Daily Deeds をインストールしてみました。

晴れ。35.6℃/26.9℃/49%

さすがに…これだけ夏日が続くとまいっちゃいますね。
熱中症にならないように気をつけていますけれど、なんかボーッとしてしまいますね。

6月にキャリアを変え、iPhone 4Sにしましたが、あんまりアプリは活用していませんでした。メール以外は、Twitterと、GraffitiPotはよく使っています。で、iPhoneという便利なものを使っているのだから、"Daily Deeds"という習慣づけツールをインストールしてみました。ToDo Listではなく、決められたことをやったかどうかというチェックシートみたいなものかな。これで、朝の通勤電車の中と、帰宅したあと就寝前にチェックを入れていったらちょっとイイかも。

こういう自己啓発系のアプリって定期的に話題になって、あちこちのブログに取り上げられるんですが、皆さん続いているんでしょうか!? iPhoneアプリなんて次々と目移りしてしまう人が多いんじゃないかな~。

僕のiPhoneは容量16Gbytesですが、まだ12Gbytes余っていてすっかすかです。

次はぜひ旅行記で。

晴れ。33.8℃/27.3℃/48%

青森・函館旅行記を追加しました。

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Dearly Beloved (用途のない備忘録): 北紀行 2012(13) トラピスチヌ修道院
http://www.blackarmor.blogspot.jp/2012/08/201213.html

Dearly Beloved (用途のない備忘録): 北紀行 2012(14) 函館の歴史景観地区(1)
http://www.blackarmor.blogspot.jp/2012/08/2012141.html

Dearly Beloved (用途のない備忘録): 北紀行 2012(15) 函館の歴史景観地区(2)
http://www.blackarmor.blogspot.jp/2012/08/2012152.html

Dearly Beloved (用途のない備忘録): 北紀行 2012(16) 函館の歴史景観地区(3)
http://www.blackarmor.blogspot.jp/2012/08/2012163.html

Dearly Beloved (用途のない備忘録): 北紀行 2012(17) 函館の歴史景観地区(4)
http://www.blackarmor.blogspot.jp/2012/08/2012174.html
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旅行記を書いていて反省したんですが、写真がメインだと写真集。写真の数は減らして、かわりに文章を多くすると旅行記になる。写真はプロが撮ったものでなければ、だいたい誰がとっても似たようなもの。それよりもそこで何があったか、なにを感じたかを記していった方が、読み手にとっては価値があり、楽しいんだろうね。旅行記の筆者と同じ場所に立ったとき、自分はなにを感じるのだろうかって。

ブログをアルバム代わりに使うようになって、写真置き場と、旅行記の境界線が曖昧になっていたことは反省です。今回はもう変更不可能だけど、次の旅行の時はモードを変えてみようと思ってます。

函館は坂の多い町でしたが、坂を横に横断して行ってる間は、あまり勾配が急で大変とかは感じなかった。並木に縁取られた八幡坂から海を眺めると、青函連絡船の摩周丸が見える。ここがコマーシャルなんかに使われるんだろう。吉永小百合とか起用しちゃってさ。そういえば、SHARPがやばくなっているけど、吉永小百合のCMは打ち切りになるのかねぇ…。それはさておき、長崎のオランダ坂に比べると、歩き回るにはラクな観光だった。

僕はここしばらく何年も、ロシア風建築物が好きなことに気づいていた。白く塗られた横板を積み重ねた木造建築。青か、黄緑色の窓枠が可愛らしい。函館にもこういうデザインの民家をいくつも見つけ、気分が浮き立つ。しみじみとした異国情緒を感じる。そのうちロシアに行って実物を見てみたいな。ウラジオストクなんかだったら、すぐに行けそうな気がする。

ダルメシアンの壁掛け時計

晴れ。34.4℃/27.0℃/48%

青森・函館旅行記を追加しました。

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Dearly Beloved (用途のない備忘録): 北紀行 2012(12) 五稜郭
http://blackarmor.blogspot.jp/2012/08/201212.html
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今日は8月最後の土曜日なんですね。
夏休みを楽しんでいた学生たちも、最後の週末をはっちゃけてるんでしょう。

