漫画家達には1980年代中盤以降のアニメ・少年マンガ同人誌の影響があるかもしれません。少年マンガには「花」を背負わすことはありませんから。

で、「絵柄だけで言うと、なんだろうねぇ、「肉体」から乖離して、ますますボーイズラブというか同性愛が抽象化してゆくなあと」と書いた件だけど、腐女子の皆さんが「関係性」を重視している点を考慮すると、必ずしも男性の肉体描写もリアルでなくても良い。最近はハード系のBLは好まれていないようだし。昔のJUNEでは犬と人間とか、昆虫同士みたいな作品があったそうです。栗本薫が形は違えど、紛れもなくJUNEであると断言していたので、きっとそうだったのでしょう。小説の世界ならば究極AとBという、性別すら不明の二人を主人公にしてボーイズラブのような作品を書くことはできるでしょう

プロっぽくないというのは、なんでしょうね、たまたま僕が手に取った作品が偏っている可能性があります。BLマンガといえばビブロスが老舗でしたが、例えばビブロス、竹書房系の絵柄から、リブレのほか、幻冬舎、海王社、大洋社の新人作家の「ふわっ」とした感じの絵柄が主流になってきているように思います。昔のような、根本的に「下手」な訳ではなくて、なんだろう、うまく説明できなくてごめんなさい。

こんな感じです。

独り者の日曜日は、カフェに行くしかない。

夏の台風が、焼けたアスファルトを叩く。
その埃っぽいにおいの中を自転車を転がしてゆく高校生を眺めた。

もともと土曜・日曜と一泊泊まりで新潟に行っているはずだった。
四国から北上した台風11号が関東にも手を伸ばしてきていて、今日の関越道は荒れるはずだった。
実際、群馬県には竜巻警報が出ているそうだから。

あまりうるさく帰宅を促す父親に根負けして、昨晩、自宅に戻ってきた。
野郎の一人暮らしだから、まあ、こまめに何かするわけでもなく。

来日中の彼氏にもスケジュールの都合で逢うこともなく、僕はランチを食べにコメダ珈琲店にいる。
4人使いのテーブルを割り当てて貰い、MacBook Proを立ち上げると、au wifiも使えて快適。

ここ数ヶ月取り組んでいるプログラムの、二つあるうちの一つのヤマに取りかかってる。
それはキー・バリュー型データストア部分で、僕はKey Value Storeなんて全く知らなかったけれど、自分のやりたいことを考え抜いて図に落としたら、それは世間的にはKVSと呼ばれているそれに近いものだった。

その、キーホルダー(?)に当たる部分の実装がこれから。
きっと簡単なコード数行だと思うのだけどね。
サンプルがないから、Railsの端末がはき出すログを見ながら試行錯誤中。

朝日新聞が従軍慰安婦問題で言い訳してますが。

「従軍慰安婦」問題は、北朝鮮のすごく頭の良い戦略家がシナリオを書いたんだろうな、と妄想するよ。

今回、朝日新聞は吉田清治証言がねつ造だと認めたけれど、一方で「朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある」と開き直っている。

おもしろいねぇ。

もともと朝日新聞と韓国は「日本軍が韓国人女性を拉致し、監禁し、レイプした」と、現代の人権感覚を過去に当てはめて、まるで日本人が獣かのように世界中に宣伝したわけだけど、その日本政府・軍が関与していないことが分かった。朝日新聞らサヨクメディアが必死で抗弁しているけれど、日韓の慰安婦問題の核心は「日本政府・軍が強制連行したのかどうか」だった。韓国人がジャパンディスカウントし、朝鮮統治時代を「悪」とするキャンペーンができたのは、この従軍慰安婦という歴史ねつ造があったからだ。

となると、慰安婦問題の第二幕は「誰が朝鮮人女性を集め、管理・運用していたのか」という検証になる。
おそらく、朝鮮人の女衒だろう。
じゃあ悪い人はいったい誰なの?ということになる。

実にくそったれな話だ。
朝日新聞はただのプロパガンダチラシだとしても、サヨクと韓国人・韓国政府が騒ぎ立てて、十分に日韓離間に成功した。
北朝鮮からすればホクホクの状況だよな。