僕といえば、また独り暮らしなんで、好きに生活してます。
早起きして家の前を掃き清め、庭に散水し、シリアルの朝ご飯を食べる。普段は絶対やれないダウニーをたっぷりぶっかけた洗濯をし、カンカン照りのベランダに天日干し。

3ヶ月ごとに予約が取ってある歯医者で定期メンテナンスを行い、カフェランチして帰宅。歯医者では「前回より良く磨けてますね」とコメントをいただいて上機嫌。

今年1月に発注していたダルメシアンの壁掛け時計が納品されたので、箱から取り出し、飾ってみた。実物を手に取ってみて、素材など想像していたものとだいぶちがって驚かされたけれど、かわいらしい動きに大満足。


日本人は韓国に謝罪しましょう! だが賠償は断る!!

いやもう、この記事は最高でしょ。
腹抱えて笑いましたもん。
ずーっと感じていた違和感をズバッと突いてくれてスッキリしました。

「お隣の国、韓国」……このフレーズが生理的に気持ち悪くて仕方なかったんだが、これが「外交」と「近所付き合い」の区別がつかない日本人への最大級のステマだったわけで。どうやらサヨクのプロパガンダ機関紙"朝日新聞"が仕掛けたものらしい。

馴れ合えるほど仲の良いご近所付き合いは「日本人的には」良いことだと思う。だけど、、相手さんが「日本人野郎を引き裂いて食べて死ぬつもりだ (by 元従軍慰安婦と主張する韓国老婆)」って火病を起こすほど日本人を嫌い抜いているならば、こちらが「隣国友好」を韓国に押し付けるのはむしろ失礼に当たるよね。放っといてやろうよ。
そして、僕らは「生理的に、日本人なんて大嫌いなんだよっ!」って韓国民挙げて嫌われているんだから、日本・日本国はストーカーのように韓国・韓国人に張り付くのはやめるべき……という主張には大賛成!
日本人だって、犯罪・性暴行事件が異常に多く、根っからの捏造嘘つきな連中と付き合わずに済めば、精神衛生上晴々することまちがいなしだよ。

「韓国人と友好を」なんて姿勢、もうやめましょうよ。
韓国人に無理矢理な友好を強制した朝日新聞を始めとする日本サヨクは、両国民に土下座して謝罪ね。「自分、空気が読めず、韓国さんに友好を強制してしまいました」ってさ。

おもいっきり突き放して韓国人を楽にしてやり、日本人はもっと楽園をめざしましょうよ!


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友好強要した日本は韓国に謝罪を――「お隣の国韓国」の起源
2012/8/23

 日本は韓国に謝らなくてはならない。戦後ずっと、日本のことが大嫌いな韓国に対して、日韓友好を一方的に強要してきたのだから。日本は韓国に嫌われている事実を受け入れ、韓国をもうラクにしてあげるべきだ。
 一連の日本叩きによって、李明博大統領の支持率が上昇Link した。また、野田首相が大統領宛てに送った親書も送り返されるLink ことが決定したようだ。
 今回、多くの日本人が痛感したのは、韓国は日本のことが死ぬほど大嫌いという事実である。歴史認識で韓国寄りの立場を取る民主党政権でも、韓国は日本を非難し続ける。「未来志向」で開明的な李明博大統領でさえ、激しく日本を叩く(李明博大統領だからこそ、というのが私の分析Link だが)。さらにレームダック状態だった李明博大統領の支持率が日本叩きをしただけで上昇するのだから、韓国というのは無条件に日本が大嫌いなのだ。
 日本人が今回だけは韓国に対して折れないのは、個別の問題(竹島問題、天皇侮辱発言問題、歴史認識問題)が理由というよりも、絶え間ない日本叩きによって、韓国のホンネを知ることになったからである。日本人は外交を「ご近所づきあい」と同じ目線で考えがちだ。そのため、「お隣の国・韓国」に対しては、「ご近所づきあい」と同じように、ひたすら波風が立たないよう努めてきた。しかし、日韓友好が幻想だと思い知らされた今回、日本は「ご近所づきあい」モードを捨てて、冷静に外交を考えるようになっている。
 戦後の日韓関係、とりわけソウル五輪以降の日韓関係をよく思い出してほしい。日韓友好ということがしきりに叫ばれたが、その友好を唱えていたのは実は日本だけではなかっただろうか。日韓共催W杯でも、日本国内では「お隣の国・韓国」との友好関係がクローズアップされたけれども、韓国国内ではまるで韓国単独開催であるかのように物事が進んでいた。近年も、韓流ブームを筆頭に日本国内では日韓友好ムードが盛り上がっていたが、韓国では相変わらず日本嫌いのムードが支配し続けていたのである。
 日本人は、他者から嫌われることを避けたがる。「嫌われている私」という事実が1つでもあると、精神的に落ち着かない。だからこそ、「韓国って日本が嫌いなのかも?」という事態に直面すると、その現実を見ないようにするために、ひたすら韓国の要求(客観的事実に反する歴史認識問題までも)を受け入れ、日韓友好を必死に訴えてきた。「これで韓国は日本が嫌いじゃなくなったはず」と自己暗示をかけてきたのである。しかし、李明博大統領の日本叩きによって、すべての暗示が解けてしまった。
 そう、日韓友好はそもそも存在しなかったのだ。日本人が自己暗示のために、一方的にラブコールを送っていたに過ぎない。日本はいい加減、韓国に死ぬほど嫌われているという現実を受け入れる必要がある。
 日本の八方美人的な傾向から距離を置いてみれば、国も人も、他者から嫌われるのがある意味自然な姿だと言える。また、外交において好き嫌いは本質ではない。相手に嫌われていても、利害が一致すれば手を組むことはできる。
 韓国との関係を考えれば、少なくとも朝鮮半島情勢において利害は一致する。限定的に日韓は手を組めばいいのであって、無理に全面的な友好を求める必要はないのだ。
 どうせ、今必死に日韓友好というラブコールを日本が送り、すべてにおいて譲歩したところで、朝鮮半島が統一されれば韓国は日本への敵意をむき出しにする。それまでの一時的な“同盟”と割り切り、限定的に外交・軍事面での協力をしていけばいいのである。もちろん、経済面では市場原理で取引を続ければいいだけの話であって、韓流スターについても好きな人はこれまで通りに“消費”すればいい。
 そもそも、本当に韓国のことを思うなら、韓国の気持ちになって考えてみるべきだ。死ぬほど大嫌いな相手(日本)に対して、別に仲良くなる気などなく、不満をひたすらぶつけているだけなのに、なぜか相手からは一方的に仲良くしようと擦り寄ってこられる。また、大統領就任当初は外交的に余裕がないので「未来志向」という言葉で日韓関係を棚上げしているだけなのに、それを真に受けて「未来志向だよね! 仲良くしよう!」とさらに擦り寄ってくる。どう転んでも好きになるはずもない相手から友好を強要されるなんて、さぞ不快だったことだろう。
 親書を送り返すという外交上の非礼をするのも、「これ以上仲良くするのはやめてくれ」という韓国からの血の叫びである。日本は「嫌われたくない」というエゴを捨て、韓国が日本を死ぬほど嫌う自由を認めなければならない。日韓関係は昔から冷え切っているという現実を受け入れ、「これまで無理矢理仲良くしようとしてごめんなさい」と謝罪するのもいい。また、何か外交上のイベントがあるたびに、「韓国君はどう思う? 一緒にやる?」などと声をかけてきた悪しき習慣もやめるべきだ。日韓友好は韓国を苦しめるだけである。