韓国の韓国挺身隊問題対策協議会(北朝鮮のエージェントだと言われている)の連中が、朝鮮戦争時代に韓国政府が運営した米国兵士向け慰安婦問題の訴訟を起こしている。確か、朴槿惠とオバマが「慰安婦問題は非常に恐ろしい人権侵害問題だと思う」と会見していたけれど、あの老婆たちが訴えていた酷い話は、朴槿惠のオヤジ朴正煕時代に、韓国政府が運営していた米国兵士向け売春宿での出来事という事になる。

朴槿惠のオヤジが当時、女性の人権を守らなかった。しかも韓国人らが主張する「性奴隷」が女性が意に沿わずに性風俗で働かされるようなことを指すのならば、朴槿惠政権にいたっても年間何万人もの韓国人女性が海外遠征売春に従事している実態を眺めれば、韓国政府の統治正当性に疑問符がつく。世論調査によると、韓国人の政府に対する信頼度はかなり低いと言われるが、下手すれば韓国という国家がグダグダに崩壊しかねない。

しかも。
全米で6個目の「従軍慰安婦像」が立ったけど、それは大日本帝国軍人相手ではなく、朝鮮戦争時の米国軍人相手の話となれば、韓国人たちはためらいもなく「日本軍が強制連行」「性奴隷にした20万人」という碑文を「朴正煕政権が強制連行」「米国兵士向けに性奴隷にした20万人」に掛け替えるだろう。食堂でキムチを使い回している連中だ、それくらい間違いなくやるだろう。

で、米韓関係が極端に悪くなる。

その結果、最終的に北朝鮮主導で朝鮮半島統一が実現する、とかね。

そこまで読んで、30年以上前にこのシナリオを書いたヤツがいたとしたら、悪魔的な頭の良さだと思う。

るろうに剣心 京都大火編 を観てきたら

曇り。34.7℃/27.8℃/59%

毎日暑い、暑い、暑い。。。。
るろうに剣心 京都大火編を観ましたよ。
前作がかなり気に入っていたので、今回はどうかなあと期待しつつ……。

ストーリーはさておき、アクションはかなり、相当、めちゃめちゃかっこよかった。
武井咲も前作ほどはうざくなかった一方、香川照之は存在感あったんだなあと思った。

ああなる前の藤原竜也が色っぽかった……ってやけど負ってあれだけ動けるのは変だよな。
それから……今回もさらに相楽左之助(青木崇高)の乳首がちらついて落ち着かない。
左之助が出てくると、顔見ないで乳首にばっかり目が行ってた。
あれは良い雄っぱい。

時間とお金が許す方は是非♪


嫌韓の広まりは、日本人も悪いんですよ。

日韓関係の悪化、嫌韓の広まりは「でも日本人も悪いんですよ」って山岡士郎ばりに言ってしまえると僕は思うんですよね。
それから日韓関係の悪化を「責任を認めない日本政府と一部政治家の言動が原因だ」という韓国人の叫びも、日本側で嫌韓が広まった原因としてある部分は正しいと思ったりします。

だって、舛添都知事が韓国人を見下してますってさらっと言っちゃってますし。

在特会のスピーチがヘイトだと韓国人と在日が騒いでいることはよく知られたこと。
彼らのスピーチがまともだとは思いませんけどね。

日本で媚韓だとか、売国奴だとか糾弾される政治家が嫌韓を広めている原因の一つであることは間違いない。日本の一国民から見て、国を挙げて世界規模で日本人差別に邁進している韓国人に対して「お前たちのやっていることは国家公認の人種差別だ」と正面切って日本の代表が指摘しないことが、日本人のストレスとなり、嫌韓の原因の一つになっている。例えばこういう表現で日本人を貶める韓国人とかね。


今回舛添都知事はパク・クネとの会談後「在日韓国・朝鮮人らへのヘイトスピーチ(憎悪表現)は許さないとの認識で一致」したそうだけど、ならば「日本人に対するヘイトスピーチも許さない」と主張すべきだ。

都知事は「よその国が反日運動し、われわれを、ジャップという言葉で呼ぶということに対しては極めて不快で、快く思いません。どの国の国民も同じことをやられると不快だと思いますから、たとえばこういうことについて野放しにしてよいのだろうかと。韓国は韓国のやることですから、われわれがどうこう言う話ではありません。これは韓国が法律でやればよい」と会見しているんですが、それは表面上正しい。だけど東京の首長として韓国大統領と会見しているのだから、日本人差別が日本人の憎悪をかき立て、韓国の国益を大きく損なっていると朴槿恵に言うべき、いや、言ってやるべきだった。