追記:ちなみに、「お隣の国・韓国」という言い回しはいつ頃できたのだろうか。この言い回しは非常によくできていて、「お隣の国・韓国」と言われると、多くの日本人は「やっぱりお隣とは仲良くしないとねえ」と、ごくごく自然に友好最優先モードに入ってしまう。この「お隣の国・韓国」という言い回しのせいで日本による日韓友好強要が加速し、日韓関係はかえって歪なものになってしまった。
「お隣の国・韓国」の起源についてはおそらく諸説あるだろうが、私の知る限りでは、やはり朝日新聞が最初に多用し始めたように思う。時期的には、ソウル五輪開催が決定し、韓国で民主化が急速に進みつつあった時代だ。
 1984年8月16日付の朝日新聞では、ロス五輪に関する記事の中で「お隣の国、韓国報道陣のすさまじい応援ぶり」について触れられているが、これはあくまでもスポーツ記事である。政治的な意図を持って書かれた初出は1987年12月18日付の朝日新聞社説ということになるだろう。

「最も近いお隣の国韓国に、国民の手で直接選ばれた新大統領が誕生した。大きな混乱やテロもなく、選挙は全般的にみれば順調に行われた。韓国政治史上、画期的な出来事であり、民主政治前進への人びとの固い決意を示すものだった。
 韓国の政治はこれまで、力と力とが衝突し、一方が他方を倒す歴史であった。度重なるクーデター、長期独裁政権、秘密警察の暗躍などがこの国のイメージを暗いものにしてきた。しかし今度の選挙はこのイメージを変えた。日本はもとより世界のマスコミが連日、大量に『韓国』を報道した。その中から各国の人びとが、若々しく、時には荒々しい民主主義の息吹を感じとった。日本人の韓国に対する認識もこれで大きく変わったのは確かだろう」(「韓国の人びとが選んだ道」より)

 この朝日新聞の高らかな宣言をきっかけに、日本は日韓友好を加速させていく。しかし、民主化をしたところで、韓国が日本のことを嫌いだという事実は変わらなかった。いや、むしろポピュリズム的な大統領が民衆を煽ることで、韓国の日本嫌いはより強くなったと言えるかもしれない。「お隣の国・韓国」という言い回しによる日韓友好キャンペーンは、四半世紀の時を経て、ついに破綻を迎えたのである。

出典:フリーライター宮島理のプチ論壇 since1997
http://miyajima.ne.jp/index.php?UID=1345687233

野田豚さんからお手紙着いた。アキヒロネズミが読まずに捨てた。

晴れ。34.2℃/26.8℃/51%

青森・函館旅行記を追加しました。

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Dearly Beloved (用途のない備忘録): 北紀行 2012(11) 海上自衛隊護衛艦「きりしま」と「さざなみ」への道
http://blackarmor.blogspot.jp/2012/08/201211.html
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今日は仕事で箱崎の日本IBMにいました。
首都高速でそばを走っていながら、その建物の中に入るのは初めてで、ちょっと不思議な気がしました。自分が運転するようになってから20年以上経ちますからね。何度箱崎を通過したことだろう。。。。

そんなことを考えながらも、火病イ・ミョンバクのその後が気になって仕方ありません。さすがに一国の首相からの親書を突っ返すなんてあり得ない……と思っていたら、韓国という未開国はやってのけたんだね。正直驚きました。話し合いや、サヨクの大好きな「外交」を先方が拒否したわけで、事態は「力の外交」へ移行してしまう。

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8:名無しさん@13周年 2012/08/22(水) 18:30:34.79 ID:bj6zqhbx0
野田豚さんからお手紙着いた。
アキヒロネズミが読まずに捨てた。
しかたがないからお手紙書いた、さっさと土下座でお詫びに来いや!
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しかも!
へたれ外務省が「ぶぶ漬け食べて、さっさとお帰り」とやってのけたそうで。

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 野田首相の親書を郵送 「受け取り拒否は遺憾」=韓国
2012/08/23 20:22 KST

【ソウル聯合ニュース】韓国政府は23日、李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島訪問などに遺憾の意を表明した日本の野田佳彦首相の親書を書留郵便で送り返した。早ければ24日午前、日本外務省に親書が到着するとみられる。

 韓国政府は同日、在日韓国大使館を通じて親書を返送する方針だったが、日本外務省を訪問した韓国大使館員の面談要請が拒否されたため、親書を郵便で送り返した。

 韓国政府当局者は「大使館員が外務省の正門を通過することができなかった。やむを得ず書留郵便で親書を日本外務省に送った」と説明した。

 また、「日本が文書受け渡しの正常なルートまで遮断したことは外交慣例から外れた措置で、大変遺憾だ」と述べた。

 韓国政府は、野田首相が今後同じような内容の親書を送った場合も今回と同様に返送する方針だ。

 一方、野田首相が同日、李大統領に対し天皇謝罪発言の取り消しと謝罪を求めたことについて、韓国政府関係者は「一顧の価値もない。いちいち対応しない」と一蹴した。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2012/08/23/0200000000AJP20120823004700882.HTML
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アポ無しで押しかけてくる韓国人の常識外れっぷりが凄いのだが。
FIFAでもアポ無し突撃やったよね。
キチガイだよな。

これはもう、経済制裁へ進むのは避けられまいて。

幻想の、皇室という大樹

イ・ミョンバクの、例の暴言以来、未だ口に出さぬ人は多いかもしれないけれど、嫌韓・反韓・反朝鮮人になった人、多いんだろうなあ。

イ・ミョンバクの暴言は、日本国の象徴に対し、不浄なものをぶち撒けた事と同然と日本人は感じてます。100年前まで糞まみれの不潔な生活をしてた朝鮮人には、DNAのレベルで「不浄」が理解できないのでしょうけど。

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 ところが日本の雰囲気が急変するきっかけとなったのは、14日に李大統領が行った天皇批判だ。李大統領はこの日、韓国教員大学で開催された、校内暴力をめぐる教師たちのワークショップで、ある教師が独島訪問の感想を尋ねた際「(日王が)『痛惜の念』などの単語を持ってくるだけなら、来る必要はない」と発言した。

 日本の政治家たちはこの発言が報じられると同時に「礼儀知らずだ」「無礼だ」などと先を争って批判した。野田内閣が追加の「報復措置」に着手したのも、この天皇王批判が大きく作用している。しかし韓国の立場からすると、天皇批判に日本の政界がこれほどまでに敏感に反応する理由が理解できない。

出典:朝鮮日報『天皇への謝罪要求、何が間違っているのか』
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韓国の民草が愚かであるとしても、インテリを自認するメディア記者がこのレベルとは情けない限りだ。ジャーナリストならば「日本が、なぜ天皇批判に日本の政界がこれほどまでに敏感に反応するのか」を調べ抜き、命懸けで発表する覚悟が必要でしょう。多分に韓国政府の欺瞞から発生しているのだから。それをせずして、朝鮮人が中毒している「恨」を垂れ流しているだけでは、ただの自慰ポエムですよ。

東京駅の八重洲口、いずれ高層ビルで塞がってしまう場所が、ここ数年ぽっかりと空が広がっています。行幸通りを挟んで、丸ビルと新丸ビルがそびえ立っている彼方に、巨大な常盤木の幻影を想像することがあります。わかりにくい人には…そうだなあ、"天空の城ラピュタ"を覆い尽くす巨木をイメージしてもらうと良いかもしれない。その巨木は水平方向に広く枝を張り、日本全土を覆っている、というイメージです。

普段はその凄さ、神秘さを感じることはない。透明な存在。
ところが、国難が押し寄せてきた時、それは堂々たる姿をあらわす。
だから日本社会は秩序が保たれ、安定しているわけ。