「相手の事情がある」と韓国と韓国人を思いやってる(慮っている)人たちが、実はもっとも韓国人を見下して・バカにしている集団。対等な関係を目指すなら相手のダメなところ、自分たちが不快だと思っていることをズバズバ言い合って、対等に(しかも事実に基づいた正しい判断で)解決を目指す方向に行かなきゃな。韓国を思いやっているつもりの一部政治家の言動と行動が日本人の怒りを買い、市民レベルで韓国人憎悪を煽ってる。「一部の日本人政治家が悪い」という韓国人の主張は、見立ては間違っているのだけれど、結果としては正しい。(苦笑

ということで、舛添都知事が実は韓国人を見下していて、しかも韓国人の日本人差別を放置して都民の怒りを買うという図式が香ばしいなと思った次第。

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 --韓国訪問について、いくつか。特にヘイトスピーチの問題で、知事は厳しく対応するとおっしゃっていますが、具体的に法令がないわけで、どれがヘイトスピーチかを誰が判断するかというのは非常に難しい問題。人権週間を利用して、ヘイトスピーチについての批判といいますか、こういうのはよくないんだということを宣伝するとおっしゃっていますが、どういう基準で考えていらっしゃるのか。2番目に、そもそも論ですが、韓国の反日運動というのがありまして、例えば今上天皇や昭和天皇の張りぼてを作って侮辱する、肖像画を踏みつける、国旗を国会議員が踏みつける。デモでも、「キルジャップ」ということをやっている。日本に核爆弾を落とすと、こういうことがかなりある。これがまず反韓国感情の源と言っても過言ではない。知事は東京都民の90%が韓国が好きだとおっしゃっていましたが…

 「それは間違っているから。間違ってますよ、それは。正確な情報で言ってください」

 --いや、ちょっと聞いてください。だから、それは違うんだとおっしゃっていますが、東京都庁に寄せられた1万件ぐらいの都民の声は、ほとんどが知事の行動を批判したり、韓国の対日姿勢を批判したりするものと聞いています。知事にお聞きしたいのですが、天皇陛下や国旗が侮辱されていることについてどう思われるのか、これがヘイトスピーチじゃないかと。国旗について関連質問ですが、知事は2010年の新党結成の記者会見で、机の上にあった国旗を「邪魔なんでしょうね、これ」と言って動かしています。知事は国旗についてどうお考えか。まずヘイトスピーチの問題、それから天皇陛下や国旗が侮辱されていることについてどう思われるか、それから国旗についての知事の考え方、これについて、ご見解を

 --まず最初は、大変よい問題提起だと思うのは、表現の自由がありますから、なかなか難しいのです。

やっぱり憲法は基本的人権、表現の自由ということ。ただ一方で公共の福祉ということがあります。たとえば著しく人種差別のようなことをやることが、はたして日本国憲法の理念に沿うのか。ですから、この前の会見でも申し上げましたが、憲法学者を含めて、よく議論するべきだと思っています。いま、あなたが出されたように、よその国が反日運動し、われわれを、ジャップという言葉で呼ぶということに対しては極めて不快で、快く思いません。どの国の国民も同じことをやられると不快だと思いますから、たとえばこういうことについて野放しにしてよいのだろうかと。韓国は韓国のやることですから、われわれがどうこう言う話ではありません。これは韓国が法律でやればよい。そういう点について、どうすればよいのだろうか、と。いままで簡単に法律が決まらなかったのは、やはり表現の自由が重い。こういうことをよく検討しよう、と。しかし、逆のこと言われたら不快なように、やはり人権というものは非常に大事ですから、こういうことをきちんと議論しようということです」

BL漫画レビュー:八川キュウ『ひとめ惚れの落とし穴』

わりと最近出てきた作家かな?

「ケツ貸す気になったら連絡よこせよ」

イラストレーターの佐竹が息抜きにひっかけた相手は超顔の好みなサラリーマン・大森。
がっつき気味にコトに及ぼうとしたけれど、互いにタチであることがわかり、断念。
掘られる覚悟を大森に促して別れたが、その後、大森からの連絡は健全デートの誘いばかり。

「もう呼ぶな。身体の相性が悪いんだよ、俺たちは」
ヤりたいときにヤりたい相手と、自分の好きなように突っ込んできた佐竹だが――…。
タチ歴〇年。初めてのネコに挑戦!?