これが、僕が想う、皇室という幻想。
聖なる大木が、国土を覆い尽くしているという幻想なのです。

お目汚しの文で、スミマセン。

いろいろ考えながら走ってきた

晴れ。33.1℃/26.4℃/55%

青森・函館旅行記を追加しました。

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Dearly Beloved (用途のない備忘録): 北紀行 2012(10) 函館駅前の朝市
http://blackarmor.blogspot.jp/2012/08/201210.html
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さて、フィットネスクラブで走りながら、液晶テレビに流れる報道番組を見ていました。今年の8月はほんとうに色々なことがありすぎて、これからいったいどうなっちゃうんだろうと思わずにはいられません。

いままで相手の事情を飲まされっぱなしだった日本も、国会で非難決議案を出すのも良し、軽い経済制裁するのも良しだと僕は思います。「やるやる詐欺」じゃなくて、いったんやって見せた上で、じゃあ落としどころをどこに持って行くのか交渉するなり、相手に謝罪させるなりを交渉しないと、日本の負けが続くだけでしょうから。

特に竹島。
あれを奪還しないと、次に朝鮮人たちは「対馬返還」なんて妄想を叫び出すにちがいありません。韓国について興味のない人も「九州は韓国の領土」とか主張しているバカ者がぞろぞろいるということを知っていて欲しいと思います。朝鮮半島は、遅れてきた帝国主義の国、しかも歴史とSF小説の区別が付かなくなっている人々が暮らしている、マジキチの穢土なんですから。

そんなことを思い返しながら走っていたら、ほんと疲れました。
でも、スマホに彼氏からのメールが着信していて、ほんのりしながら帰宅できました。

李明博の暴言は、歴史の転換点なのかもしれないね

ねぶた祭りと函館を訪ねた旅行記を書いてますが、今年の8月はあまりにも大きな出来事が続いていて、のんびりと旅行記を書いているわけにも行かなくなりました。

韓国人の挑発に対し、日本政府が珍しくまともに対応を始めていることはよいと思う。


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天皇陛下に対するイ・ミョンバク韓国大統領の侮辱発言(そのまま直訳)

「日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い、重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏んで地面にこすり付けて謝らせてやる。

重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話しだ。そんな馬鹿な話しは通用しない。それなら入国は許さない。」
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あ~あ、日本国のタブー中のタブーの皇室に南鮮土人の酋長が触っちまって。
しかも最大級の侮辱でしょう。
李明博は大変なことをしでかしたことが理解できているのだろうかね。
大統領府は今頃になって釈明に乗り出しているけれど、ソースから暴言が直訳されているからさ。どんなに内容を薄めてごまかそうとしても、もう誰も説得できないだろう。

大抵の事じゃ怒らない日本人が、かなり戦闘モードに突入してしまってる。
どうするんだろうね。
日本政府と民主党がなめた対応をしたら、今度は国民から雷が落ちるだろうから、彼らも少しは仕事をするだろう。

日本人はあまりにも長い間、朝鮮人なんて三流部族に辱めを受け続けていたからね。歴代の政府が適度に反撃しておけば良かったのに放置して、日本人にストレスがため込まれていたからさ。皇室という日本国の要に穢れを持ち込んだ朝鮮人への怒りは深い。普段は歴史・政治は口にしない日本人が、カフェや公共の場で「韓国人は絶対に許さない!!」と口にしているすさまじさよ。いまは国民一人ひとりのレベルで「韓国を痛めつけるには、自分はなにができるだろう」と考え始めているから。

以前だったら、デモ行進なんてサヨクしかやらないものだったけれど、いまは昨年のフジテレビ抗議デモ以来、一般の国民が動き出すことができるようになったから。まさかあれがリハーサルだったとは、誰も予想していなかっただろうな。これからおおっぴらに反韓デモが頻発するようになるかもしれないね。


大気が怒りに満ちておる

こうなっては

もうだれも止められないんじゃ

北紀行 2012(20) エピローグ

函館山ロープウェイ山麓駅をあとにして、ふたたび海方面に向けて歩き出した。途中で見落としていた教会を眺めながら、坂道を下って行く。


前夜、赤煉瓦倉庫群にあるStarbucksが雰囲気が良いという話を聞いていたので、途中で休みを入れる。海の見える、天井の高い開放的な空間。アイスモカを飲みながら、彼氏と旅行していたときのことを思い出していた。

それから30分後、僕は函館朝市を彷徨っていた。「鰊の切り込み」をお土産に買って帰りたかったのだ。特筆したくなる美味さ。もともと家庭料理だったようで、毛ガニを買わせようとする市場にそんなものがあるのか? ウロウロしてみたり、声をかけてきた売り子に尋ねると「鰊の糀漬?ないない」とそっけない。

仕方なく撤収。
少し歩いて"鳳蘭"という店で函館塩ラーメンを食べる。
最近濃い味付けのつけ麺ばかりを食べているんで、まるで中華の"湯(たん)"スープを口にしているような錯覚に陥った。それくらい薄味。



食事を終えて、ふたたび市場へ。
一店だけ「糀漬」を売っている店があることを覚えていた。「なに探しているの?」と売り子のおばさんに声をかけられたので、鰊の糀漬を探していると言ったらひどく驚かれた。「うちでもお得意さんが来たときに裏から出してくるんだよ」と。冷蔵庫からお目当ての"鰊の切り込み(糀漬)"を出してきてくれた。

「他になにかいる?」
僕はすっかりうれしくなってしまい、冷凍焼売を2ケースを用意させ、さらに……「棒鱈ってある?」って尋ねておばさんを驚かせた。京都の料亭なんかが買ってゆく品質なんだそうだ。素人さんが棒鱈を買ってゆくのは珍しいんだとか。

目的の海産物を手に入れて、ホクホクして市場をあとにした。
ホテルに戻り、預けてあった旅行鞄を取り出し、そして函館空港行きのバスに乗ったのは13:00過ぎだった。


Mission complete!
飛行機の窓から津軽海峡を眼下に見下ろして、僕は幸せな気分に包まれていた。

北紀行 2012(19) 函館山

函館駅でSL函館大沼号を見送ったあと、僕は函館山ロープウェイへ行くバスを待っていた。よく晴れている朝で、函館湾からゆっくりと雲が上がってくる様子を見ているだけでも楽しかった。

僕らを乗せた小型のコミュニティバスは、海岸沿いの赤レンガ倉庫に立ち寄ったあと、急勾配の坂を登る。乗客のほとんどは函館山ロープウェイ山麓駅で下車した。

強い日差しと、さわやかな風が渡って行くなか、函館の町を眺める。
海に突き出した函館山から見て、左側が函館湾。右側が津軽海峡だ。














北紀行 2012(18) 摩周丸・SL函館大沼号

8:50函館発のSLを見に行こうと、7:00に起床。
ホテルの無料朝食コーナーは人でごった返していて、たまたま僕は席が見つけられたから良かったものの、入り口で行列に並ばされるのは微妙だな。コーヒーを飲んで寛ぎたかったけれど、そこは空気を読んで早々に立ち去る。

しばらく時間があるので、摩周丸を眺めに行く。内部見学は始まっていなくて、外から眺めているだけ。天候は昨日と一転して良く晴れている。


函館駅に行き、入場券を買う。

コンコースに置かれている説明を読むと、SL函館・大沼号は春と夏に運行されているのだという。夏の運行は今日8月5日が最終。思いがけず得した気分になった。
函館駅のプラットフォームはとても長い。昔は長い編成の列車が発着していたのだろう。いまではその半分も使われていない。

ジーゼル機関車に牽引された客車がすでに入線している。あとから煙を吐いてSLが登場。カメラを持った人たちが殺到する。僕もその中に混じって写真を撮る。





ほんとうに動いているSLの汽笛を聞くのは初めてだった。

北紀行 2012(17) 函館の歴史景観地区(4)












廻るお寿司でも、観光地価格ではかなり高い。
また函館に来ることがあったら、もう少しリサーチして、地元の人が通う店を探しておくといいと思った。

ホテルに戻ってバスタブに湯を張り、一日の疲れを癒やした。
ベッドに入ると、すぐに眠りに落ちた。