Amazonにレビューが上がっていない作家は、正直怖くて手が出せない。だけど、表紙買いした八川キュウは、想定外に当たりな作品だった。

収録作品はほとんど当たりだが、「ひとめ惚れの落とし穴」「好きはノートに愛はカラダに」「手に余る生徒で」がオススメかな。




平成の「やらないか」!?

「ひとめ惚れの落とし穴」はお互い顔も好みなのに、タチ同士だったのが残念……というBLでは時々取り上げられるテーマ。がっかりな終わり方をした「不測ノ恋情」、めちゃめちゃおもしろかった「プチッとはじけた、」と比べると、至って普通のカップル。Sex抜きの健全なおつきあいをしているうちに、やっぱり物足りなさがあって「もう呼ぶな。身体の相性が悪いんだよ、俺たちは」と言ってしまう。だけど未練なんだな、佐竹はグルグル悩んで結局は「抱けってんだよ」と大森に抱かれる決断をする。惚れた弱みだね。

1.絵柄
キャラクターはすっきりとかわいい系。脱がせればボディラインも美しくて満足。

2.ストーリー
短編集だけど上手くまとまっている。表題の他、好きな相手のためにノートを作り続けている純情高校生だとか、センセイを手込めにするヤリチン高校生だとか、どれも悪くないできあがり。

3.エロ度
みんな細身でエロイ身体つき。大森ががっつり佐竹を泣かしているのがイイ感じ。

4.まとめ
これから注目していい作家だと思います。掘り出しもんだ。

絵柄 :★★★★☆
ストーリー:★★★★☆
エロ度 :★★★☆☆
(あくまで個人的主観に基づく★の数です) 

BL漫画レビュー:志水ゆき『花鳥風月 3』

同時発売された第一巻、第二巻のファーストインプレッションの懸念は、第三巻に至って現実化した……という感じかな。

なぁ、お姫様。
あんたのために、
最高の器を焼いてやるよーー。

亡き祖母の跡を継いで、町長になった沢斗。
力不足を痛感し、悩む沢斗の唯一の憩いの場・露天温泉に、都会からやってきた陶芸家・大輝が踏み込んできた。
軽薄で図々しい大輝だが、なぜか憎めない。
ある日、沢斗の弟・円魔が倒れーー!?

勇を鼓して率直に言おう、これは失敗作だと思う。
ベテラン作家の志水ゆきに「失敗作だ」と言うのもずいぶん失礼な話だと思うが、少なくとも3巻まで付き合って「で、なんなの?この話??」としか思えないのは、オレが相当バカなのか、あるいは作品が失敗しているからのどちらかだろう。

志水ゆきは前作「是」で大成功を収めた、と僕は思っている。
そのせいか、この作品の作り方も「是」の影響を受けていると思う。花鳥風月の導入部分に当たる「糸川一人と一見雅貴」編は、「是」の雷蔵と紺編を彷彿とさせる。だがしかし、糸川のダメさぶりがなんというか、読んでていらいらした。お前、なんでそんなにガキくせえんだって。雷蔵の空回りも相当だったけれど、婆ちゃんに泣かされたからそれなりにジーンとさせられた。だが、花鳥風月は導入時のキャラクターにイライラさせられたから、後続の印象はますます悪くなる。


そして沢斗×大輝編。
是の紙さま群像劇が成功したことを踏まえたのか、花鳥風月では元バンドグループという設定を持ち込んだ。この微妙な設定と、展開の仕方の下手さが読者を混乱させる。あまり見分けがつきにくい造形の登場人物たち、そして散漫なストーリー展開。「是」ではカップルごとに分かれたオムニバス式にストーリーを展開していたから、読者は感情移入しやすかったと思う。群像に対し、きちんとズームと焦点を絞っていた。今回は……きわめて散漫だと思う。これは作り方の問題で、プロ作家がなにやってるの??ってやや呆れた。

1.絵柄
キャラクターのかき分けが十分できていないのではないか?

2.ストーリー
非常に混乱していて、しかもどのエピソードも深掘りが足らない。設定も微妙。

3.エロ度
後半になってかなりエロイ。だがなあ……主人公たちに感情移入できない濡れ場を見せられても、だから?って感じだ。

4.まとめ
3巻で購入打ち切り。残念。

絵柄 :★★☆☆☆
ストーリー:★☆☆☆☆
エロ度 :★★★☆☆
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)